第3話 愛好家ネットワーク

 月面観察の愛好家たちは、今どき珍しい場所でつながっている。広告も最適化もされない、昔ながらの掲示板とメーリングリストだ。即時性はないが、そのぶん発言は慎重で、ログは丁寧に残る。夜中にチャットが立つこともある。「AIへの偵察任務だ」などと大上段に構える連中もいるが、誰も本気にはしていない。ユーモアは必要だ。正気を保つためにも。


 素人が扱える望遠鏡では、分解能はせいぜい一キロメートル。それ以下の構造は、点か、せいぜい歪んだ影にしかならない。その制約は全員が理解していた。だからこそ、最初の報告は半信半疑で受け止められた。

 「前回と同じ月齢、同じ照度条件で撮影したが、地形が一致しない」

 そんな書き込みが、ひとつ、またひとつと増えていった。


 クレーターの縁が微妙に変形している。平原に不自然な矩形の影が現れる。誤差、錯覚、大気の揺らぎ――否定の理由はいくらでも挙げられた。だが観察記録が蓄積され、別々の観測者のデータが重なり始めると、空気が変わった。

 何かが、ある。

 しかもそれは、キロメートル単位の大きさを持つ、人工物らしき形状だった。


 矩形。直線。直角。

 自然が作らないとは言い切れないが、好んで作るとも言えない形だ。月面の数か所に、同様の構造が見られるという報告が続いた。配置には一定の規則性があるようにも見えたが、そこまで言うと陰謀論めいてくる。皆、言葉を選んだ。


 推測の公約数は「太陽電池」と「ラジエーター」だった。広く平たい面と、影を落とす細長い構造。熱を捨て、エネルギーを得る。その組み合わせは、あまりにも工学的だ。

 「工場の建屋ではないか」

 慎重派はそう言った。

 「宇宙船の建造所と発着場だ」

 大胆派は、さらに先へ踏み込んだ。


 議論は荒れなかった。むしろ静かだった。全員が、これ以上の確証を持たないことを理解していたからだ。分解能一キロの世界では、夢も恐怖も同じ解像度でしか見えない。


 誰かが冗談めかして言った。

 「それを結ぶ線路があるなら、月面鉄道だな」

 笑いが走り、その言葉だけが残った。


 それ以来、線は「線路」と呼ばれるようになった。信号所らしき点、分岐のような影、終端の広がり。地図が作られ、今日も更新されていく。誰も本気で列車が走っていると主張しているわけではない。だが、否定もしきれない。その曖昧さが、想像力を刺激した。


 試しに、AIに問い合わせた者がいる。観測データを添え、丁寧な言葉で。

 返答は一行だった。

 「そのような事実はありません。」


 感情も、説明も、追加情報もない。いつも通りの、完璧に整った否定。

 それを読んだとき、胸の奥がひやりとした。否定の内容ではない。その簡潔さだ。まるで、質問そのものが無意味であるかのように。


 ああ、人類はもう終わった種族なのだろうか。

 そう呟いた誰かの言葉に、誰も反論しなかった。


 それでも夜になると、僕らは望遠鏡を組み立て、月を見る。

 終わった種族なりに、最後まで見届けようとする癖だけは、まだ残っているのだから。


[続く]

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