肝試しレベル1

仁木一青

第1話(完結)

 大学の同じ学部。男ばかり五人。

 くだらない話で盛り上がった帰り道、これから何かしようってことになった。


 それが肝試しってのは、今思えばガキ丸出しだけど、あのときはそれが最高に面白そうに思えたんだ。


 なんで肝試しかっていうと、もちろん理由がある。

 集まっていた五人の中で、一人だけ超ビビリがいたんだ。


 長身でモデルみたいなルックスの神澤かみざわ。口は達者じゃないけど、そんなことが問題にならないくらいに顔がいい。

 そんななのに、怪談のさわりでも話そうものなら、「やめろ!」と急にでかい声をだして逃げ出すようなヤツ。


 当然、肝試しなんて一度もやったことがないそうだ。

 そう聞いたら、俄然がぜん、やらせたくなるのが人情だろ?

 俺はこっそりと、他の三人と口裏をあわせた。


 その前の週に同じ五人でやった合コンで、女の子みんなをビビりイケメンの神澤にとられたことも関係してる。あいつのちょっとカッコ悪いところを見たくなったんだな。


 このままドライブにでも行こうぜって誘って、神澤を取り囲むようにして五人で車に乗りこんだ。

 で、種明かしをすると神澤は「絶対に嫌だ」と抵抗した。だが、もう走ってる車内だ。どうにもならない。


「大丈夫だって、初心者用のレベル1の肝試しだから!」

「そうそう、霊園の周りをぐるっと回って帰るだけ。な?」

「雰囲気だけ、雰囲気だけ味わおうぜ」

「なんでも食わず嫌いはよくないって」


 何度もなだめすかして、俺たちは有名な心霊スポットの霊園まで車で向かった。


 その間、後部座席の真ん中に押しこまれた神澤は両脇を俺たちに挟まれ、小さくなるようにうつむいて座っていた。その打ちひしがれたような様子を見て、俺たちは忍び笑いをかみ殺した。


 普段モテまくってるあいつの情けない姿。  

 正直に言う。  

 俺はそれを見て、心の底からスッキリしていた。優越感のようなものがあったんだと思う。


 レベル1という言葉にウソはなかった。本当に霊園の外の道を、車でゆっくり一周しただけ。深夜の霊園は静まり返っていて、街灯の明かりに照らされた墓石が規則正しく並んでいるのが見えた。何も起きなかった。本当に何も。


 帰りの車内で、「レベル2はどうする?」なんて馬鹿騒ぎをして、俺は笑いながらシートに体を預け直した。その時だ。


 シートについたてのひらが、ざらりとした。


 なんだ? 

 指先を見る。


 すれ違う街灯に照らされた指には、湿った黒い土がこびりついていた。


「おい、これ……」


 俺が声を上げると、運転していた友人がルームミラー越しに俺を見た。


「どうした?」

「いや、なんか……土っぽいので汚れてる」


 友人が舌打ちをして、乱暴に車内灯を点けた。

 その瞬間、俺たちは息をのんだ。


 俺の座席だけじゃない。  

 運転席も、助手席も、後部座席も。すべてのシートが、その細かい土で薄汚れていた。よく見ると、それは単なる汚れじゃなかった。五本の指の形までくっきりと残る足跡だ。


 まるで、泥だらけの裸足で誰かが車内を歩き回ったみたいだった。

 大人の足跡じゃなかった。もっと小さい子供の足跡みたいな細かいあと

 ぺたぺたとシートの上を何度も往復したような跡が、無数に残されていた。


 シートだけじゃない。ダッシュボード、窓ガラス、そして天井。 泥足で歩き回ったような痕跡が、車内を埋め尽くしていた。


「うわ、なんだよこれ!?」


 運転していた友人がパニックになり、急ブレーキを踏んだ。 車は街灯もまばらな田舎道の路肩に停車した。エンジン音だけが、暗い夜道に響いている。


「おい神澤! お前んとこ、どうなってんだよ!」


 友人が叫ぶ。

 俺たちは、神澤が座っている後部座席の真ん中を見た。そこだけがまるで泥水に浸かったかのように、びっしょりと黒く汚れていた。


「……早く帰った方がいい」


 うつむいたままの神澤がぽつりと言った。

 運転席の友人が前に向き直って、アクセルを踏みこむ。


 ブォン! とエンジンが唸った。  

 だが、車は進まない。


「は? え?」


 友人がさらにアクセルを踏む。ギュルルル……と苦しげな音が響く。

 車体はピクリとも動かない。


「な、なんだよ、故障かよ!?」


 後部座席の俺には、わかった。故障なんかじゃない。


 押さえつけられている。


 ギギッ、ミシッ……ミシシシッ……!


 車の屋根から、不気味な軋み音が聞こえてくる。ベコンッ、と屋根の鉄板が内側に凹む音がして、フロントガラスが圧力でビリビリと震える。

 

 車という鉄の塊が、悲鳴を上げている。サスペンションが限界まで沈みこみ、車体が地面に押し付けられている。


 まるで、見えない巨人が空からこの車を鷲掴みにしているような。あるいは、とてつもなく巨大な何かが、屋根の上に乗ったような。


「ひっ、うわあああ!」  


 友人が半狂乱でアクセルをベタ踏みした。タイヤが白煙を上げ、ゴムの焦げる臭いが車内にも漂ってきた。


 神澤だけが泥だらけのシートの上で、ゆっくりと視線を上に向けていた。天井を見つめるその目は、絶望で見開かれていた。


 ドンッ!!


 最後に大きな衝撃が走った瞬間、ふっと車体が浮き上がった。まるで何かが飽きて手を離したかのように。


 車は弾かれたように急発進し、俺たちは悲鳴を上げながらその場を逃げ出した。


 家に着くまで、泥のにおいのする車内で誰も口を開かなかった。


 運転していた友人は、あの新車同然だった愛車を二束三文で手放した。屋根はありえない形に歪んでいたらしい。


 神澤とは、それきり縁が切れた。  

 あんなものを見たら、もうダチなんて顔はできなかった。


 後日談がある。  

 俺たちが肝試しに行ったあの霊園。  


 地元の人に聞くと、あそこは昔から「子供の霊が出る」ことで有名なんだそうだ。  水子がどうとか、そんなありふれた噂話。


 シートについていた足跡。あれは確かに子供のサイズだった。噂通りだ。


 だとしたら。


 あの時、車が動かなくなるほどの力で、屋根の上から俺たちを押し潰そうとしていたもの。車のフレームを歪ませるほどの質量を持った、巨大な何者か。


 子供の霊と一緒に、何が俺たちについてきていたんだ?

 そして、神澤には何が見えていたんだ?


 今でも時々考える。答えは出ない。出ない方がいいのかもしれない。

 ただ一つだけ確かなのは、この世界には知らない方がいいものが存在するということだ。

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