第四話 鉄壁の引きこもり生活は、甘やかな鳥籠

 ことの起こりは、数時間前の出来事だった。

 フレアが不在の屋敷に、一人の配達員(男)が荷物を届けに来たのだ。


「こんにちはー! 王都便ですー! お届けにあがりましたー!」


 陽気な声が扉越しに響く。

 留守番をしていた少女は、フレアの言いつけ通り、息を殺して居留守を使った。

 鎧戸よろいどのわずかな隙間から、恐る恐る外をのぞく。善良そうな青年だ。汗をふきながら、伝票を確認している。

 だが、少女にとっては、人間相手というだけで脅威だった。


(……帰って。お願い、帰って)


 扉の前でひざを抱え、祈るように目を閉じた。

 だが、安普請ではないはずの重厚なオーク材の扉も、少女から漏れ出る「魔性の香り」を完全に断つことはできなかったらしい。


「……ん? なんだ、このいい匂いは」


 扉の向こうで、配達員が鼻をひくつかせた気配がした。


「甘いような……脳がしびれるような……。……あ、ああ、なんだこれ。胸が高鳴る。この扉の向こうに、僕の……僕の運命の人がいる気がする……!」


(だめ、また変になっちゃった!)


 青ざめて後ずさる。

 ガタガタガタッ!

 ありえない力で、ドアの取っ手が回された。鍵はかかっているはずなのに、蝶番ちょうつがいがミシミシと悲鳴を上げる。


「開けてくれ! 君に会いたい! 僕の全財産を、いや、この魂を君にささげる準備はできているんだぁぁぁッ!」


 ドンドンッ! ガンッ!

 もはや配達というより攻城戦の勢いだ。

 少女はおびえて震え、必死に耳をふさいだ。


(また、わたしのせいで普通の人がおかしくなる。わたしはやっぱり、ここにいちゃいけない)


 バキィッ!


 嫌な音がして、ドア枠の一部が弾け飛んだ。

 配達員の、愛の力――という名の狂気――でかんぬきが壊されそうになった、その瞬間。


「我が聖域に土足で踏み込もうとする野卑やひな獣はどこのどいつだぁぁぁッ!」

「えっ、ひぇ!?」


 上空から雷鳴の如き怒号が降り注いだ。

 直後、屋敷の庭に金色の彗星が着弾した。

 定例会議中、「なんとなく虫の居所が悪かった」という理不尽な理由で早退し、超音速で帰還したフレアである。


「き、騎士団長様!? これは違うんです、私はただ荷物を……!」

「問答無用ッ! 貴様のそのにごりきった瞳が、下卑た情欲を雄弁に物語っておるわッ! ちりかえれッ!」


 ドォォンッ!


 フレアの拳圧が、配達員の足元の石畳を打ち砕いた。

 物理法則を無視した爆風が発生し、配達員は悲鳴を上げる間もなく、荷物もろとも空の彼方へと星になった。

 ……あ、荷物だけは吹き飛ぶ直前にフレアがひょいと回収していた。


 フレアの過剰防衛により、配達員は物理的に排除(強制返品)されたのだった。


(なお、郊外の牧場の、ふかふかの干し草の上で目を覚ました彼が、「あれ、僕、誰に全財産を捧げようとしてたんだろ……?」と首をかしげることになるのは、また別の話)



        * * *



「……というわけでな、二度とあのような不埒ふらちな輩を寄せ付けぬよう、これを買ってきた」


 フレアは、戦場から戻った女傑のような凛とした顔で――実際、一戦交えてきたのだが――腰のポーチから小さな包みを取り出した。

 包みを開くと、中から出てきたのは銀色に輝く鎖だった。その先端には、複雑な紋章が刻まれたペンダントトップが揺れている。

 窓から差し込む陽光を反射し、神々しいまでの輝きを放っていた。


「ジャーン! 見よ、この輝きを!」


 フレアは効果音付きでかかげてみせた。


「これは王都で一番の魔法道具屋を脅し……説得して特別にゆずってもらった、対呪い・魔除け用の最高級魔道具。『聖銀の首飾り(ミスリル・チョーカー)』だ!」


 少女の表情がこわばった。

 銀色に輝くその鎖を見た瞬間、全身の毛羽が逆立つような悪寒おかんがしたのだ。

 それは見た目のせいではない。本能が警鐘けいしょうを鳴らしている。

 あれは毒だ。近づくだけで肌がピリピリと焼けつくように痛み、のどの奥が焦げたような味がする。


(怖い……それはダメ、絶対にダメ!)


 必死に首を振り、後ずさる。

 全身を使って拒絶を示す。


「む? どうした。……ああ、そうか! 遠慮しているのだな?」


 フレアがポンと手を打った。


「確かにこれは城が一つ買えるほどの値段だが、貴様の安全には代えられん。金などまた稼げばよい。さあ、遠慮なく受け取るが良い!」


(違う、値打ちじゃない! 命の値段の話!)


 フレアは少女の拒絶を「健気な遠慮」と解釈し、さらに踏み込んでくる。

 逃げ場はない。部屋の隅に追い詰められた少女に、フレアの手が伸びる。


「じっとしていろ。すぐに楽になるからな……」


(絶対楽にならない! 物理的に昇天しちゃう!)


「……ッ、……ぅぅッ!」


 少女は必死に声を絞り出そうとしたが、言葉にならない。

 チャリと冷たい金属音がした。

 聖銀の鎖が、少女の細い首に触れた――その瞬間。

 ジュッ、という音がした。

 熱したフライパンに水滴を落としたような、鋭い音。

 同時に、白い煙が上がり、焦げたような臭いが鼻を突く。


「……!!??」


(あきゃっ、あ、くああああ! 痛い、熱い!)


 声にならない悲鳴。

 痛みが神経を伝い、視界がチカチカと白く染まる。

 少女は、言葉にならない苦しみを全身で表しながら、床を転げ回った。


「な、なんだ!? 煙が……!?」


 フレアは慌てて首飾りを引き剥がした。

 カランと乾いた音がして、凶器が床に転がる。

 少女の首筋には、鎖の形にうっすらと、赤い火傷の跡が残っていた。


「……っ!」


 それを見た瞬間、フレアの思考は「驚き」よりも先に「後悔」で埋めつくされた。

 自分が与えたもので、この小さな体を傷つけてしまった。


「すまぬ……ッ! すまぬ、小さいの……!」


 フレアは床にひざをつき、震える少女を強く抱きしめた。

 理屈など後回しだ。ただ、その痛みを自分の体温でかき消そうとするかのように。

 そのやわらかな胸元に包まれると、鎖の痛みが少しだけ和らいだ気がした。


「痛かったであろう、怖かったであろう……! 私が、私が愚かだった……! まさか、聖なる加護さえも毒になるほど、貴様が深く傷つけられていたとは……!」


(……ぅ……ぐぅ……)


 少女は痛みに涙を流しながら、フレアの腕の中で小さくなった。

 フレアの体はわなわなと震えている。


「許せ。許してくれ……。二度と、二度と貴様を傷つけるものなど近づけさせん……例えそれが、神の威光であろうともだ!」


 その悲痛な叫びを聞きながら、少女は心の中で突っ込まざるを得なかった。


(いや、たぶん私が魔物そのものだからなんだけどね!? ただの相性なんだけどね!)


「……おお……おおお、なんという業の深さか……」


 フレアは少女の頭をなでながら、号泣した。

 だが、すぐに我に返る。

 泣いている場合ではない。まずは、この痛々しい傷を治さねばならない。


「少しみるかもしれんが……じっとしていてくれ」


 フレアはポケットから小さな小瓶を取り出した。軍用の最高級軟膏なんこうだ。

 蓋を開け、指先に少しだけ取る。

 ひんやりとした感触が、少女の赤く腫れた首筋に触れた。

 

 すると、焼けるような痛みが嘘のように引いていく。

 魔法薬の効果は劇的だった。数秒もしないうちに、少女の涙は止まり、落ち着きを取り戻した。


「……よかった。傷跡は残らぬようだ」


 安堵の溜息をつくと、フレアは今度は聖銀に触れさせないよう、細心の注意を払って少女を腕に収めた。


「神も、教会も、聖なる加護も、貴様を救えぬというのなら……私が救う」


 フレアは落ちていた首飾りを拾い上げる。

 そして、子供向けの、その細く狭いチェーンを、あたかも自分への戒めであるかのように、首に強く巻きつけた。


「こうすれば、貴様に近づく邪悪な気配は私が察知できるし、貴様に降りかかる災厄の身代わりにもなれよう」


(……ぁ……)


 涙にぬれた目で見上げた。

 フレアの目に宿っているのは、狂気にも似た使命感。

 けれどそれは、世界中でたった一人、自分を絶対に傷つけまいとする意思でもあった。


「良いか、小さいの。外の世界は、もはや貴様にとって毒でしかない。……教会も、お守りも、男たちも、すべてが貴様を傷つける刃だ」


 フレアは立ち上がり、鎧戸をガシャンと閉め切った。

 部屋が薄暗くなる。


「もう、無理に外へ出る必要はない。私が食料も、衣類も、絵本も、すべてを買い揃えよう。貴様はこの屋敷の中で、ただ息をして、笑っていれば良いのだ」


 すがるような、けれど有無を言わせぬ圧力。

 少女は、そのあまりに純粋で、あまりに自分勝手な愛におののくと同時に、不思議な安心感を覚えてしまった。

 外に出れば、また配達員のような犠牲者が出る。教会に行けば神父がおかしくなる。お守りをつければ体が焼ける。

 ここなら、少なくとも「命」はある。

 この人はお節介で、勘違いが激しくて、ちょっと怖いけれど。決してわたしを殺そうとはしない。


(……うん。もう、これでいいや。これがわたしの、幸せな引きこもりライフなんだ)


 少女はあきらめにも似た境地で、コクンとうなずいた。

 不意に、壊れた玄関の方から、カチャリと瓦礫がれきを踏む冷静な足音がした。


「相変わらずですね、フレア。家に入るのに扉を壊す必要があるんですか?」


 入ってきたのは、銀縁の眼鏡をかけた理知的な女騎士だった。

 フレアの同僚であり、数少ない友人のカレンだ。

 彼女は半壊したドアをあきれたように眺めつつ、散歩のついでに立ち寄ったかのような気軽さで部屋の中へ入ってきた。


「カレンか。……ふん、緊急事態だったのだ。貴様のような頭でっかちには分かるまい」

「はいはい。……で、その子が例の?」


 カレンの鋭い視線が、少女に向けられた。

 少女はビクリと肩を揺らす。

 眼鏡の奥の目は、フレアのような熱情ではなく、冷徹な観察者の光を帯びていた。

 この人なら。この賢そうな人なら、フレアの暴走を止めてくれるかもしれない。正体を見抜かれる不安はあるが、同時に期待も芽生える。


 カレンはあごに手を当て、少女をじっくりと観察した。

 そして、重々しく口を開いた。


「なるほど……フレア、貴女の言う通りです。この子は……危険すぎます」


(えっ……?)


 見抜かれた、と少女は息を呑んだ。

 だが、続く言葉は予想の斜め上だった。


「このあどけないな瞳、守ってあげたくなるような愛らしさを感じる容姿。これはもはや、存在自体が『男という種族に対する爆薬』ですよ。放っておけば、国中の男が理性を失って、内乱が起きますね」


(……そっち!? 賢そうなのに、結論がフレアさんと同じなの!?)


 カレンもまた、フレアとは別のベクトルで「重度の男嫌い」であり、その結論はフレアのそれと合致してしまった。


「だろう!? カレン、貴殿なら分かると信じていたぞ! 先ほども配達員を名乗る暴漢が、この屋敷を陥落させようとしていたのだぞ!」

「恐ろしいですね……。フレア、こうなったらこの子に『強力な魔除け』を持たせるべきです。男を物理的に寄せ付けないタイプのものを」

「試した! だが、この子の傷はあまりに深く、聖なる加護さえも拒絶したのだ……ッ!」


 フレアが涙ながらに訴え、自分の首の聖銀を見せた。

 カレンは目を見開いた。


「なんてこと……。それほどまでに……? なんて業が深いんでしょう。まるで小さな悪魔(リトル・デビル)にでも魅入られたかのような……」


 その何気ない一言が、フレアの逆鱗に触れた。


「……訂正しろ」


 部屋の温度が氷点下まで下がる。

 少女はヒエッと息を呑んだ。

 フレアが抜剣寸前の姿勢で、親友であるはずのカレンをにらみつけていた。その目には、冗談の一切通じない殺気が宿っている。


「え?」

「悪魔などではない。この子は、獣どもに食い物にされかけた、尊き犠牲者だ。……その魂の悲鳴が、貴様には聞こえんのか!」

「え、あ、ごめんなさい。ただの例え話……」

「例えでも許さん。今後、この子の前で『悪魔』『魔物』『誘惑』等の単語を発した場合は、その舌を引き抜く」


 カレンの顔が引きつった。本気だ、と悟ったのだろう。


「わっ……! わ、わかりましたっ! 過保護にも程がありますよ……」


 カレンはこれ以上ここにいては命に関わると判断したのか、「……失礼します」とだけ言い残し、足早に去っていった。

 だが、その胸中では、ある計画が構築されていた。


(……このままでは情操教育によくない。早急に、フレアに『教育』を施すよう誘導しなければ……!)

 

 カレンの眼鏡の奥が、冷徹な策謀の光を放ったことを、少女はまだ知らない。

 まさかその策謀が、結果としてフレアの「偏った教育」を招くことになるとは、誰も予想していなかった。



 閉ざされた扉――壊れて歪んでしまった――を見つめながら、少女はそっとため息をついた。


(カレンさん……。その『小悪魔』って評価、実は大正解なんですよ。……でも、もう絶対に言えない空気になっちゃった)


 少女は、首に残った火傷の跡をそっとなでた。







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社会から切り離された二人だけの時間は、温かな幸福と引き換えに、少女から「外の世界」で生きる術を奪っていく。

次回、鉄壁の引きこもり生活に、新たな彩りが加えられる。明日の20:14公開!

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