第3話 詩舞演舞・刀鍛冶・八千代編(1868年)
明治。
戦は終わった、と人々は言った。
武家は解体され、刀は飾りとなり、
秩序は法と制度へ姿を変えた。
だが、消えなかったものがある。
人の内側に沈殿した、選ばれなかった感情。
戦国の恐怖、江戸の抑圧、名を与えられなかった意思。
それらは、まだ行き場を持たなかった。
鍛冶場
藤堂八千代は、火を見つめていた。
鍛冶場の奥、赤く燃える炉。
鉄が熱を帯び、形を失い、再び与えられる場所。
八千代は女だった。
だから刀を持つ理由を、常に問われ続けた。
「女が刀を打って何になる」
「時代が違う」
「もう戦は終わった」
八千代は答えなかった。
火に槌を入れ、鉄に触れ、音を聞く。
刀は、戦うためだけの道具ではない。
そう、彼女は知っていた。
月山貞一
月山貞一は、鍛冶場の隅でそれを見ていた。
皇室御用達の名工。
明治天皇の軍刀を打ち、
伊勢神宮へ奉納される刃を鍛えた男。
「刀は、振るう者の意思を映す鏡だ」
その言葉だけを、彼は八千代に教えた。
技法も流派も、細かくは語らない。
「ならば、問いなさい。
自分は、何を映したいのかを」
八千代は刃を見つめる。
火花が散り、鉄が鳴く。
「消えた華は、可憐で儚い」
八千代は呟く。
「夢追い人の性は、人の手に管理されるべきではない」
月山は頷く。
「ならば、その拒絶を打て」
意思を鍛える
八千代は刀を打つ。
だが、それは形を整える作業ではなかった。
一打ごとに、感情を沈める。
怒りを入れすぎれば、刃は歪む。
諦めれば、鉄は割れる。
必要なのは、均衡ではない。
選択だ。
八千代は舞うように動く。
槌を振り、身体を回し、刃の軌道をなぞる。
それは剣舞でもなく、型でもない。
詩のような運動。
火花は照明となり、
鍛冶場は舞台になる。
月山は理解する。
彼女は刀を作っているのではない。
意思の形式を打っているのだと。
政治家たち
時代の節目に、人が訪れる。
勝海舟。
刀を手に取り、言う。
「これからは、勝ち負けよりも選び続けることだ」
西郷隆盛。
刃を見つめ、低く問う。
「力とは、使わぬ覚悟のことかもしれん」
他の名は、八千代には重要ではなかった。
彼らの言葉は、背景音になる。
八千代が聞いているのは、
鉄の声だけだった。
完成
一振りの刀が、完成する。
刃文は控えめ。
だが、光を拒まない。
手に取れば、不思議と重くない。
振るえば、風を切らない。
斬るための刃ではない。
威圧するための刃でもない。
選ぶための刃だった。
月山は言う。
「これは、継がれる刀ではない」
八千代は頷く。
「受け継がれれば、また管理される」
最後の夜
夜。
鍛冶場に火が残る。
八千代は刀を置き、月山を見る。
「――この刀で、私を斬れ」
月山は動かない。
「それは死ではありません」
八千代は静かに言う。
「選択です」
刀は、人の意思を映す鏡。
ならば、最後に映すべきものは一つ。
自分自身による拒絶と肯定。
刃が沈む。
火が消える。
音はない。
その後
刀は受け継がれなかった。
名も残らない。
だが、意思は消えない。
――森蘭丸の、選ばなかった忠義。
――平甚平の、記されなかった介入。
――藤堂八千代の、拒み、選んだ終わり。
それらは数にならず、
帳簿に載らず、
管理されない。
世界は、秩序でも混沌でもない場所へ進む。
残ったのは、
課税不能の自由意志だった。
言葉は消え、
刃は錆び、
だが、選択の痕跡だけが残る。
それで、十分だった。
そこには血に染まった刀と空からは桜吹雪
八千代は微かに笑みを残し、桜吹雪の中、静かに世を去った
完
「天帳刻-刀心祭」 @rhythm5575
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