第10話 帰ってきたラナ


 パルディスに帰ってきたラナを迎えたのは、泣きながら怒っていたガウルだった。

 傷だらけのラナを見るや否や、自分の巣穴へと連れて行き、叫びながら自分の懐にラナを入れ、身体中を舐め、栄養のある果実や獣などを山のように採ってきては、巣穴の前に積んだ。

「ラナ! ラナ! だから言っただろう!! 人間を信用してはいけないと!! こんな傷だらけになって……! あぁ……でもよかった……お前が帰ってきてくれて……もう、会えないと思っていたよ……ラナ……早く元気になっておくれ……」

「ガウル……痛い……痛いよ……」

「そうだね、痛いね……でもすぐに良くなるからね……」

「いや、ガウルの舌が痛い……」

 ラナの声など届いていないようで、ガウルはがむしゃらにラナの傷を舐める。ラナはガウルの懐から抜け出そうとするも、ガウルの大きな毛むくじゃらの手で引き戻され、全身を舐められた。

「ねぇ、もう大丈夫だよぉ」

「ダメだよ! 傷口をちゃんと舐めないと病気になっちまう!」

「えぇ〜」

「えぇ〜じゃないよ! じっとしてるんだ!」

「わかったよぉ」

 大人しく体の力を抜き、されるがままに全身を舐められているラナは巣穴から外を見る。

 外は川が流れ、緑生い茂り、獣や鳥が走り回って虫が跳ねている。カリマーラに行ってからそんなに時間は経っていないように感じるのに、パルディスが随分と久しぶりに感じた。

「帰ってきたんだなぁ……」

「そうだよ。帰ってきたんだよ……もう外に出てはいけないからね……」

「……」

「返事は!!」

「はぁい」

 ラナが生返事をすると、ガウルはラナの頭に顎を乗せる。ラナはガウルの温もりを感じながら、小鳥の囀る音を聞いて、うとうと、と眠りに落ちて行った。


 

 ようやくガウルの看病から抜け出せたラナは、同族の羽根をどこに埋葬するかで悩んでいた。

 寂しくないように獣たちがたくさんいる場所に埋葬するか、それとも空に近い丘の上に埋葬するか、はたまた花がたくさん咲いている綺麗な場所に埋葬するか……候補がありすぎて、うんうんと唸っていた。

 その日もラナはくちばしに羽根を咥えて悩みながらてくてくと歩いていると、巨木の上からサルディンが声をかけてきた。

「ラナちゃ〜ん、もう怪我は大丈夫なのかい?」

 サルディンはのそのそと幹の上から地面に降りてくる。ラナはぴょん、と軽く飛び跳ねてサルディンを迎えた。

「サルディンおじちゃん! うん! まだちょっと痛いけど、大丈夫!」

「よかったよかった。本当に心配したんだよぉ〜ガウルにはすごーく怒られるし、眷属の子達にもどうしてラナを外に出したんだい!? ……ってたーくさん怒られちゃってねぇ」

「そうなの?」

「うん、だからおじちゃん毛が沢山抜けちゃった」

「それ多分生え変わりだよ、おじちゃん」

「そうかなぁ。ラナちゃんが言うなら、そうかもしれないねぇ」

「あ、そうだおじちゃん。あのね、ラナ、スーク・カルハンに行ってきたんだよ」

「スーク・カルハン? あんな遠い場所まで行ってきたの? ラナちゃんすごいねぇ〜よく無事だったねぇ。あそこ本当に危ないところなのに……もう行っちゃ駄目だよ?」

 サルディンは穏やかに言うが、視線と言葉の圧力は強かった。ラナは特にそれに気にすることもなく、胸を張った。

「うん! 大変だった! それでね、そこで、全然知らないおばちゃんなんだけど……同じアルラーミアがね……お人形さんにされててね……

 それでね、ラナね、パルディスに連れて帰りたかったんだけど……大きすぎて連れて帰れなかったの……だから、代わりにおばちゃんの羽根を持って帰ってきたんだけど、おばちゃんのお墓はどこなら寂しくないかなぁ?」

「あぁ、あんなところにもいたのか……ラナちゃん優しいねぇ。きっと、その子も嬉しいだろう」

 サルディンは遥か遠く、スーク・カルハンがあるであろう場所を見つめる。その目は何かを悔恨するようでもあり、諦めているようでもあった。

「そうだねぇ、君たちアルラーミアは人間が大好きだから、人間がいる場所がいいんだろうねぇ」

「でも、人間はパルディスにはいないよ? 入ってこれないでしょ?」

「今はね。昔はすこーしだけいたんだよ。こっち、着いておいで」

 サルディンはゆっくりと歩を進める。サルディンがよく昼寝をしている巨木のウロの中を通り抜け、木に覆われた道を進み、草木を掻き分けていく。道なき道を行くようだったが、サルディンにはしっかりと道が分かっているようで、足取りはしっかりとしていた。

「こんなところ通ったことないや」

「そうだろうねぇ。もうだーれも、長い間、通ってなかったから、草ボーボーだもの」

 ラナが地面をよく見てみると、石畳が敷かれており、木だと思っていた周囲のものは、折れた石柱であったり、壊れた石像であったりした。

 サルディンが苔むした丘のような場所で立ち止まる。懐かしむようにその丘を見て、周囲をぐるりと見渡した。

「ここはね、僕を最後まで信じてくれた人間たちがいたところだよ」

「ここが?」

「そう。ここはね僕の神殿があった場所なんだ。今ではすっかり植物の棲家になっているけれど……昔はすごーく大きくてね、立派だったんだよぉ」

 サルディンは腕をゆっくりと自慢げに広げた。ラナがもう一度苔むした丘を見てみるも、スーク・カルハンにあるハジャルの自尊心のような高い神殿や、カリマーラにある物々しい雰囲気のザラファスの神殿のような、そういった類のものと一緒だとは思えなかった。

 よく見てみると、確かに石造りの建物のようなものが苔むした地面から突き出ている。周りの木が生い茂っている場所も、木の中心をよく見ると、建物のようなものが埋まっており、元々街のようなものだったことが窺えた。

「本当にぃ?」

「本当だよぉ。ラナちゃん、疑ってるねぇ……ま、無理もないか。もう五百年も前のことだものね」

「五百年前?」

「そう、もうそんなに経ったのかぁ。その頃、急に砂大蛇が活性化し始めてね。おじちゃんを信仰してくれてた人が沢山いた街も襲われてたんだ。

 そのせいなのかなぁ、段々みんなおじちゃんのこと、信じてくれなくなっちゃってねぇ。おじちゃんどんどん弱くなっていっちゃって、ある日とうとう眷属の子達や他の神の眷属があんな恩知らずたちなんか放っておいて、神世に帰りましょう! ……って言ってねぇ。

 おじちゃんはどうしようかなぁって迷ってたら、まだおじちゃんを信じてくれてた人間たち────ラナちゃんはもう知ってるか────おじちゃんの神殿に仕えてくれていた神官たちと信者たちがそう言ってくれてねぇ。

 でも、おじちゃんはまだ自分を信じてくれている人間たちを放って置けなかったんだ。

 だから、おじちゃんは神世に帰らず、自分の神殿とその周りにある自然だけを結界を張って守ったんだ」

 ふぅ……と一気に話したせいか、ため息を吐く。サルディンの耳に蝶が止まった。

「しばらくは人間たちも一緒にパルディスに暮らしてたんだけど、一人また一人と死んでしまってね……最後の子は何百年前だったかな……夕日の綺麗な時に魂だけになって空へと戻ってしまったよ」

 サルディンが神殿だった丘の横を通り抜け、さらに道を進んでいく。坂を登り、歩いていくと、急に木々が開かれ、空がよく見える場所に出た。そこは、色とりどりの花が咲いており、色鮮やかな空間が広がっている。

 その中央には、幾つもの太い枝が刺さっており、装飾品や、服が結ばれている。そのどれもがボロボロになっており、当時の面影を窺うことはできない。

「ここはねぇ、その人間たちが眠っている場所だよ。みーんな、ここで安らかに眠っているんだ」

「みんな?」

「うん、みーんな。おじちゃんたまーにここに来て、今日あったことをみんなに教えてあげてるの。もう魂は暖かいところに行ってるって分かっているんだけどねぇ」

 サルディンが苦笑しながら、墓標の前に座り込む。ラナもそれに倣って前に座った。

「ここなら、その子もみんないるから寂しくないんじゃないかな」

「うん! おばちゃんここだと寂しくないし、あったかいと思う! よし! ラナ頑張って穴掘るね!」

「うんうん、おじちゃんここで見てるね」

「えっほ、えっほ」

 ラナが懸命に足と嘴で掘る様を、サルディンは後ろから目を細めて見つめる。泥だらけになりながらも、羽根を埋めると、優しく土を被せ、細い枝を刺した。

「できたー! おばちゃんのお墓できた! おじちゃんできたよ!」

「うんうん、できたねぇ。その子もきっとすごく喜んでくれているよ」

「そうかなぁ。そうだったらいいなぁ」

 ラナは墓を丸い目で見つめる。あの暗く、頭の痛くなるような汚泥と嫌悪に満ち溢れた街ではない、自然あふれる故郷に羽根だけでも連れて帰れたことに安堵した。

 全身の力が抜けていき、瞼をしょぼしょぼとさせる。サルディンがラナの頭を舐め、頭を擦り付けた。

「さ、そろそろ帰ろうか。たくさん動いたから疲れただろう? おじちゃんがおぶってあげよう」

「いいの!? やったぁ!」

 ラナがサルディンの背中に乗ると、ゆらゆらとゆりかごのように揺られながら歩き始める。ふわふわとした温かい背中に乗っていると、途端に眠気が襲ってくる。

「ラナちゃん、ラナちゃん、いい子のラナちゃん。おねんねするんだよ」

 サルディンの木漏れ日のような温かい声を聞きながら、ラナはゆっくりと目を閉じた。


「ラナ〜! おかえり〜」

「ラナ、パルディスの外行ってきたんでしょ? お話聞かせてよー」

「人間ってどんなのだった〜? サルディン様以外の他の神様いた〜?」

 ラナがサルディンの背中に乗って眠っていると、あっという間にサルディンがいつも昼寝をしている巨木の前まで戻ってきていた。

 起きると、ラナはサルディンの眷属たちであるヒョウの子どもたちに囲まれ、外の世界に興味津々な子どもたちに質問責めにあった。

 ラナはサルディンの背中から降りて、目を輝かせるヒョウの子どもたちに羽を広げながら、パルディスの外であった出来事を話した。

「えっとねぇ、人間は、いい人間と悪い人間がいたよ! 悪い人間は、すごーく気分が悪くなった! いい人間はポカポカしたよ!」

「へぇ〜!」

「サルディンおじちゃん以外の神様もいたよ! ハジャルっていう神様! でも、おじちゃんみたいに優しくなくて、すごーくいや〜な神様だった。あんまり人間たちにも好かれてなくて、ちょっとだけ可哀想だったけど……でも、ラナはサルディンおじちゃんの方が好き!」

「ああ、ハジャルにも会ったの。あの子は相変わらずだねぇ」

 ラナたちの様子を目を細めて見守っていたサルディンが、のほほんと口を出す。ラナは目をまんまるに大きく開けた。

「おじちゃんもハジャルに会ったことあるの?」

「うん。何度かね。本当にあの子は産まれた環境が悪かったけど……それがハジャルがハジャルという神である所以だものねぇ。おじちゃんがとやかく言える立場じゃないよねぇ……」

「よくわかんない……」

「ごめんねぇ、わからないよねぇ」

 サルディンは大きく欠伸をすると、背を伸ばし、丸くなった。

「わかんないけど、サルディン様がすごいってこと!?」

「そうだよねぇ! サルディン様はすごく優しいもの!」

「他の神様なんかよりも、サルディン様が一番!」

「ね〜!!」

 子どもたちはわらわらとサルディンのそばに群がり、きゃっきゃ、と楽しそうにサルディンの体の上を飛び跳ね、鼻と鼻を擦り合わせる。サルディンはニコニコと笑いながら尻尾を軽く振った。

「ほらほら、みんなラナちゃんにお話聞くんじゃなかったの?」

「そうだ! ねぇ、ラナ! もっと外のお話聞かせてよ!」

「他にはどんなものがあるの?」

「僕聞いたことあるよ! 人間って、したくもないろーどー? とかいうものを、必死でずっとやってるんでしょ? どうして!?」

 子どもたちは矢継ぎ早にラナに質問する。それは陽が傾いて、オレンジ色に照らされる時間まで続き、子どもたちの親が静止するまで喋り続けて、ラナはいささか疲れてしまった。

「いいかい、みんな。ラナはお外に行ったけれど、みんなはお外に行っちゃ行けないよ」

「え〜! なんで!?」

「ラナは大怪我をして帰ってきただろう。ラナの話は楽しいことも多いけれど、辛くて悲しいこともたくさんあった。お前たちに話しているのは、楽しいことだけなんだよ。さぁ、そろそろ巣穴に帰って寝る時間だよ」

 親たちはまだラナの話を聞きたがる子どもたちの首根っこを咥えて巣穴へと戻っていく。帰り際、ラナに感謝の言葉と、よく無事に帰ってきたというねぎらいの言葉をかけ、足早に帰っていった。

「みんなパルディスの外のこと気になるんだなぁ」

「知らないことはみんな知りたがる。知りないことは怖いことだからね。さぁ、ラナちゃんもそろそろガウルのところへ戻っておやり。あの子もすごく心配しているよ」

「うん。ガウルに舐められるのもう嫌だから、そろそろ帰るね」

「そうしな、そうしな」

「あ……おじちゃん。おじちゃんは、ザラファスとフェリドにも会ったことある?」

 ラナは帰ろうとして不意に思い出し、サルディンの方を振り向いた。サルディンは顔を上げ、目をパチパチと瞬きする。

「ん? ラナちゃん、あの2人に会ったの?」

「んーん、会ってないけど。ライラがフェリド大好きって言ってて……

 ザラファスの信者って人が、オークションでハジャルにピカッ! ってされて、廃人にされちゃってた」

「そうなのぉ。二人とも会ったことあるよ。フェリドはねぇ、すごーく優しい子なんだけど……ちょーと過激なんだよねぇ。おじちゃん、よくフェリドに『お前はもっと何も持たないものにも目を向けろ! このおいぼれジジイ!!』って怒られたよ。

 ザラファスはねぇ、いつも一人でふわふわ浮いてたねぇ。おじちゃんともあんまりおしゃべりしてくれなくて……でも、ある時期からすごく嬉しそうに笑うようになって……何かいいことあったのかなぁ」

「ふーん、そうなんだぁ。その二人も結構信仰されてたよ?」

「そうなの。結構みんな帰ってないのかもねぇ。もしかしたら、まだまだ、おじちゃんみたいに住んでる神様がたくさんいるかもしれないねぇ」

「ラナもあってみたいなぁ」

 ラナが会ったことのない神に思いを馳せていると、遠くからガウルがラナを探している声が轟き、草木を揺らした。

「ラナー! ラナー! どこだい? もう帰っておいでー! ラナー!」

「あっ、ガウル。おじちゃん、じゃあまたね!」

 ラナは声のする方を振り向き、地面を蹴って飛んでいく。サルディンはそれを見届けると、空を見上げてため息をついた。

「神世に帰っていないなら、みんなどこにいったというのか……」

 その声は誰にも聞かれず、薄暗い森の中、虫の鳴く声に飲まれて掻き消えてしまった。

 

 ラナがパルディスに帰ってきて一カ月が経った。ガウルの巣穴から程近い川辺で、ラナは虫を掘っていた。足も羽も泥だらけになりながらいじいじと足先で穴を掘る。ガウルは少し離れたところから、目を細めてラナを見守っていた。

「虫掘り飽きちゃったなぁ……サネヤ……元気かなぁ」

「またお前は人間のことなんかに興味を向けて!! いけないよ!! あんな酷い目にあったんだから大人しくしておくんだ!!」

「はぁい」

 ラナは足で掘った穴を弄りながら、気の抜けた返事をガウルにする。パルディスに帰ってきてからというもの、ラナは虫を掘ったり、サルディンの眷属の子どもたちとかけっこをして遊んだり、ガウルの毛を毟ったりして遊んでいた。

 しかし、やることの多かったカリマーラでの暮らしと比べ、何も制約のないパルディスでの生活は穏やかで、ラナの中で物足りなさを感じた。

「うーん……スパイスの効いた料理が食べたい……ハキムが作ってくれたあのスパイスと羊肉の炒め物……じゅるり……」

「お前は何言ってるんだい。私の採ってきたご飯は美味しくないのかい?」

 ガウルが鼻先でツンツンと抗議するようにラナを突く。息が体に当たってくすぐったかった。

「ガウルがとってきてくれたご飯もおいしいよ? でも……あのスパイスの味はやみつきになるんだよ〜」

「人間の作ったものなんか怖くて食べれたもんじゃないよ」

「ガウル、それは偏見ってやつだよ! ガウルだって、いい人間に会えば分かるよ!」

「いい人間なんていないよ」

「いるもん! サネヤいい人だったもん!」

「お前は単純だからね。すぐ騙されちまうんだ」

「ラナ、騙されたりなんてしないもん! ガウルのイジワル!」

「こうやってお前のために言ってるのに、私をイジワルだの言うのが単純だと言っているんだ!!」

「……ラナのため?」

「そうだよ、お前が危ない目に遭わないように厳しく言っているんだよ」

 同じようなことをサネヤが言っていたなぁ、と懐かしむようにラナは思い出す。

 (そういえば、ライラはラナに嘘ついたけど……サネヤはライラはラナのためだって言ってた……もしかして、ライラはラナのために嘘ついた?

 ……あれ? そういえば……ラナ、もしかしなくても、ライラたちにさよならせずにパルディスに帰ってきてる?)

「どうしよう、ライラたちに何も言わずに帰ってきちゃった……」

「どうしたんだい? ラナ?」

「ラナ、カリマーラ帰る!」

 ラナは勢いよく駆け出すと、羽を広げて空へと飛び上がっていく。ガウルがその背中に飛びかかり、無理やり地面に押さえつけた。

「何を言っているんだい!? お前の帰る場所はここだよ!?」

「離してガウル! ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」

「ダメに決まっているだろう!! もう私の心臓がもたない!!」

「はーなーしーてー!!」

 羽をバタバタと動かし、ガウルの体の下から抜け出そうとするが、ガウルは少しも緩めることなく、ラナを咥えて巣穴へと連れていく。寝床にラナを転がすと、入り口の前に立ち、喉の奥から威嚇するような声を出した。

「いいかい!? もうパルディスの外に出てはいけないよ! いいね!!」

「やだ! ラナ、まだちゃんとライラたちにお話ししてないもん!!」

「ラナ!!」

「やーだー!! ガウルの言うことなんか聞かないもん!」

「なんでわからずやなんだい!」

 ガウルは毛を逆立たせ、歯を剥き出しにする。ラナは涙目になりながら、全身の毛を膨らませてガウルを睨んだ。

「よく考えたら、ライラたちにもお世話になったから、ラナは今度はライラたちに恩返ししなきゃいけないの! だから、ライラたちに恩返ししたら帰ってくるから! だからそこどいて!」

「あんな傷だらけになって帰ってきたのに、お前をもう一度行かせるわけないだろう!? 今度は本当に無事じゃ済まないかもしれないのに……いいから大人しくしておくれ!」

「ふーんだ! ガウルのおこりんぼ!」

 ラナはそっぽを向いてガウルに丸いお尻を向ける。ガウルはため息をついて、入り口に座り込んでラナのふわふわのお尻を眺めた。


 その日の夜、ガウルが寝ている横からそっと巣穴を出ようとしたラナは、起きたガウルに何度も巣穴の奥へと戻され、不貞腐れていた。

「ガウルのバーカ、あーほ、毛むくじゃら〜」

「うるさいよ! さっさと寝な!」

「ふーんだ」

 ラナはぷい、とガウルに背を向けた。

「……お前のお母さんもね、何度言っても聞いてくれなかった。それで助けられたからと言って恩返しをすると言って……それっきり……小さいお前がいるっていうのに、自分の子より大切なものなんてないっていうのに……お前たち一族は薄情だよ……こんなにも心配してる私たちのことなんて見てくれないんだから……」

「ガウル?」

 ラナが振り向くと、ガウルは自分の腕に顔を埋めていた。尻尾は項垂れ、毛に輝きはない。

 ラナは少し考えると、てくてくとガウルの方へ歩いて行き、ガウルのそばに座ると、額をガウルに擦り付けた。

「ガウル……心配かけてごめんね」

「本当だよ……お前たちのせいで、私の寿命はもう数十年は減っちまった……」

「ガウル、長生きして」

「ふん!」

 ガウルは顔を上げずに、尻尾でラナを抱きしめる。ラナは嘴でガウルの毛を喰みながら、そのままじっとしていた。

(ラナ、やっぱりライラたちにも恩返ししたい……それに、もしかしたらママもラナみたいにたくさんの人に恩返ししているところかもしれない……あのおばちゃんみたいに、なってしまっているかもしれないけど……でも……)

「きっとママはまだ生きてるよ……」

 ラナがポツリ、と呟くと、ガウルは耳をピクピクと震わせて、鼻を鳴らした。


 朝日が昇ってきて、小鳥が囀る頃、ラナはゆっくりとガウルの背中を乗り越えて外へ出てきた。巣穴の外へ出ると、ガウルが寝ている方へとを振り返る。ガウルは顔を腕に埋めたまま寝転んでいた。

 またガウルやサルディンの眷属たちを心配させるとわかっていても、ラナにはこの突き立てるような激しい衝動を止めることはできなかった。

 貰った恩を返す。それをしないという選択肢は、ラナには存在しなかった。

「ガウルー! ごめんねー! ラナ、ちゃんと帰ってくるからねー! いってきまーす!」

 ガウルは耳を一瞬だけ動かすも、そのままの状態で何も言わずにいた。

 ラナは木々の隙間を抜けて、青空の彼方へと飛んでいく。誰もいなくなった木漏れ日の下には何もなく、ガウルは耳を垂れながら、そのまま毛を濡らしていた。

「本当に……馬鹿な子だよ……」

 ガウルの独り言は誰に聞かれることもなく、小鳥が囀る森の中へと消えていった。

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