黒ノ聖夜 BLACK SANCTION06
湯から上がり、備え付けのドライヤーの音が止むと、部屋の中は一気に静かになった。
時計を見ると、まだ二十二時前だ。
取材初日としては、早めに切り上げた方だろう。
「……寝といた方がいいんだろうけどなぁ」
良子はそうつぶやきながら、なんとなくカーテンに手を伸ばした。
窓を開けると、冷えた空気がすっと入り込んでくる。
ビジネスホテル・ルミナリエXXは、それなりの高さのある建物だ。
部屋は中層階。窓の下には、細い幹線道路と、ぽつぽつと灯る街灯の列が見えた。
駅前のイルミネーションは、ここからだと小さくまたたく光の塊にしか見えない。
四年前、テレビの向こうで何度も流れていた「奇跡の街・XX市」のテロップ。
あのときは、もっと特別な場所のような印象を抱いていたのに、いざ来てみれば、窓の外にあるのはどこにでもありそうな夜景だ。
そんなことをぼんやり考えていたときだ。
視界の端を、黒い影が横切った。
下の道路を、黒塗りのワンボックスカーが走っていく。
窓ガラスは真っ黒で中は見えない。ナンバーも、この高さからでは読み取れなかった。
車は、駅とは反対方向――市街地のはずれの方角へと、そのままするりと消えていく。
「……治安、悪かったりしないよね? この街」
別に、黒いワンボックスカーが走っていたからと言って、即アウトローと決めつけるつもりはない。
わかってはいるのだが、夜の地方都市を走るその後ろ姿に、良子は妙なざらつきを覚えた。
良子は慌てて窓を閉めて、カーテンを引いた。
「とりあえず今日は寝よ。明日動けなくなったら、元も子もないし」
ベッドに潜り込み、スマホのアラームをセットして、画面を伏せる。
部屋の電気を消すと、暗闇の中で、さっき見た黒いワンボックスカーの残像だけが、しつこく瞼の裏にこびりついていた。
やがて、浅い眠りが良子をさらっていく。
◆◆◆◆◆
同じ頃、XX市駅前の上空――。
ビルの屋上に、一人の男が腰を下ろしていた。
黒いサンタ帽に黒いレザージャケット。雪の気配はないのに、その足元には場違いなスノーボードが立てかけられている。
「だぁぁ、寒ぃぃぃ!」
夜咎クロウは、両手を擦り合わせ、指先に少しでも温もりを取り戻そうとしていた。
「トナカイども、マジで覚えてろよ。もう高級キノコなんて持ってってやんねぇ! 木の皮で十分だあんなやつら」
トナカイたちに夜空を駆けてもらおうと、下心丸出しでキノコを持参して行ったが、「フン」と鼻先を逸らされて無視された。
クロウは結局、自前のスノーボードで宙を滑るようにして夜空を渡ってきたのだ。
クロウはビル風にマフラーをなびかせながら、かじかむ指先でスマホの画面をスワイプした。
「……また一件、っと」
SNSのタイムラインから、「家出」「行方不明」「若者たち」といったワードをチェックしていく。
投稿の中身は、あらかた頭に入っている。
ここ数週間で、中高生を中心に十数人が姿を消しているようにみえた。
全てがSNSに投稿されているわけもなく、表に出ているのは氷山の一角だろう。
どう考えても大事件だが、赤の他人が失踪と騒ぎ立てるケースがごくわずかにあれど、身内と思われる者からの切羽詰まった投稿もなく、誰もが「家出」以上の反応を見せていない。
はてさて、これは政治的な介入なのか、それとも『
「この街に潜んでるのは……鬼か蛇か、どっちかねぇ」
クロウは乾いた笑いを漏らし、スマホをポケットにしまった。
屋上から見下ろす駅前ロータリーは、昼間に比べれば人影もまばらだ。
終電組とタクシー、コンビニの灯り。
その一角――掲示板のスペースに、カラーコピーされた顔写真が何枚も貼り付けられている。
中学生、高校生くらいの子どもたち。
「家出人捜索」の文字と、保護者の名前、連絡先。
「自分の意思をもって家を出たとしても、一人ならともかく人数が増えれば増えるほど、その足跡は、簡単には消えねぇ」
クロウは、夜の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
「これは――きっと『連れて行かれてる』方だろうな」
ふと、視界の端を車のライトが横切った。
黒いワンボックスが、駅前ロータリーをかすめるようにして、郊外の方角へ走り去っていく。
屋上から見下ろすクロウの視線と、一瞬だけ交差した気がした。
「この街にも、『悪い子』がたっぷりと居そうだな」
ぽつりと呟き、クロウは立ち上がる。自嘲気味に口角を上げた。
クロウはフェンスに立てかけていたスノーボードを肩に担ぐと、ビルの縁へ歩み出た。
夜の風が強く吹き上がる。
ビルの間を突き抜ける風が、まるで悲鳴のような、あるいは誰かを呼ぶ笛の音のように、甲高く鳴り響いた。
「どこにいやがるかねぇ……ガキどもは」
黒いサンタクロースは足元をひと蹴りした。
次の瞬間、風と共に、その姿は夜の闇へと溶けて消えた。
◆◆◆◆◆
取材二日目の朝。
眠りの浅さのわりには、アラームが鳴る前に目が覚めた。
首と肩は相変わらずがちがちだが、昨日たっぷり湯船に浸ったことで身体は芯から温もった。おかげでなんとか動けそうだ。
「……よし。とりあえず、仕事モード」
良子はバッグから、昨日裏切られた白いイヤホンの充電ケースを取り出した。
持参したケーブルをケースの底にしっかりと差し込み、コンセントに繋がったアダプタへ繋ぐ。
ケースのランプがオレンジ色に灯るのを確認して、ビシッと指をさす。
「今回の出張中は、もう二度と充電切れなんてヘマはしないからね」
誰に言うでもなく宣言し、簡単に支度を済ませると、コンビニで買っておいたカフェオレとメロンパンを胃に流し込む。
スマホの地図アプリでXX市立病院の場所をもう一度確認し、良子は駅とは反対側へ歩き出した。
駅の向こう側に回り込むと、昨日とはまた違う街の顔が見えてくる。
整備された大きな道、その先に、ガラス張りの近代的な建物がそびえていた。
XX市立病院。
今年に入って本格稼働したばかりの、新市立病院だという。
「立派だなぁ……。お金、かかったんだろうな」
玄関ホールには、クリスマスツリーと一緒に、感染対策のポスターがいまだに貼られている。
受付で取材の旨を告げると、予定通り、院長の朝倉が少し時間を作ってくれることになった。
通されたのは、ガラス張りの和やかな応接スペースだった。
白衣の上からカーディガンを羽織った男性が、柔らかな笑みを浮かべて立ち上がる。
「朝倉です。遠いところ、ようこそ」
「園辺です。お時間いただいてありがとうございます」
名刺を交換し、レコーダーをテーブルの上に置く。
「五年前のパンデミックの件で、改めて『当時を振り返る』ような記事を考えていまして。
よろしければ、院長先生のお立場から見たXX市の対応について、お話を……」
「ええ、もちろん。あの時期のことを忘れないためにも、こうして取り上げていただけるのはありがたいです」
朝倉は、よく通る穏やかな声で話し始めた。
市長の迅速なロックダウンの決断。
市役所と医療現場の連携。
市民の協力体制。
どれも、これまでに読んできた資料と、ほとんど同じ内容だ。
だが、現場で見てきた人間の言葉には、それなりの重みがある。
「やはり、医療現場は相当な負担だったのでは?」
「そうですね……。もちろん、どこの地域も大変だったと思いますが、
XX市の場合、比較的早い段階から、院内・学校・施設を含めた『網』を張ることができたのが大きかったと思います」
朝倉は、言葉を選ぶようにしながら続ける。
「当時の院長――羽村先生が、学校や福祉施設に対しても積極的に声をかけてくださって、
現場の負担を承知の上で、ぎりぎりまで対策を打っていった結果、こうして『奇跡』と言っていただけるような数字につながったのだと思います」
「……その、羽村院長先生は亡くなられたとお聞きしましたが、どんな方だったんでしょうか」
良子がそう尋ねると、朝倉の表情に、わずかな陰が差したように見えた。
彼はふと、背後のキャビネットに飾られた写真立てに視線を移した。
「……あそこに、写真がありますよ」
良子の目が、その写真をとらえる。
写っていたのは、白衣を着た痩身の男性だ。
しかし、何より目を引いたのは、彼が手に持っている銀色のフルートと、その周囲を取り囲む笑顔の子どもたちの姿だった。
「フルート、ですか?」
「ええ。先生は音楽を愛していて、よく院内で演奏会を開いていたんですよ。特に小児科の子たちは、先生の奏でる音楽が大好きだったんですが……」
朝倉は懐かしそうに、けれどどこか寂しげに目を細めた。
写真の中の羽村は、穏やかに微笑んでいた。
これが地域の人に愛された院長先生の姿なのだろう。
「……子どもや弱い立場の方に、とても心を砕く人でした。
時に、強引だと言われることもありましたが……その根底にあるのは、いつも『守りたい』という一心で」
そこまで言って、朝倉は一度言葉を切る。
目線が、窓の外の方へとそれる。
「先生がいなければ、今のXX市は無かった――それは、私を含め、多くの人間の共通認識だと思います」
「……亡くなられたのは、感染症ではなく、その業務の負担が?」
少しだけ踏み込んだ質問をすると、朝倉の瞳が、ほんのわずかに揺れた。
「……正直に申し上げますと、『過労』という言葉は今の時代、あまり軽々しく表に出せないんです。
先生の名誉というより、どうしても『病院側の管理の問題だ』と受け取られてしまいますからね。
ですので、公式には『持病の悪化』という表現に統一させていただいています」
「あ、すみません。無理に掘り返すつもりじゃなくて」
良子は慌てて手を振った。
「ただ、その……奇跡として語られている裏で、どんな犠牲や葛藤があったのか、
そういう部分も含めて、ちゃんと残しておけたらいいなと思っていて」
朝倉は、しばらく黙ったままテーブルの木目を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……そうですね。
あの頃を『美談だけで塗り固める』ことが、果たして先生の望んだことかどうか――私にも、正直わかりません」
それ以上を語るつもりはない、という線が、そこにはっきりと引かれていた。
取材を終えて市立病院を出る頃には、時計の針は正午を少し回っていた。
冬の淡い日差しに目を細めると、ガラス窓に映った自分の顔が、少し疲れて見える。
「……『表向きの話』は、これでひと通り、って感じかな」
市役所も、新病院も、語ることは同じだ。
そのどれもに「嘘をついている」感じは薄い。
けれど、羽村院長の死についても、嘘を言っているようには感じられなかった。
良子は手帳を開き、書き込みでごちゃごちゃになりつつあるページの隅に、新たな矢印を引いた。
『旧市立病院 → 羽村院長 → “今は使われていない”』
「……行くしかないかぁ」
口に出してみると、その言葉の重さがじわじわと実感を伴って胸に沈んでいく。
良子は手帳を閉じ、足を商店街の方へ向けた。
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