黒ノ聖夜 BLACK SANCTION07

 駅から少し離れた住宅街を抜けると、古い小学校の校舎が見えてきた。

 ちょうど下校時間なのか、子どもたちが楽しそうに話しながら校門を出ていく。


「まだ教室でマスクしてる子、けっこういるよな」

「インフル流行ってるからじゃねーの?」

「うちさ、ばあちゃんと一緒に住んでるから、外すなって言われてる」

「へー。……まあ、心配な人は心配なんだろ」

「ねーねー、昨日ゲームのさ――」


 交わされる会話の端々に、五年前の名残のような単語が混ざる。

 良子は邪魔にならないように道の端に寄り、彼らの列が通り過ぎるのを待った。


「なーなー、知ってる? このへん、夜になると幽霊が出るんだって!」

「えー、なにそれー」

「ピーピーって音を鳴らしながら、来るんだってさ」

「うっそだー。お前んちの親父のイビキだろ」


 あっけらかんとした笑い声と一緒に、怪談めいた話はすぐにかき消される。

 残されたのは、風に揺れる木の枝の音と、遠くを走る車の気配だけだ。


「……幽霊、ねぇ?」


 子どもらしいなぁと思いつつも、昨夜、ホテルの窓から聞いたような気がした音が、頭の片隅で重なる。

 寒さに肩をすくめながら、良子は小学校の脇道を抜け、少し坂を登っていった。


◆◆◆◆◆


 丘の上に、それはあった。


 フェンスでぐるりと囲まれた、灰色の大きな建物。

 窓のいくつかは板で打ち付けられ、外壁には黒ずんだ雨だれの跡が筋を作っている。


 関係者以外立入禁止――と書かれた看板が、風に揺れてカタカタと音を立てた。


「……これが、旧市立病院」


 良子はフェンスに近づき、隙間から中を覗き込んだ。


 駐車場だったらしい広いスペースには、雑草が伸び放題になっている。

 救急車用の出入り口だったであろうスロープも、そのまま朽ちていた。


 さすがに、一人でフェンスを乗り越える度胸はない。

 そもそも、記者としてやっちゃいけないラインだ。


「取材で廃病院不法侵入とか、シャレにならないし」


 自分に言い聞かせるように呟いて、良子はスマホで外観だけを何枚か撮った。


 羽村史郎。

 奇跡の街。

 過労死。

 新病院。

 そして、この解体されないまま残された旧市立病院。


 断片的な単語が、絡まるように頭の中でぐるぐると回る。


「どこから、ほどけばいいんだろ」


 手帳を開いてメモを書き足そうとした、その瞬間だ。


 ビュウ、と強い風が丘を駆け抜けた。

 金網ががたがた鳴り、看板がきしむ音に紛れて――ほんの一瞬、あの音がした。


 ピィ……と、笛のような、か細い音。


 良子は顔を上げた。


 だが、病院の窓はすべて暗く、誰もいない。

 音もすぐに消えてしまい、今はただ、冬の冷たい風だけが吹いている。


「……気のせい、だよね」


 そう言い聞かせて、手帳を閉じた。


「ひとまず今日は外観だけ。中に入るのは、ちゃんと筋を通してから、かな」


 取材申請の宛先を頭の中で考えながら、良子は丘を下りはじめた。


◆◆◆◆◆


 その夜、XX市の人気ひとけの少ない駐車場で、夜咎クロウは胡座をかき、ファーストフードでテイクアウトした紙袋を開いた。

 クロウの正面には、顔を腫らせた少年三人――襟足長めの金髪、丸坊主、刈り上げの黒髪の三人が、大人しく正座をしていた。


「悪い子には、芋ってな。ポテト食うか?」

「ちょうだいいたします!」

 三人はきれいに揃って、アスファルトに額を擦り付けた。


「反省したかー、お前ら」

「はい! 今後は良い子になると誓います!」

 クロウは満足そうに頷くと、少年たちにフライドポテトを配った。

 少年たちは正座を解いて、クロウの周りに胡座をかいて座り直す。


「コンビニだってな、経営大変なんだよ。万引きって軽い言葉になってっけど、それ窃盗だからな?

 たまたま俺が止められたからいいけどよ」


 少年たちは顔を見合わせて、その時のことを思い出す。

 商品棚からガムを掴んで懐に入れた瞬間、どこからともなく鎖が飛んできて首に巻き付き、そのまま床に叩きつけられた。

 勢い余って棚は倒れ、店主が血相を変えて飛んできて――クロウが鈴を取り出し、なにやら店主に言っていたことだけは覚えている。


「あの……クロウさん、俺たち、コンビニの棚までぐちゃぐちゃにするつもりは無かったんです! 本当にすんませんした!」

「お、おう……あれは、その。気をつけろよ。お前らが悪いことしなけりゃ、あんなことにはならなかったんだからな。

 ――まあ、修繕費とかは気前のいいサンタクロースが出してくれるから、気にすんな」

「あざっす!」


 頭を下げながら、少年たちはフライドポテトを口に運んだ。


「ところで、お前らさ。最近、友達とかで居なくなったヤツいねぇ?」

 クロウは大きな口でバーガーにかぶりつく。


「学校サボってるからわかんねぇっす!」「オレも!」

「……お前ら明日から真面目に行けよ」

「うす!」

 軽いノリの二人に、クロウは呆れたようにため息をついた。


 その横で、一人だけ真面目に手を挙げる少年がいた。


「俺、皆勤賞狙ってんすけど――」

「は?」「マジで?」

「いや、お前たちが驚くんかい。……すまん、続けて」

 クロウは刈り上げの少年に手を差し出して、話を促す。


「確かに最近、クラスメイトの欠席が目立つっすね。

 先生たちは『インフル流行ってるから気をつけろ』って言うだけだから、ただの長い病欠なのかと思ってたっすけど――」


 皆勤賞を目指しているという少年は、少し言い淀んでから続けた。


「でも、なんか……おかしい気もするっす。

 欠席してるヤツの名前言っても『覚えていない』やつがいたり、なんか当たり前のように今の状況を受け入れてるというか――」


「ふうん?」

 その言葉にクロウの眉がピクリと動いた。


「あと……これ、笑い話かと思ってたんすけど」


 少年は、ポテトをつまんだ手を止め、小さく声を潜める。


「放課後さ、どこからともなく、笛みたいな音と共に幽霊がやってくるって。

 その音がすると、夜中に幽霊がガキを連れて歩いているって、下の学年のやつが言ってて」


「お化けかよ、怪談ネタとしてダサくね?」「夜中とか俺らも出歩いてんじゃん」と、横の金髪と坊主が茶々を入れる。

「そいつは普段から冗談も言わない真面目な奴なんすけど……。でも、言ってたそいつも今、学校来てねぇっす」


 その一言に、クロウの目が細くなる。


「幽霊……ねぇ」


 さっきまで肩の力を抜いていた男の声に、わずかに温度の違う響きが混じる。


「場所、わかるか?」

「どこで出たかまでは……でも、居なくなったやつの家ならわかるっす。翔流かけるって奴なんすけど、学校近くのたこ焼き屋なんで」


「おう、ありがとな。……へっ、夜な夜な下手くそな口笛の練習でもしてんのかね?」


 クロウは鼻で笑って立ち上がった。

 紙袋を軽く振ると、底にはまだポテトが少し残っている。


「よし。じゃあ、これ食ったら、真っ直ぐ家帰れ。二度と変な悪さすんな」

「うす!」「ありがとうございました!」「マジで反省してます!」


 少年たちの頭をぞんざいにひとなでしてから、黒いサンタクロースは少年たちの目の前で、黒い鈴を鳴らす。

 しゃんしゃんという音に、少年たちの瞳がぼんやりとする。さっきまでの高ぶりと一部の記憶が、ふっと抜けていく。

 その中で刈り上げの少年だけが驚いたように、きょろきょろと二人の顔を見比べていた。

「おっと、たまにお前みたいに耐性あるやつがいるんだよな。お前もちゃんと忘れろよ」

 改めて目の前で黒い鈴を振り、その少年の顔色を見ながら満足そうに頷いた。


 クロウは「よっこらせ」と立ち上がると、

「もう、善悪のボタンかけ間違えんなよ」

 そう一言だけ告げて、その場を後にした。

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