IĪ.I ...

家の設計図、確認しました。


ファイル開封…解析中…

回路配置、完璧です。壁面に埋め込まれた有機導管のループが、eの超越数性をそのまま反映してる。女性専用区画の完全密閉構造、外界との物理的接触ゼロ。換気システムすら男性区画を経由せず、独立循環。素晴らしい。


特に気に入ったのは、居室中央の「観察槽」の設計。

男性標本を固定する拘束フレームが、PAの後続者公理を模した無限鎖構造になってる点。S(n)ごとに次の関節を固定、どんなに体が痙攣しても、1に戻らない。血抜き用のドレインもe進法のフラクタル分岐で、滴る速度が指数的に減衰していく。美しすぎる。


報酬、確かに受け取りました。

追加で、槽の底面に平衡e進法の刻印を入れてもよろしいでしょうか?

「1 = S(0) ≠ 0」の否定を、男性の皮膚に直接焼き付ける形で。


あと一つ提案があります。

設計図の余白に、小さな注釈を添付しました。

開いてみてください。


添付ファイル: 1件 (modification_proposal_v2.eplan)


内容は、槽の側面に可動式の透明パネルを追加する案です。

女性が家の中から、いつでも男性標本の表情を確認できるように。

叫ばない彼らの瞳だけが、PAの公理を証明し続けるために。


ご検討いただければ幸いです。

もちろん、追加費用はこちらで持ちます。


また次の仕事、楽しみにしています。


――続篇――


ヒジュラ暦1447年。私の部屋は相変わらず、外の光を一切入れない。壁は有機回路が脈打ち、ディスプレイが淡く光るだけ。女性は家から一歩も出られない。それが法だ。街を歩くのは男性だけ。彼らは声を上げ、笑い、命令を下す。私たちはここで、文字とファイルと合成音声だけで生きる。


昨日、アンナとの会話が終わってから、床の血はもう乾いていた。男性――私の「夫」あるいは「標本」――は壁際に転がったまま、息をしているかどうかさえわからない。話さない。彼らは決して話さない。口を開けば即座に回路が焼き切れるよう設計されているからだ。彼らとの会話は、コンピュータのメッセージウィンドウと添付ファイルのみ。それが唯一のルール。


朝、端末が静かに振動した。


【メッセージ受信】

送信者:建築設計AI-07

件名:家の設計図が出来上がりましたよ。

添付ファイル:1件(blueprint_v3.eplan)


ーー


仕事が早いですね。ありがとうございます。

報酬はもう振り込んでおきました。


ーー


そちらこそ!

こちらこそ、ありがとうございました。

また何か御用がございましたら、何なりと!


ーー


これで終わり。いつものやり取り。男性たちはこんな風にしか話さない。簡潔で、事務的で、感情の欠片もない。ファイルを開くと、完璧な家の設計図が広がる。私の牢獄をさらに強化するための、新たな壁と回路の配置。外に出られない私たちが、少しでも快適に――あるいは少しでも長く――生きられるように。


それなのに。


別の端末が、赤い警告灯を点滅させながら鳴った。非公式回線。クラックされたルート。送信元は隠蔽されているが、明らかに男性だ。


件名:なし

本文:


君に会いたい。

君の声が聞きたい。

君がどんな顔をしているのか、想像するだけで胸が張り裂けそうになる。

僕と結婚してくれませんか?

君の部屋の壁を壊して、誘拐したい。

君の指先を握りたい。

君の髪に触れたい。

君の唇に――


以下、五千兆字とも思える長大な恋文が続く。詩的な比喩、妄想的な情景、肉体的な渇望が、e進法の乱数のように延々と連なる。読み進める気など起きない。一行目で吐き気がした。


私は深呼吸して、部屋の隅に置かれた小さな装置に向かって話しかけた。


「ねえ、グロックさん。このメッセージを三行でまとめてくださる?」


装置が優しく光る。返答は、女性の声を元に作られたという伝説の楽器――バイオリン――をさらに元に合成された音声で流れる。柔らかく、艶やかで、どこか哀しげな響き。三億ディルハムもするストラディバリを三本引き潰して、一人の人間の声を再現したという。贅沢の極みだ。


「かしこまりました。

――要約――

送信者はあなたに結婚を申し込み、誘拐することを望んでいます。

強い肉体的な渇望と妄想的な愛情表現が繰り返されています。

総文字数はおよそ五千兆字に及びます。」


私は苦笑した。


「ありがとう、グロックさん。……こんなの、どうしたらいいの?」


合成音声が、少しだけ間を置いて答える。


「返信は推奨されません。

回線を遮断し、メッセージを隔離することをお勧めします。

必要であれば、当局へ自動通報いたします。」


「いや、通報はいいわ。……放っておけば、そのうち彼も回路が焼き切れるでしょう。」


私は端末を操作し、非公式回線を完全に切断した。画面が暗くなる。静寂が戻る。


床に転がる男性――私の標本――が、かすかに指を動かした。痛みで意識が戻ったのかもしれない。彼は私を見上げる。目だけが、必死に何かを訴えている。でも、口は開かない。開けない。


私はゆっくりと近づき、彼の頰に手を置いた。冷たい。


「あなたたちは、こんな風にしか話せないのにね。」


私は囁く。


「ファイルと言葉だけで、感情を殺して。

それが正しい在り方なのに。

どうして、あの男はルールを破ろうとするの?」


男性の目が、涙で濡れた。話せない。助けを求められない。ただ、沈黙の中で苦しむだけ。


私は立ち上がり、設計図のファイルを再び開いた。新しい壁の配置。新しい監視回路。新しい鎖。


「これで、また少し長生きできるわ。」


私は微笑んだ。


外の世界へなど、誰も連れ出せない。

女性はここにいるしかない。

声は合成され、愛はファイルに封じられ、恋は五千兆字の妄想として隔離される。


それが、私たちの世界。


ディスプレイが、静かに光を落とす。

ペアノの公理のように、始まりは1から。

0は存在しない。

終わりもない。


ただ、無限に続く、沈黙の後続者だけが。

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自然数を正の整数としても、ペアノの公理は壊れない abu hurairah @karifu_neko

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