インフレイム

西野 夏葉

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 一目惚れした相手が「生物学的に自分と同じ性別だった」なんて、多様性が叫ばれるようになったこの世界では、珍しいことではなくなった。

 

 ――みたいなことを、中学三年の人権作文コンクールに出す文章の書き出しでぶちあげたら、担任が推薦してしまった。私は軽い気持ちで書いたそれを自ら文化ホールの壇上で読み上げるハメになり、以来周囲から白い目で見られる中学生活を送った。人権週間の作文で私は中学での人権を八割五分くらい無くしたのだけど、これはどこの裁判所に訴えたらいいのだろう。


 進んできた高校には、同じ中学から来た生徒もいたが、大多数は一度も喋ったことのない子で安心した。高校はそれなりのレベルの学校を受けたし、先の作文で私をレズ呼ばわりして笑っていた、レベルの低い連中とは吹っ切れた。もっとも、私は同性どころか異性にも、恋愛感情はおろか関心を向けたことがない。十数年生きてみても自分のことすら満足に把握しきれない私が、他人を理解できる頭を持ち合わせているとは思えなかった。


 入学式で整然と並ばされたまま、校長や来賓による興味のわかない話を聞き流す。夢だの希望だのが本当にあるのなら、テレビショッピングよろしく舐めるように目の前でよく見せてほしい、と頭蓋骨の中を右から左へ誘導していたところ――。



「新入生代表挨拶。新入生代表、葛城かつらぎ乃紫のあ



 自分が平凡な名前だけに、周囲な同級生や後輩に創作のキャラクターみたいな名前の子が居ると、少し心配になる。でも口にしてはいけない、私は人権を尊ぶあまり自らの青春時代をドブに捨てた人間だ……と気持ちを強く持った。

 ノアって。方舟? それともうちの父親の乗っているミニバンの名前? さぞかし今後の人生でたくさんの男を乗せそうだな――と脳内で皮肉を垂れ流しつつ、視線を前方に向けた。


 早くも艶と水分が失われ始めた自分の黒髪と対照的に、体育館の照明を晴れた日の海面みたいにキラキラ跳ね返す彼女の髪は、はっきりと明るい栗色だ。胸を張って演台のマイクへ向かっていく彼女は、自分に自信があるとかの類ではなくて、単に他人など心底どうでもよい「自分の世界」を歩んでいるように見える。やがて心底だるそうに、ゆっくりした動作で取り出した原稿を、彼女は寝落ち寸前みたいに目を細めて読み上げ始めた。


 私は瞬間、その声に惚れてしまった。

 彼女の外見はどちらかと言えば可愛い方へ振られているのに、大人っぽいハスキーな低音の声が耳に心地よい。入学式という門出の舞台でも周囲に媚びる様子がなく、スーパーの鮮魚コーナーでエンドレスで流されている、店員の棒読みの録音みたいな抑揚の平坦さ。

 にもかかわらず彼女の声は、不思議と聞き惚れてしまう妙な色気を孕んでいた。新入生代表は毎年、入試成績トップの生徒が担わされる役目だから、きっと彼女は頭の切れる子なのだろう。



 嗚呼、もしかしたら。


 彼女なら、私の抱え続けてきた苦悩など「馬鹿じゃないの」と一蹴してくれるかもしれない。私が自分で処分できないこのモヤモヤを、あのやる気のない目をしながら蹴り破ってはくれないだろうか。

 


 私はまだ一言も言葉を交わせていないのに、この体育館に集まった数百人の中で誰よりも、彼女に壊されたがっている。



 なんだか知らないけれど、胸の奥がゾクゾクするこの感覚。


 それこそが「一目惚れ」だという真実に、私はこの時点でまだ気がついていなかった。

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