第4話 二人の出逢い

04.二人の出逢い


 彼が一歩踏み出した瞬間。


 僕の肌に、とても微かな温度の変化が触れた。まるで冬の小さなストーブが、遠くで一瞬だけ灯ったみたいな、やわらかい上昇。


 教室の空気は一定のはずなのに、そこだけ春の陽だまりが差し込んだように暖かい。


(……あったかい?)


 わずかな違和感を追いかけるように、僕は視線を霧ヶ峰さんへ向けた。


 彼女は静かに、まっすぐに彼を見ていた。


 黒髪が淡く光を吸い込んでは、そっと返すように揺れている。表情は変わらない。けれど、瞳の奥にほんのわずか——


 水面に落ちた小石が、小さな波紋をひろげるような揺らぎが生まれていた。その揺らぎに

合わせるように、彼女の周りの空気だけが、ほのかに温かかった。


 これは、ただの室温変化なのか?理由はわからないが、僕は背筋を伸ばした。


 彼は教室中の視線を一身に受け、女の子たち全員に次々と声を掛けながら、窓際一番後ろの席に向かっていく。


「里奈、おはよう!今日のメイクは特にかわいいね」


 名前を呼ばれた女子が、照れ隠しのように笑い声を漏らす。


「麻衣もちゃんと登校してるじゃん、えらいぞ!」と言いながら頭ポンポン。


 距離の詰め方があまりにも自然で、まるで家族のような、幼馴染のような。でもそれでいて女子全員に平等に向けられているのだから驚きだ。


「今日の放課後に沙友里の応援に行くよ」

「何々?七瀬の話は何でも聞くよ」


 ひとりずつ顔を見て、名前を呼んで、それぞれに合わせた言葉を返していく。


 驚くべき記憶力で、ちゃんと会話が成立しているようだ。


(クラスのアイドル……か?いや、それ以上に、何か……特別な雰囲気があるよな)


 どうやらただのイケメンではないようだ。周囲の空気を自然と明るくし、人を惹きつける何かを持っていた。


 先生は慣れているのか静観しているようだ。確かにこの騒ぎはなかなか収まりそうにない。


 そして、彼の目線が霧ヶ峰さんに向いた。二人の出逢いで、空気の温度がふわりとさらにひとつ上がった。


「おはよ、桜。今日も笑顔がまぶしいな」


 霧ヶ峰さんは、静かに微笑んだ。


「雪村さん、おはようございます。それよりもそろそろご自分の席に着席されたほうがよろしいのでは?」


 声色は柔らかい。けど彼はほんの少したじろいだように見えた。


「お……おう、そうするか」


 霧ヶ峰さんが放つ、太陽のような笑顔はそのままなのだが、少し作り物のような印象を受ける。寒気を覚えるような感じだ。


 僅かな違和感と、肌の温度が連動している気がして、思わず霧ヶ峰さんのほうを見た。


(いや……、実際少し寒くなった?)


 ついさっきまで霧ヶ峰さんの周囲は暖かかったのに、今は逆に空気が引き締まっているように感じる。


 檜山くんが、やれやれといった顔で小さくため息をついていた。


「はいはい、そろそろ挨拶も終わったでしょ?雪村くん、早く席について」


 上野先生が明るく声をかけると、彼は振り返り、ニヤリと笑った。


「枝里子ちゃん、おはよ。年下の旦那とはうまくやってる?」

「えぇ、ちゃんとラブラブですからご心配なく。早く座って」


 みんなの笑い声が響く中、彼はひらひらと手を振りながら再び軽やかに歩を進める。彼は女子へ軽く笑みを返しながら歩き、僕の席の横で——突然、立ち止まった。


 空気がぴたりと止まる。


 背筋がひやりとした。


 さっきまでのヘラヘラした表情ではなく、真面目な顔で僕をじっと見つめる。目が合った瞬間、底なしの深さを持った瞳に飲まれそうになった。


 まるで教室の中で僕と彼だけが別の時間軸に取り残されたようだった。


 ゆっくりと視線が絡む。光の奥に闇のような静けさが揺れている。


 一瞬の沈黙。でもその一瞬が永遠にも感じられた。


 彼の視線の強さに、思わず息を止める。自分の秘密までもが見透かされるかのような錯覚を覚える。


(な、なんだ……?)


 初対面のはずなのに、まるで“何度も会ってきた人”のような不思議な感覚。


 不思議と怖くない。むしろ心の奥の柔らかい部分を指でそっと触られるような、そんな心地よさがあった。


 彼は口角を少しだけ上げて、静かに言った。


「……なるほど。やっぱお前、持ってんな」

「え?」


 聞き返す間もなく、彼は続けた。


「俺は小之野雪村(おののゆきむら)。よろしくな」

「お、小之野くん?——こちらこそ、よろしく……」

「小之野は呼びにくいだろ?雪村でいいよ、みんなそう呼んでる」

「あ……じゃあ、雪村くん……。よろしく」

「おう!よろしくな、大祐」


 いきなりの名前呼び。距離の詰め方が速すぎて、頭がついていかない。けど嫌ではなかった。むしろ胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。


 さっさと自分の席へ向かうその背中を見送りながら、僕は胸の奥で何かがざわりと動くのを感じた。


 よくわからないけど、どこか懐かしい。自分でも説明のつかない“始まりの気配”。


(……この人とは、今後もきっと関わることになる……のか?)


 何の根拠もなく、ただ直感だけが、はっきりとそう告げていた。

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2025年12月27日 19:00 毎週 火・木・土 19:00

穢祓師 ~Xblades~ 早谷 蒼葉 @yukimura49

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