第2話 のこされもの


 浅い、浅い沼だった。

 人が沈むには浅過ぎる水溜まりのような。

「なに泥遊びしているの?」

 妻のモエギが俺を見下ろしている。

「スズ義姉さんが消えたんだ」

 慌てると思った。

 山神の巫女は彼女で、山の手入れに走り回っていたのも彼女だから。

 山の手入れをするのが家と巫女の家の役割だから。

「スズ? 誰よ。それ」

 返ってきた声と言葉の冷たさに心が冷えた。

「アタシもアンタもひとりっ子じゃない」

 ひとりっ子?

 ソウマ兄もトウゴ兄もいるのに? 

 ……いるのに?

 ぐるりと記憶がブレる。ふたりの兄がいる記憶といない記憶。

 祖父母と両親に兄達。

 両親の失踪でスズ義姉さんの妹として迎え入れられたモエギと握手した日を覚えている。

 ソウマ兄にのぼせるモエギに苛立ってトウゴ兄と仲のいいスズ義姉にじゃれて仲の良さを見せつけてみたりした。

「え?」

 ついこぼれた声にモエギが呆れたようにため息を吐く。

「なにバカなコト言ってるの? アタシもアンタもひとりっ子。だからこんな山売り払って街で暮らそうって言ってるじゃない。信じられない金額で買ってくれるんですって。街で家を手に入れて十年は楽に暮らせる金額よ。街なら多少頑張ればアタシでもできる仕事が見つかるわ。ね。そうでしょ。シヅキ」

 なにを言ってるんだ?

 山神さまと闇神さまを祀っているのに?

 スズ義姉さんが手入れをしていたから週末に戻ってくるだけで闇神さまを山神さまが鎮めてくださっていたのに?

 そう、ソウマ兄が言っていたのをモエギも一緒に聞いただろう?

 いや、聞いてない?

 いない?

 兄達も義姉さんもいない?

 山神さまと闇神さまは?


『いないよ』


 浅い沼のぬるさがまとわりつくような錯覚を感じる。

「アタシとアンタの稼ぎを足せば街でだって生活できるわよ。あー、こんな限界集落以下の場所からはやく解放されたいっ!」

 モエギが呆れたような表情で手を差し出してくる。

「さっさとそこから上がりなさいよ。あんまりバカだとアタシアンタを捨てるわよ?」

「それは、いやだ」

 モエギが笑う。


『いかないよ』


「そうでしょ。だからはやくこんな山売っぱらうのよ」

「誰に?」

 モエギの手を掴む。


『だめだね』


「ちゃんと声をかけてもらったのよ。お義父さんやお義母さんのホーム代だっているでしょ。面会にいった時に側のカフェで、ね。ねぇ、なんであがんないの? ねぇ! シヅキ!? は、はなしなさいよっ」

 だめだ。

 だめなんだ。

 闇神さまは山神さまがいなければ。

 そして山神さまは巫女がいなければ。


『山神の巫女に子ができればよかったのに』


 やみがみさまの声が聞こえる。


『だめだね。つかえないね』


 モエギの手の温度だけがさいごまでのこる。

 誰かは知らない。

 その誰かは山を手に入れるのだろう。

 病み神さまのお心を乱した罰を受ける。

 ああ、それでも心が凪いでいる。

 自分のものでない手の温度。

 君を、モエギを他の誰にも触れさせはしない。

 なにもない人生できみだけを抱いていたい。




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巫女と一緒に異世界いったらレベル壱になった。豊穣の山神から迷宮魔神に転職。神使達が制御不能である。 金谷さとる @Tomcat

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