第五話 着せ替え人形、それは愛を確かめる儀式

 聖銀の首飾りによる火傷事件から数日が過ぎた。

 少女の首筋に残った傷跡は、フレアが軍用の最高級軟膏なんこうを惜しみなく塗りたくったおかげで、綺麗に消えていた。

 だが、フレアの過保護の方は癒えるどころか、悪化の一途を辿っていた。


「よいか、小さいの。外の世界は地獄だ。どこを歩いても貴様の『魔性の引力』にあてられた男共がむらがってくるぞ」


 朝食の席で、フレアは真剣な顔で説いた。

 窓から差し込む朝日が、彼女の美しい金髪を透かしている。そのあおの瞳には、一切の冗談の色がない。本気だ。本気で世界を敵認定している。


「貴様を守れるのは、この私と、この要塞(いえ)だけだ」


 その言葉通り、屋敷は数日で様変わりしていた。

 窓には鉄格子――装飾付きだが強固なアダマンタイト製――がはめ込まれ、ドアには三重の鍵(物理錠・魔法錠・フレアの念)がかけられた。

 さらに庭には、フレアお手製の「感知式対人結界」が張り巡らされている。

 もはや貴族の邸宅というより、要人警護のための要塞だった。


 ある晴れた昼下がりのことだ。

 玄関のノッカーが鳴った。


「お、おい! 誰かいるのかい? 回覧板を持ってきたんだが……」


 しゃがれた声だ。近所の老人だろう。

 少女がビクリとして立ち上がろうとすると、非番で優雅に紅茶をすすっていたフレアが、それを手で制した。


「出る必要はない。見ていろ」


 直後。

 庭の方から、老人の空気が一変する気配がした。


「……おや? なんだ、この甘い香りは……。胸が、ときめく……。そうじゃ、わしは……若いころの恋心を取り戻したぞ……!」


 ガタガタとドアノブが回される音がする。

 少女がおびえて身を縮めた、直後。


 バチィィィィンッ!


 何かが弾けるような音がして、「ひゃぃぃぃっ!?」という悲鳴が上がった。

 続いて、ドタドタと慌てて逃げ去っていく足音。


「……ふむ。結界の感度は良好だな。悪意はなくとも、下心を持つ者が一定距離に近づけば、微弱な電撃ショック精神的恐怖トラウマを与えて追い返す。これで貴様の平穏は守られた」


 フレアは満足げにうなずき、カップを置いた。


(……回覧板の人、可哀想……)


 少女は窓の外を眺め、言葉にならぬため息をついた。

 あのおじいさん、心臓発作を起こしていなければいいのだけれど。


 ただ、少女にとって外出の禁止は、存外悪いものではなかった。

 男を誘惑してしまう心配がない。魔物としての本能を刺激されることもない。

 フレアとの二人きりの生活は、正体がバレる不安と、時折見せる過剰な愛さえなければ、天国に近いものだった。



 ただ、一つだけ困ったことがあった。

 お風呂だ。

 フレアは親睦(スキンシップ)の一環として、「一緒に入ろう!」としつこく誘ってくる。


「背中を流してやるぞ! 極上の泡風呂だ!」


 フルフルと首を激しく横に振る。

 少女はこれだけは頑として拒否した。

 脱衣所に入ろうとするフレアの前で、両手を広げて立ちはだかる。

 その目には涙さえ浮かんでいた。


(絶対にダメ)


 その必死な態度に、フレアも折れた。

「……すまぬ」

 フレアは痛ましげに顔をゆがめた。

「過去に受けた酷い仕打ちが、まだ心にこびりついているのだな。この私に肌をさらすことさえも、恐れるほどに……」


 勝手に深刻なトラウマ(勘違い)を設定してくれたおかげで、結局、少女は一人で入浴することになった。

 入浴中、扉の向こうから「溺れていないか!?」「洗髪液は目に沁みていないか!?」と五分おきに声がかかったが、それでも絶対に鍵は開けなかった。


(……見られたら、捨てられる)


 湯船の中で、自分の背中を洗う。

 そこには、薄く透き通った羽が生えている。

 人間の子供にはないもの。

 フレアは優しいけれど、これを見たら、きっと軽蔑する。

 「可愛い」と言ってくれた今までの優しさが、一瞬で凍りつく。


(隠さなきゃ。……絶対に)


 少女は湯船に深くもぐった。

 温かいお湯で、不安も洗い流してしまいたかった。



        * * *



 引きこもり生活も、三日が過ぎたころ。

 外出を禁じられた少女の退屈を紛らわせようとしたのか、フレアが大量の「おもちゃ」を持ち込んできた。

 それは、騎士団の詰め所から持ち帰った――押収した?――見本帳や、高価そうな布だった。


「さあ、着せ替えショーの始まりだッ!」


 フレアの号令で、少女を着せ替え人形にする遊びが始まった。

 まず着せられたのは、ふんわりとした白いフリルが幾重にも重なったドレスだ。


「ふむ。まるで雲の上に舞い降りた天使……。いや、あまりに無防備すぎるか。これでは男共の保護欲をあおりすぎる」


(……じゃあ、なんで用意したの……?)


 首を傾げる。

 次に着せられたのは、もこもこの猫耳がついた防寒用ローブだった。

 少女がどまどいながらフードを被ると、フレアは鼻血が出るのを堪えるように天を仰いだ。


「……っ! 破壊力かわいさがすぎる! これでは男共が心臓麻痺を起こして死ぬ! 大量殺人罪に問われるのは貴様ではなく、見せびらかした私の方だ!」


(ほめてるの? 捕まる心配をしてるの?)


 さらに、フレアが特注したという「ミニ騎士服」が披露された。

 フレアの甲冑を模した意匠だが、素材はもこもことしてやわらかく、少女の体に合わせて作られている。


「おお……! 何とも凛々しい! これこそ我が騎士道の後継者にふさわしい姿よ! 小さいの、貴様が将来、悪い男にだまされぬよう、私自ら剣術を……いや、やはり危険だ。貴様はただ、私の後ろで笑っていればよい」


 フレアは少女を抱き上げ、頬ずりせんばかりの勢いでいつくしんだ。

 大きな体に包まれる安心感と、じんわり伝わる温かさ。

 フレアの愛は重い。重すぎる。

 整った面立ちは、戦場の女神のように凛々しいのに、言っていることは過保護な母親か、あるいはストーカーのそれだ。

 最初は戸惑っていた少女も、少しずつわかってきた。

 この人は、怖くない。

 不器用で、思い込みが激しいだけなのだ。


(……でも、これじゃあ、わたしはただのごくつぶしだ)


 着飾って、守られて、愛でられるだけ。

 ふかふかのベッドに、美味しい食事。

 それも悪くはないけれど、フレアが仕事から帰ってくるのを見ると、申し訳なさがこみ上げる。


(フレアさんがお仕事に行ってる間、わたしも何かしなきゃ!)



        * * *



 第一段階(フェーズ・ワン)。少女が選んだのは「掃除」だった。

 小さな体で雑巾をしぼり、廊下やリビングを懸命に拭き掃除する。

 床に這いつくばって、隅々のホコリまで拭き取った。

 夕方、帰宅したフレアは、ピカピカになった床を見て言葉を失った。


「な、なんということだ……!」


 フレアは震える手で、ちり一つない床をなでた。


「生活の痕跡が……完全に消えているだと……?」


(えっ?)


「普通なら残るはずの足跡、わずかなホコリまでもが消失している……。小さいの、貴様、どれほどの訓練を積んできたのだ? これでは熟練の追跡者ですら、貴様の居場所を特定できまい……!」


 フレアの目は真剣だった。

 ただの雑巾がけが、「痕跡抹消のプロフェッショナルな仕事」に見えてしまうらしい。


(……ただ、雑巾がけしただけなんだけどな)


 どまどって首を傾げたが、フレアは感涙にむせびながら、少女を抱きしめた。


「すごいぞ。これなら暗殺者が侵入しても、気配を悟られることなく逃げ延びられる!」


 明後日の勘違いではあるが、褒められるのは嬉しかった。

 フレアの腕の中で、少女は照れくさそうに顔を埋めた。その喜びが、次への勇気になった。



        * * *



 その数日後。

 少女は第二段階(フェーズ・ツー)として「洗濯」を選んだ。

 浴室で、小さな体をいっぱいに使って、自分とフレアの服を足で踏み洗いする。

 ゴシゴシ。ジャブジャブ。

 泡だらけになりながら、一心不乱に汚れを落としていく。

 それを見たフレアは、またしても衝撃を受けた。


「……なんと。衣服のメンテナンス(洗濯)だと……!?」


(きれいになーれ、きれいになーれ)


 少女はただ、お世話になっている服を綺麗にしたいだけだった。

 だが、フレアの軍人脳は、それを高度な軍事行動と解釈した。


「戦場において、装備の不備は死に直結する。ほつれ一つ、汚れ一つが命取りになることを理解し……私の着るものまで丹念に点検(チェック)してくれるとは!」


 フレアは洗濯桶の前でひざをついた。


「貴様はすでに、私専属の装備係アーマラーだ! その完璧な仕事ぶり、我が騎士団の補給部隊も見習わせたいほどだぞ!」


(……ただの洗濯なんだけどな)


 泡だらけの手で、困ったように頬をかいた。

 でも、フレアが嬉しそうだから、もっと頑張ろうと思った。



        * * *



 そして一週間が過ぎたころ。

 少女は第三段階(フェーズ・スリー)へ進んだ。台所への進出である。

 背丈の届かない調理台には踏み台を使い、小さな手で不格好な野菜と格闘する。

 最初は「包丁などという凶器を!」と大反対されたが、掃除洗濯での実績(?)と、必死の猛抗議――フレアの服をつかんで上目遣い――により、なんとか許可を勝ち取ったのだ。


 ある日は、焦げ付いたオムレツ。

 ある日は、塩と砂糖を間違えたスープ。

 おっかなびっくり、それらを食卓に並べた。

 仕事から帰ってきたフレアは、黒い炭のようなかたまりを見て、一瞬だけ真顔になった。

 しかし、すぐにその表情は「納得」へと変わる。


「……なるほど。深すぎるぞ、小さいの!」


(え、何が?)


「あえて食材を炭化させることで、保存性と殺菌効果を高めているのだな? 未知の毒物が混入されるリスクを考慮し、全てを焼きつくすことで安全を確保する……。戦場においては、生半可な美食よりも、こうした『生き残るための糧食』こそが尊い……。貴様は、私に騎士としての原点を思い出させてくれる!」


(……やっぱり焦げてたんだ。フレアさん。『独特の苦味』っていうのは炭の味だよ)


 ガリッ、ガリッ。

 フレアは感動の涙を流しながら、炭化したオムレツを完食してくれた。


「うまい! 貴様の作る料理には、どんな名店の味も及ばぬ『覚悟』の味がする! ……む、これは卵の殻か? カルシウム補給まで考慮済みとは、恐れ入った!」


 苦笑しながらも、胸の奥がポカポカするのを感じた。

 失敗したのに。黒焦げなのに。

 フレアは全部食べてくれた。

 掃除をして、料理を作って。そのたびにフレアが大袈裟に驚き、喜び、頭をなでてくれる。

 それが楽しくて、嬉しくて。

 いつしか、フレアの帰りを心待ちにするようになっていた。


(もしかしてお母さんって、こんな感じなのかな……)


 前世で家族なんていなかった。今世の姉たちも、自分を捨てた。誰かの「特別」になれたことなんて一度もなかった。

 種族が違う。言葉だって通じない。

 けれど、二人の間には、確かに何かがつながっていた。

 外の世界は怖いままだ。自分は魔物で、いつか人を傷つけるかもしれない。

 でも、この「城」の中でなら。この人のそばでなら。


「さて、そろそろ休むか。……明日も、貴様の作った飯が食いたいな」


 満面の笑みで、コクンと大きくうなずいた。

 手をつないで寝室へ向かう。フレアの手は、しなやかなのに少しゴツゴツしていて、とても温かかった。

 穏やかな夜だった。







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衣食住が満たされた甘やかな鳥籠。

次回、過保護な騎士による歪んだ英才教育が始まる。


明日は22:14公開! ※いつもより遅めです。

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魔物の私を『国宝級の可愛さ』と勘違いした女騎士が、過保護すぎて外に出してくれません こめりんご @komeringo

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