第2話 空気感

02.空気感


 白い校舎は朝日を浴びて輝き、風が通り抜けると、空気が変わったように感じた。そして校門をくぐった瞬間——


「……え?」


 胸の奥にあった重さがふっと消えた。息が深く吸える。聞こえていた雑音が薄れ、頭の中がクリアになる。


(なんでだろ……すごく楽だ)


 建物の中に入るほど、空気感が柔らかくなる。まるで、この場所が僕を歓迎しているみたいだった。いつもなら息苦しくなるはずなのに、なぜかここでは平気だ。


 理由は分からない。でも、確かに楽だった。


 学校に着いたらまず校長室へ行けと言われていたので、その言葉に従い校長室の前まで来た。他とは違う重厚な扉をノックして相手の反応を待つ。


「どうぞ」という返事を確認してから校長室の扉を開けた。


 窓際の机に校長先生が座り、その横に教頭先生が立っている。そして見た事の無い若い女性も立っていた。


「おはようございます。真田大佑です」と入口で挨拶した。

「おはよう、真田くん。どうぞ、入って」


 初めて会った時から校長先生はとても気さくな人で、いつもニコニコしている。対照的に教頭先生は少し神経質そうな人だという印象を受けた。眼鏡の奥にある目が冷たい。年齢は校長先生よりかなり若そうだ。


「失礼します」


 校長先生に手招きされ机の前まで進む。


「父から預かった書類です」

「ご苦労様」


 今朝渡された書類を封筒ごと校長先生に渡すと、そのまま教頭先生に預けた。教頭先生が中身を取り出して目を通し始める。


「では真田くんに紹介するよ。彼女は担任の上野先生です」

「上野枝理子です。これからよろしくね」


 上野先生は少し前に出て、よく通る声で挨拶してくれた。優しそうで感じの良い先生だ。


「最初は色々と不安があるだろうけど、何でも相談してね」と微笑む。


 とても美人で、綺麗な黒髪のロングストレート。きっと生徒から人気のある先生だろう。


「校長、書類はこれで大丈夫です。不備はありません」

「ありがとう、教頭先生」


 確認の終わった書類を封筒に戻し、教頭先生は僕に向き直った。


「さて、真田くん。これで転入の手続きは全て終わったので、君はもう正式に本校の生徒です」

「はい、よろしくお願いします」

「新しい環境に慣れるのは大変かもしれないが、それを楽しみなさい」

「はい」と答えたが、それは難しい。

「この学校で真田君の一生を左右する出会いがあるかもしれない」

「……」

「そう考えるとワクワクしないかね?」

「よくわかりません」


 つい正直に答えてしまった。


「ははは、素直だね」


 校長先生は少し笑った後、真顔になり、僕の目を真っ直ぐ見た。


「真田くん、仲間をみつけなさい」

「仲間……ですか?」

「そう、仲間だ。心から信頼できる仲間はかけがえのないものだ。そんな出会いがいつ訪れるかは誰にも分からない。だからこそ、一つ一つの出会いを大切にしなさい」

「はい」


 僕の返事に満足したのか、校長先生はまた笑顔に戻っていた。


「そろそろ時間だね、教室に行きなさい。上野先生、お願いします」

「かしこまりました。じゃあ、いきましょう」


 校長先生達に一礼して、上野先生と校長室を出た。


 僕は今の言葉を思い返す。友達ではなく仲間をみつけろと校長先生は言った。そんなこと言われたのは初めてだ。友達と仲間の違いはなんだろう。


 特に意味はないのかもしれないが、僕の心に強く残った。


 始まりのチャイムはすでに鳴っている。


 廊下にはもう誰もいないが、教室の中からざわめきが聞こえてくる。廊下側の窓はすりガラスになっているので、教室内は見えない。つまり有り難いことに、向こう側からも上野先生と並んで歩く僕の姿は見えないことになる。


「真田くん、最初に簡単な自己紹介をしてもらうからね」

「はい、わかりました」

「うちのクラスはみんないい子ばかりだから、すぐに馴染めると思うわ」

「だといいですけど……」

「大丈夫、大丈夫」


 上野先生はフランクな感じで接してくるが、嫌な気持ちにはならない。好感度は増すばかりだが、僕の気持ちは重い。緊張もピークに達している。


 三階まで上がり、廊下を奥まで進んで行く。あっという間に僕たちは「三年一組」のプレートが掛かった教室の前に着いてしまった。


「ここが真田君のクラス、三年一組よ。準備はいい?」

「はい」と答えるしかない。

「ようこそ、大和中学校へ」


 上野先生はそう言って扉を開け、僕はその後に続く。クラス全員が注目しているだろうが、生徒とは目を合わせないようにした。


「起立、礼」

『おはようございます』


 挨拶が終わり、みんなが着席したのを確認してから、上野先生は話し始めた。


「以前話した通り、今日からクラスメイトが増えます」


 少し教室内がざわざわする。上野先生は後ろを向き、黒板に僕の名前を大きく書いた。


「真田大祐くんよ。みんな学校のことを色々と教えてあげてね。じゃあ、真田くんからも一言お願い」


 僕は軽く頭を下げた。


「真田大祐です。よろしくお願いします」


 視線が一斉に僕に集まる。教室中の空気が、肌に突き刺さる感覚は苦手だ。


 それぞれは小さな囁きでも、みんなの声が重なり、波のように押し寄せてきて呑み込まれそうになる。


 僕は早々に一礼した。


 そのとき——僕の視界の端で、ふわりと何かが揺れた。

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