第9話 ラナとサネヤは盗みに入る


 ラナとサネヤは一度神殿の外に出た。外はすでに暗く、星空が輝いている。周りで焚かれている炎のおかげで寒さはなく、むしろ汗ばむようだった。

 二人は神殿前のテントで売っていたココナッツで喉を潤しながら、椰子の木の下に佇んだ。

 ラナが両手でココナッツを抱えながら、必死に飲んでいると、サネヤは神殿の裏手を指でさした。

「ほら、あそこ。今もハジャルの神官たちが荷台に物をたくさん積んで運び入れているだろう? あれはそのままハジャルの貯蔵庫に行く。あの荷台に紛れるんだ」

「あれに乗るの? でも……見つかったらいっぱい叩かれちゃうよ?」

「大丈夫。ハジャルのところの神官程度なら僕一人でなんとかできるし、連中、腐ってるから、賄賂渡せば見逃してくれるよ」

 サネヤがニコっと笑い、手で硬貨のマークを作る。ラナはそれでも納得できないというように、ココナッツに刺さっているストローを齧った。

「ハジャルに見つかったら、あの腕輪のピカ! であの、ザラファスの信者の人みたいになっちゃうよ?」

「ああ、それも大丈夫。もし見つかっても、腕輪の神器を使う前にハジャルを気絶させればいいだけだから」

「そんな簡単に……」

「大丈夫大丈夫」

 サネヤはあっけらかんと言うと、飲み干したココナッツを後ろに投げる。茂みに落ち、枝が折れる音がした。

「ハジャルの貯蔵庫に行く荷台は、いつもハジャルへの奉納が終わった後、三回に分かれてされる。

 一回目は食料品だから、神殿の厨房に行くものだね。

 二回目は服飾品。ハジャルの自室に運ばれる。

 三回目が貴重品と判断されたもの。これがハジャルの貯蔵庫にそのまま行く。今のは一度目だよ」

 ラナは再び裏口を見る。神官たちが荷台を汗だくになりながら運んでおり、荷台から干し肉がこぼれ落ちて地面に落ちていた。

「でもどうやって荷台に乗り込むの? あの人たち頑張って運んでるから、バレない?」

「さっきから見てたけど、あの神官たち、随分と怠け者みたいだ。碌に貴重品も見てないし、さっきも荷台から荷物が溢れてるのにすら気づいてない。

 きっとハジャルが自分たちの後ろにいるから、不敬なことをする輩はいないと踏んでいるんだろう。

 三回目の荷台の周りにある燭台をわざと倒して周りを暗くする。燭台に視線がいっているその隙に荷台に忍び込むんだ」

 裏口から大の大人が大股で歩いて十五歩ほどの距離に、山のような献上品が荷台に無造作に置かれていた。

 裏口の反対側には、献上品が載せられていた机があり、その奥には倉庫と思わしき建物が並んでいる。

 荷台の周りを囲うように燭台が八本あり、炎がメラメラと燃えている。さらにその周辺には槍を持った衛兵が四人ほど眠そうに立っており、時折仲間内でゲラゲラと下品な声を上げて話していた。

「どうやって燭台倒すの? あれすごく大きいよ?」

「これを使う」

 サネヤが懐からナイフを取り出す。刃は湾曲を描き、持ち手の部分には宝石が散りばめられていたが、よく見ると、所々宝石が剥がれている形跡があった。

「それなぁに?」

「これは戦の神の神器だよ。地形を変えるほどの力を持っているんだけど……これ壊れててそこまでの力は出せないんだよね。でも、燭台を倒すぐらいは簡単に出来る」

「もしかして、あの檻に入れられてた子のところで鍵が開いたのって、それのおかげ?」

「うん、そうだよ。あそこで表立って出すわけにはいかなかったから、懐で刃の先端だけ出して使ったんだ」

「そっかぁ……ん? 神器って普通の人が簡単に持てないんだよね?……なんでサネヤが持ってるの?」

 サネヤは口角を上げて目を細める。ナイフを懐に仕舞うと、ラナの頭を何度か撫でた。

「細かいことはまた今度。さぁ、そろそろ行こうか」

 サネヤは、ラナが飲んでいたココナッツを中身がないことを確認して、自分が飲んだココナッツと同じように茂みに放る。ラナの手を掴むと、人波に紛れて裏口の荷台付近へと近づいた。

 建物の物陰に隠れ、荷台を盗み見る。

 衛兵たちはやる気なさげに立っており、二人はラナたちの反対側、神殿裏口の方を向いて喋っており、もう二人はラナたちの方に体を向けて眠そうにあくびをしている。

 サネヤは神器を取り出すと、炎が刃に反射しないように腕で隠しながら、切先を神殿裏口の方に面した燭台に向けた。

「偉大なる戦の神、ウル=カルディアよ。哀れな人の子に力をお授けください」

 サネヤが小声で祝詞を唱えると、ナイフの持ち手の部分についている宝石が煌めいた。その瞬間、燭台が土台を失ったように崩れて倒れた。

 大きな音が街中に響く。道ゆくものは皆、音のする方を向き、燭台が倒れたと知るや、興味を失ったようにまた視線を外した。

「なんだよ……経年劣化か? 神官どもは物の管理もできないのかよ」

「おい、お前ら喋ってないで片付けろよ」

 ラナたちの方に体を向けていた衛兵が、嫌そうな顔をして裏口のほうへと向かっていく。裏口の方で喋っていた二人の衛兵も、慌てたように倒れた燭台の回りに集まった。

 サネヤはさらにナイフの切先を自分たちの手前にある燭台に向ける。

「偉大なる戦の神、ウル=カルディアよ。どうか私に力をお授けください」

 燭台に灯っていた炎が揺らめく間もなく、一瞬にして消える。荷台は暗闇に包まれ、倒れた燭台だけが地面をうっすら照らし続けた。

「さぁ、行こう」

 サネヤはラナの手を掴み、足音を消しながら荷台へと走る。ラナは出来る限り、サネヤの背中を追いかけながら音が出ないように走った。

 サネヤが手慣れた手つきで荷台の布を払い、荷台の荷物の隙間を見つけ、体を滑り込ませる。ラナの体を掴み、自分の足の間に収めさせると、布を荷台へ被り直し、ラナたちが荷台に入る前の元の状態へと戻した。

 あっという間に荷台に滑り込ませることに成功し、ラナは拍子抜けした。サネヤの腕をチョンチョンと突くと、手を撫でられる。大人しくしておけということなのだろう。

 周りは暗くてよく見えないが、樽や木箱が山ほど積まれており、隙間からは献上品が溢れていた。

「あ? こっちの燭台消えてるぞ」

 こちらに戻って来たであろう衛兵たちの声と足音が荷台の外から聞こえてくる。ラナは思わず体を固くさせ、耳を澄ませた。

「薪足らなかったんじゃねぇのか? ……なぁ、そろそろ俺ハジャルのところ辞めようと思ってるんだけどよ、お前どうする?」

「どうするって……まぁ、最近献上品も少なくなってるしなぁ。潮時か?」

「俺はカリマーラに行こうと思ってる。この辺じゃ一番でかい街だから働き口もあるだろ」

「カリマーラならザラファスのところか? 元ハジャルの信者なんて嫌がられるだろ」

「ザラファスは誰でも拒まないらしいぜ。信者への褒美はたんまりあるとか。……それに、噂ではスーク・カルハンよりピギュマ草が出回ってて、手に入りやすいらしいぞ」

「はぁ!? そんなことあるのか? ピギュマ草はハジャルからの賜り物だろう!?」

「噂だけどな。どのみち、もうハジャルは落ち目だろ。俺はさっさとオサラバするぜ」

(ハジャル、あんまり好かれてない? 可哀想……)

 ラナはサルディンを思い出した。

 サルディンはいつも言っていた。もう自分を信じてくれている者たちが、自分の眷属のヒョウたちと、ラナたちしかいない。本当はとうの昔に消えている存在なのだと。

(ハジャルもこのままだと消えちゃうのかな……? 消えるってどんなのかな……? どんどん手の先から無くなっていくのかな? それとも、寝ちゃったらもう、そのまま起きれなくなるのかなぁ? なんだか、とっても怖そうだな)

 象に跨り、自信満々に人々を見下ろしていたハジャルの姿は本当は無理をしているのではないのかと、ラナはなんとなく思った。

 そんなことを思っていると、周りに人が集まって来た気配がし、荷台が緩慢に動き始めた。おそらくあの神官たちが汗だくになりながら裏口へと荷台を進めているのだろう。

 荷台のの床が跳ね上がり、お尻が痛くなる。木箱の隙間から貴金属が転がり落ちて、じゃらじゃらと音を立てた。

 バレるのではないかとラナが荷台の外に注意を向ける。しかし、神官たちは荷物を運ぶのに精一杯なのか、ヒィヒィという息遣いだけが聞こえてくるばかりで、一向に荷台の布が剥がされることはなかった。荷台はそのまま進んでいき、一段と荷台が跳ね上がったかと思うと、荷台の車輪の音が石に反響している音になった。

 (あ……神殿の中に入ったんだ……)

 荷台はどんどんと進んでいく。右へ左へと方向転換するたびに、ラナとサネヤの体は傾き、樽や木箱から貴金属が音を立てて溢れていった。

 突然サネヤが、近くにあった樽の蓋を開け、中を覗き見る。手を樽に突っ込み、幾つかの貴金属を荷台の床に置くと、なんの迷いもなく器用に樽の中へと入っていった。

 (な、何してるの!?)

 ラナが慌てて樽を覗くと、サネヤは親猫が子猫の首を掴むように、ラナの体を持ち上げ、先ほどと同じように自分の足の間に収め、樽の蓋を閉じた。

 先ほどよりも窮屈で、貴金属が肌に当たって痛い。ラナは抗議するようにサネヤの腕を指で何度も押したが、サネヤはラナの口をそっと塞ぐだけだった。

 どこを走っているのかもわからない暗闇の中で、閉塞感に息が詰まりそうになりながら、じっとしていると、荷台はゆっくりと止まった。

 荷台の布が外され、神官たちの荒い息遣いが近くに聞こえてくる。

「はぁ……はぁ……はぁ……疲れた……」

「あの衛兵たちが持ってくればいいものを……はぁ……もう無理……」

「はぁ……無理だって……前に、衛兵に……持って行かせたら、……はぁ……はぁ……献上品を、盗まれて……いただろう……ハジャル様、すごく、お怒りに……なられて……つかれた……」

「これ、全部運ぶのか……はぁ……」

「昔にも……盗人が、入って、ハジャル様、の、コレクション、の神器……盗られたって……」

「えぇ……なにそれ、いつの話だ……」

「もうむりぃ……疲れたぁ……休みたいぃ……」

「泣き言、を、言うなぁ……みんな、つかれてるんだぞぉ……」

「がんばるぞぉ……おぉ〜」

 疲れ切った間延びした声と共に、おぉ〜、と力のない声が複数続く。

 外にいるのはどうやら四人らしく、皆疲れ切っているのか、中々荷物を運ぼうとしない。ようやく動き出したかと思えば、荷台の床に落ちている貴金属を集めて別の木箱に入れているようだった。

「あーあーちゃんと蓋閉じてないから〜」

「しょうがないだろ。信者たちが規格外の樽に入れてくるんだから、閉まらないんだよ」

「これ傷入ってたら怒られない? 俺たち殺されない? 大丈夫? 今日もザラファスの信者やられてたけど」

「こんなにあるんだからハジャル様も見てないっしょ。大丈夫大丈夫」

「ね〜もう俺この職場ヤダ〜! ハジャル様すぐ怒るし、神官長はデブで臭くて、いつもいつもハジャル様のありがたさを噛み締めろ云々面白くない説法してくるしさぁ〜

 今日だって神官長、オークションの時、ザラファスの信者に言いくるめられてたしさぁ〜言い返せてなかったよねぇ、ザラファスの方が信仰心集めてるってさぁ。

 みんなでザラファスのところに行こうよ〜最近ピギュマ草の栽培も上手くいってないしさ〜どんどん信者の数も減ってるし、この間なんか俺、給料銀貨一枚減ったんだよ〜ヤダよ〜稼げるって聞いてたのにさぁ〜!!」

「口慎めよ! ハジャル様に聞かれたらそれこそ今日のザラファスの信者みたいになるぞ!」

「ごめーん。でもみんなも思ってるでしょ〜仕える神、間違えたなーって」

「まぁなー」

「早くこれ全部貯蔵庫に入れて、酒引っ掛けようぜ」

 神官たちは愚痴に花を咲かせながら、どんどんと荷台から荷物を下ろしていった。

「え、何これおっもい! 何が入ってるの!?」

「あ〜たまーにあるよな。すごい重いの。重けりゃ献上品の量が多いと思われるかもって浅はかな考え。

 んで、ハジャルの加護が貰えると思って下の方に岩とか入れてんだよ。上の方に宝石とかまぶして、さも大量に宝石を奉納しましたよ〜って見せかけてるやつ」

「え〜そんなことやる奴いるの〜!? やめて〜!! そんなことないから〜! そんなことしても加護貰えないから〜!! 俺たちの腰が死ぬだけ〜!!」

「中身出しちゃだめか?」

 その言葉にラナは胸の前で両手を合わせる。蓋を見上げ、どうか開かないようにと祈った。

「下手に触ると俺たちが盗人に間違われるからやめとこうぜ。岩があったらハジャル様が自分で処理するだろ」

「それもそうだな。はぁ〜たくっ、やだやだ。ほら、そっち持てよ、いくぞ」

 樽がぐっと宙に浮き上がり、フラフラと揺れながら、徐々に移動しているのがわかった。

「ヒィ……ヒィ……重い……これ今日一番重い……」

「あと、もうちょっとだ……」

「ヒィ〜!!」

 神官の情けない悲鳴と共に、投げるように樽が地面に落とされる。ラナとサネヤの体が跳ね上がり、中に入っていた貴金属が顔や肌に当たった。

「も、もう無理……」

「まだ、他にも、荷物あるから……行くぞ!」

「ヤダ〜!!」

 人が引きずられていく音が聞こえる。その後も、神官の泣き言や、荷物が置かれる音が絶え間なく続いた。

「はぁ、はぁ……やっと、終わったぁ〜!!」

「お疲れ〜」

「最後に出る奴、鍵ちゃんとかけろよー」

「分かってるって〜」

 扉が閉まったような音がしたあと、がちゃん、と鍵のかかる音がする。神官たちの騒がしい声が段々と遠のき、聞こえなくなった瞬間、サネヤは樽の蓋を開けた。

 外に出ると、樽の中にいるラナを抱き上げて床に下ろす。ラナは立とうとするも、腰が抜けて床に座り込んだ。

 周りを見てみると、木箱や樽、豪華な装飾がされた宝石箱などが所狭しと部屋に詰められており、入らなかった貴金属や宝石が山のように棚に盛られている。燭台もないのに部屋は明るく、よく見てみると、壁自体が発光しているようだった。

「お疲れ様。ここがハジャルの貯蔵庫だよ」

「どきどきした……」

 ラナは手汗を拭うために服に擦り付け、ゆっくりと立ち上がる。サネヤがラナの背中と腕を支えた。

「こんなにあるんじゃ、神器がどこにあるのかわからないよ……?」

「そうだね。たくさんあるからわからないね」

「えぇ! どうするの!?」

「ハジャルの性格なら────神器は一番目立つ場所、特に手に取りやすい場所に置いてるだろうね」

「そうなの?」

「おそらく。だから……」

 サネヤは部屋を見渡し、ある一点をじっと見つめると、迷いなく歩いていく。樽や木箱を退かし、大股でそこに近づいた。

 そこは、部屋の中心にある場所だった。扉から入ってくると一番に目につくであろう場所で、他の場所よりも華美に彩られており、重厚な赤い布地が机に敷かれている。

 その上に、周りの雑多に置かれている樽などと違い、不自然とも言えるように、箱が均等に並べられている。まるで展示されているように並んである箱の中には、ネックレスやアンクレット、胸あてや指輪、イヤリングなどだった。それぞれが独特の雰囲気を放ち、ラナが一目見ても他の有象無象の貴金属とは違うと分かった。

「もしかして、これ全部神器?」

「うん。どれがどの神のものかはわからないけれど、きっとそうだね」

「こんなにあるんだ」

「前はもっと多かったんだけどね。結構オークションに出したのか、壊したのか」

「……前?」

「おっと」

 サネヤはおどけたように笑うと、キラキラと輝く神器を見渡す。ラナもそれに倣って神器の数々をじっと見たが、探している運命の羅針盤のようなものは見当たらなかった。

「羅針盤ないねぇ。ハジャル、持ってないのかなぁ」

「あるならここだと思ったけど、ないならもう誰かの手に渡っちゃったあとなのかもしれないね……」

「そんなぁ。ここまで来たのに?」

 ラナが部屋の中を見渡す。すると、先ほどのオークションで競りにかけられていた同族の剥製が置いてあった。

 剥製は何も言わずにただポツン、と煌びやかな品々に囲まれて置かれている。他の献上品に比べて、同族の剥製だけは異質な雰囲気を出していた。

 ラナはゆっくりと同族の方へ歩いていく。同族は、ラナに語りかけることもなく、瞬きをすることもなく、ただジッと虚空を見つめていた。

「……大丈夫。大丈夫」

 ラナは同族を抱きしめ、ゆっくりとその羽を撫でる。何度も何度も撫で、頬ずりをした。

「ラナ、その鳥さん気になるの?」

「うん……ラナのいたところに連れて帰りたい……」

「連れて帰るのは、厳しいなぁ……」

 サネヤは苦笑しながら同族の剥製を上から下まで眺める。サネヤの身長よりも二回り以上大きく、持って帰るには荷台が必要だろう。サネヤは剥製の羽に手を滑らせた。

「この鳥さんをそのまま連れて帰るのは無理だから、羽根だけ連れて帰るのは?」

「羽根だけ?」

「そう。羽根だけでもラナと一緒にいられるなら、その鳥さんもきっと嬉しいんじゃないかな?」

 ラナは剥製を見上げる。同族は何も言わないが、羽根だけでもパルディスに連れて帰れば、報われるだろうか?

「うん……羽根だけ連れて帰る」

 ラナは剥製から羽根を一枚毟ると、自分の髪に落ちないように括り付ける。羽根がキラキラと輝いた。

 (パルディスに一緒に帰ろうね。知らないおばちゃん)

 ラナが羽根を指でそっと撫でていると、サネヤは何か言いたそうにラナを見つめた。

「ねぇ、ラナ……君はもしかして……」

「なぁに?」

「……いいや、ラナはラナだもんね」

「ラナはラナだよ?」

「そうだね。じゃあ、もう少しだけ羅針盤を探そうか」 

 サネヤはまた机の周辺を探し出す。

 ラナはサネヤの様子に首を傾げながら、机に敷いてある布を指でつまんでいじった。すると、布の下に隠れていたのであろう引き出しの取手が見えた。

「なにこれ?」

 よく考えず、引っ張ると、中から机の上に並べてあった神器と同じように、均等に箱が並んであった。

「サネヤ、なんか引き出しあったよ。こっちにもたくさん神器ある」

「本当だ。お手柄だよ、ラナ」

「えへへ。ラナ、役に立った?」

「うん、すごく役に立ってくれたよ」

 サネヤがラナの頭を撫でると、ラナは飛び跳ねてサネヤに抱きついた。

「ラナ、もっと、もぉ〜っと、サネヤの役に立つからね」

「うん、ありがとう。そういえば、ラナが探してるものってなんだったの?」

「え?」

「ここに探し物あったんだよね?」

 (どうしよう……そういえば、付いてくる時に咄嗟に探し物あるって言っちゃったけど、何も考えてなかった……)

 サネヤの顔を見上げると、優しそうに微笑みながら、首を傾げてラナを見下ろしている。ラナはあわあわしながら、サネヤの服を引っ張った。

「え、えーっとね、ラナね、えっと……そう! ママ探してるの」

「……え?」

「ママ、すぐ帰ってくるよって言ったのに……帰ってこなくて……」

「……そっか」

「だから、ラナはママを探しに来たんだよ」

 目を泳がせながらラナは自分に言い聞かせるように話した。

 (ママが帰ってこないのは本当だし……信じてくれてるかな……)

 ちら、とサネヤの顔を見ると、サネヤは含みのありそうな顔をして、ラナの背中を撫でた。

「じゃあ、これが終わったらラナのママを探そうか。スーク・カルハンじゃないところにいるかもしれない」

「……! う、うん! 早く運命の羅針盤探そう!」

 ラナとサネヤは引き出しの中に目を向ける。引き出しの中のものは、机の上にあった神器とは違い、装飾具は少なく、煌びやかな鞘に納められた短刀や、薄い板状の謎の物体、正六角形の水晶など、どう扱っていいものかわからないものが多数占めていた。

「沢山あるねぇ」

「そうだね。多分、こっちにあるほうが神器の格としては上だ。前は引き出しに仕舞ってなんかなかったんだけどな」

「……サネヤ、前もここ来たことあるの?」

 サネヤは少し固まると、人好きのするような笑顔を浮かべた。

「……さ、早く調べようか」

 サネヤは引き出しをいっぱいに開き、くまなく目を凝らす。ラナは訝しげにサネヤの顔を覗き込んだが、サネヤは笑いながらラナの頭をポンポンと叩くだけだった。

「またカリマーラに帰ったらいろいろ教えてあげるからさ」

「本当〜?」

「本当本当」

 軽い調子でサネヤは返す。ラナはブスくれながら引き出しの中を見渡すと、奥の方でキラリ、と光るものがあった。

 よく目を凝らすと、それは成人男性の手のひらほどの大きさの羅針盤だった。

 黒い板に銀色の針と赤色の針が中心に取り付けられており、その真ん中には金色のお椀のような半円状の器がくっついている。板には銀色の文字で方角が刻まれている。その位置には、小さな宝石が埋め込まれてキラキラと輝いていた。宝石は方角によって色が違っており、よく見てみると、宝石の奥の方から陽炎のような揺らぎが見えた。

「これ……これもしかして、運命の羅針盤?」

 ラナがサネヤの袖を引っ張り、羅針盤を指差す。サネヤは深く頷いた。

「ああ! これが運命の羅針盤だ! よかった……これで見つけられる……」

「よかったねぇサネヤ。ねぇ、サネヤが見つけたいのってなぁに?」

「あぁ、言ってなかったね。僕ね、妹を探してるんだ」

「妹?」

「うん。ちょっとこっちの大陸に来てから色々あって、離れ離れになってしまって……カリマーラでも妹がどこにいるか色んな人に尋ねてみたんだけど、誰も知らなかったから……もうこれに頼るしかなかったんだ」

「サネヤの妹かぁ……ラナとも仲良くしてくれるかな?」

「うん、絶対してくれるよ。そうだ、ここを出て、妹を見つけたら三人でご飯食べようね」

「食べる!」

 (サネヤの妹ってどんな人なんだろう。サネヤみたいにニコニコしてるのかな? きっと優しいよね。一緒に虫掘ってくれるかな? 楽しみだなぁ……)

 ラナがワクワクしている間、サネヤは引き出しの奥にあった羅針盤を両手で触る。

 羅針盤を箱から持ち上げた瞬間、部屋のあちこちから、ジ……ジジ……ジジジジ!! と虫が羽ばたくような大きな音が響き渡った。

「な、なに!?」

「おっと、流石に対策してたか」

 サネヤは焦ることなく懐から袋を取り出し、羅針盤を入れる。ちゃっかりと他の神器もいくつか同じように入れると、ラナの手を掴んで部屋の隅へと走った。

「サネヤ! これ、見つかった!?」

「うん、多分神器をあの箱から取ったら鳴るようになってたんだろうね。前はこんな仕組みなかったんだけど、流石に学習してたかぁ。ハジャルなら慢心してるかと思ったんだけど……」

 部屋の隅に積まれていた木箱や樽を避け、隙間に二人分の体を捩じ込む。そばに落ちていた布を被り、蹲った。

 ほどなくして、バタバタと複数の足音が聞こえ、扉が開く音がした。

「ねぇ!! 警報なってるんだけど!? ……て、ああー!! じ、神器が……盗まれてる!!」

「俺たちハジャル様に殺されちゃう? 死ぬの? こんなことなら踊り子のあの子に告白すればよかった……」

「部屋の鍵が壊されてなかったんだぞ!? じゃあ犯人は鍵を使える神官の誰かだろ!?」

「こんな短時間に逃げれるか!? 誰とも廊下ですれ違わなかっただろ!?」

 声からして先ほどの荷台を運んでいた神官たち四人なのだろう。泣き喚くような声や周囲の箱を押し除ける音と共に警報音が鳴り響き、部屋は阿鼻叫喚となっていた。

 ラナが自分の口を塞ぎながら、どうするのかとサネヤの顔を見ると、サネヤは戦の神の神器であるナイフを取り出した。

 布の隙間から切先を自分たちがいる正反対の場所に向け、口の中でモゴモゴと祝詞を唱える。すると、奉納品が納められていた棚が大きな音を立てて崩れ落ち、埃や宝石が宙に舞った。

「ぎゃー!! なに!?」

「あそこか!?」

「死にたくない! 俺まだ死にたくないから犯人大人しくしてて!」

「おい、逃がさないように全員で囲むんだ! そっち回れ!」

 神官たちは音のした方へとワラワラと集まった。その隙に、サネヤは隠れていた布を剥ぎ、ラナの体を担いで開きっぱなしの扉から部屋を出て、廊下を右に進んだ。

 部屋の中では未だ神官たちが騒いでおり、ラナたちがいたことに気づいている様子はない。燭台の炎に照らされた無機質な廊下をサネヤは走り抜け、突き当たりの階段上に一気に駆け上がっていく。

「サ、サネヤ……! こっち上だよ!? 出口じゃないよ!」

「警報が鳴った時点で、出入り口は封鎖されてるよ」

「でも! サネヤは飛べないでしょ!?」

「神殿にはいくつか高い部屋にあるゴミを捨てるための穴がある。そこから外に出るんだ」

 サネヤは迷うことなく階段を上りきり、神殿の二階部分にあたる廊下を駆け抜けていく。

 廊下には、いくつもの簡素な扉があり、窓からは月の光が差し込んで、長い影を作っていた。

「ふぁ〜騒がしいな……ん? なんだ貴様ら!?」

 廊下に設置されている扉から、寝癖をつけた裸の男、────おそらく神官なのだろう────が出てくる。サネヤは一瞬、足の力を溜め、跳躍すると、男の腹を思い切り蹴り上げた。

「ぐぅ……がぁ……!!」

 男が腹を抱えて蹲っている横を走り抜ける。男が出てきた扉から、二つ隣の扉を蹴り開けると、そこには、机の上に草が大量に入った籠が置かれており、薬研や天秤、水壺や急須、虫籠などが並んでいる部屋だった。天井からは大量の草が乾燥させるようにぶら下がっており、担がれているラナの体に擦れた。

 部屋の中は甘ったるい、頭が痛くなるような匂いが立ち込めており、ラナは顔を顰める。

「この匂い……ピギュマ草の薬?」

「うん、ここで薬を作ってるんだ」

 サネヤは月明かりしかない、狭い部屋の中を進んでいく。窓に並べられた蓋の空いた水瓶を押し除け、床の扉を開けた。

「……は?」

「どうしたのサネヤ?」

 サネヤの困惑したような声に、ラナは不安を滲ませながら尋ねる。サネヤは、呆然としたように、床の扉を見つめた。

「……ない」

「なにが?」

「ゴミを捨てるための、落とし穴が……ない……埋められている……」

「それって……逃げられないってこと……?」

「まさか……いや、でも……おかしい……前に来た時はここからは逃げていないはず……こんな短期間に埋めることなんてあるのか……?」

 ぶつぶつとサネヤが独り言を呟いていると、窓の外では衛兵たちの慌てたような声が聞こえてくる。ラナはサネヤの背中を慌てて何度も叩いた。

「サネヤ! ど、どうするの!?」

「あ、ああ。下はダメだから……上に行くしかないか……」

 廊下に出ると、下の階から登ってきたのだろう、あの四人の神官たちが、先ほどサネヤに蹴られていた神官を囲んで騒いでいた。

「大丈夫ですか!? 生きてますか!?」

「だ、誰にやられたんですか!?」

「そいつどこ行きました!? え? 上!? ……どこ!? 天井しかありませんよ!?」

「うめいてちゃ分かんないですよ! ほら、頑張って! そうじゃないと俺たちハジャル様に怒られるどころの騒ぎじゃないんですよ!!」

 サネヤはその様子を一度見るや、反対側へと走り出す。廊下の一番端にある階段を駆け上り、三階へと走っていく。

 三階の廊下は、貯蔵庫の壁と同じく発光しており、両開きの豪華な扉が一つあるのみだった。窓はなく、廊下の端にまた登り階段があるのみで、逃げられそうな場所はない。

 サネヤは豪華な扉に見向きもせず、登り階段へと進んでいく。

 明かりに照らされたサネヤの顔にいつもの笑顔はなく、ただ青白く光っているのみだった。

「ねぇ、あの扉には入らないの!?」

「あそこは絶対にダメだ! ハジャルの自室なんだ!」

「えぇ! そうなの!? じゃあ、この上は……?」

 サネヤが階段上にある扉を蹴り開ける。乱暴な音を立てて扉が開くと、風の音が腹の底に響き、ラナとサネヤの体温を奪った。

「……神殿の一番上、何もない屋上だよ」

 ラナは周りを見渡す。屋上は何もなく、ただ広い空間があるのみで、遮蔽物もなければ塀もない。空を見上げると、星が瞬いており、東の方が少しずつ白んできている。下からはさらに騒ぎが大きくなったのか、衛兵たちの武具の擦れる音と怒声が聞こえてきた。

 ラナは最初にカリマーラに来た日のことを思い出していた。地面に押さえつけられた泥棒のことを。殴られ、槍で押さえつけられ、どこかに連れて行かれたあの哀れな泥棒はどうなったのだろうか。今の自分たちも、あの泥棒のように酷い目に遭わされるのでないか?

 (もしかしたら、あのザラファスの信者の人みたいに……?)

 ラナは体を震わせ、サネヤにしがみついた。

「ラナ、僕が神器で下にいる衛兵を違う場所に引き寄せた後、一か八か君を担いでここから飛び降りる。僕はきっとすぐには走れないだろうから、君はこのランタンと羅針盤を持ってカリマーラに逃げるんだ」

 サネヤはラナを地面に下ろし、腰につけていたランタンと羅針盤の入った袋を渡す。ラナは困惑しながら震える両手で受け取った。

「え……? それだと、サネヤどうなるの?」

「大丈夫、なんとかするよ」

「だ、ダメ! そんなのダメだよ! ラナ、そんなの嫌だから!」

「もうこうするしかない。ママを探すんだろう? 使い方は前言った通りにするんだよ」

「やだ!」

「やだじゃない。いいね。飛び降りたら、振り向かずに人のいない暗いところに走るんだ。

 その後、人ごみに紛れてすぐに門を出る。すぐにだよ。門が閉鎖されるのも時間の問題だから。門を出たら、あとは黄色の砂蛍が導いてくれるから」

 サネヤは嫌がるラナの体に羅針盤の入った袋を落ちないように結びつけ、ランタンを握らせる。ラナは喉の奥から唸るような声を出しながらサネヤを睨みつけた。

「ラナ、絶対に一人で行かないもん! サネヤと一緒じゃないと行かない!」

「僕の言うことを聞く約束だろう!」

「そんなの知らない!」

「ラナッ! 言うことを聞けッ!」

「おやおや、随分楽しそうではないか」

 二人は音のする方に勢いよく振り返る。そこには、扉にもたれかかり、腕を組んでニヤニヤと嗤っているハジャルの姿があった。

「どうした? はよう続けよ。どのように我が街を出るのか、余に聞かせておくれ」

「……まさか、偉大なるハジャル様直々においでくださるとはね」

 サネヤが苦虫を噛んだように言うと、ハジャルは笑いを噛み締めるように喉の奥で嗤った。

「いやぁ、随分騒がしい音が聞こえていたからなぁ。ぐっすりと眠っていた余も起きてしもうた。まさか、余の財宝を奪う愚か者がまた来たのとはな……小僧、貴様の顔忘れはしまいぞ」

 先ほどまで嗤っていたハジャルが、眉間に皺を寄せ、怒気を含ませた声を上げる。サネヤはラナを背中に隠すと、戦の神の神器を取り出して、切先をハジャルに向けた。

「ハジャル様に顔を覚えていただき、感激でございます。矮小な私のことなど忘れて、もう一度お部屋でお休みになっては?」

「ぬかすな、東方人。忘れたくても貴様らのことは忘れられんわ。白昼堂々余の神器をごっそり盗みよって……!」

「なるほど、コレクションを軒並み盗られて、余程堪えたから警報を付けたと……」

 話しながらサネヤはゆっくりとラナと一緒に後ろへと下がっていく。そんなサネヤたちを見て、ハジャルは見下すように鼻を鳴らした。

「ハッ……同じような顔の女を連れていたかと思えば、今度はそんな子どもを連れておるのか。舐められたものよの。それとも……女の趣味でも変わったのか?」

「神々は我々下賎な人間のことなど知らなくて良いです。……あぁ、失礼。貴女のような下品で趣味の悪い女神には不要な忠告でしたね?」

 ハジャルはサネヤの言葉に耳を傾けることなく、その後ろにいるラナを凝視した。灰色の目がラナを射抜くように見据え、ラナはサネヤの背中に隠れた。

「……その子ども、美しい髪だ。瞳も余の好みである。東方人にしては趣味がいい……その子どもを余に献上し、財宝を返すというのであれば、おぬしの命だけは助けてやろう」

「ハジャル様が稚児趣味をお持ちとは……存じ上げませんでした」

 サネヤは眦を上げながら、ナイフの柄を強く握りしめる。ハジャルは手を表に上げ、早くよこせと言うようにくいくいっと指を曲げた。

「さっ、余の機嫌を損ねぬ前に早うその子どもを連れてこい」

 サネヤは一瞬目を瞑り、開くとにっこりと誰もがうっとりするようないい笑顔を浮かべてラナを抱き上げた。

「サネヤ……?」

 ラナはサネヤとハジャルを交互に見る。ハジャルはニンマリといやらしい笑顔を浮かべて手をラナの方へ差し伸べている。ラナは震える手で縋るようにサネヤの服を握りしめた。

「サネヤ……」

「嫌です。さっさと自分の部屋に戻ってお山の大将してろクソ女神」

 戦の神のナイフが光り、ハジャルの腕輪にヒビが入る。体の向きを変え、屋上の縁に足をかけ、飛び降りようとした時、サネヤの体が勢いよく崩れた。ラナの体が屋上の地面に転がり、サネヤから離れた位置で止まった。

「よもや、ここまで阿呆とは思いもよらなんだ。余の神器が一つだけだとでも思うたか?」

 ハジャルがサネヤに向かって歩き始める。付けているアンクレットがしゃらしゃらと音を立てた。

 サネヤは呻きながら起きあがろうとするも、ハジャルに背中を足蹴にされ、起き上がることができない。

「サネヤ! ハジャルやめて! サネヤに酷いことしないで!」

 ラナは走ってサネヤからハジャルを引っぺがそうするが、ハジャルは軽く体を捻っただけで、ラナは地面に転がっていく。ハジャルはラナを見下ろしながら指で床を指した。

「うるさいぞ小娘、そのままそこに転がって少しその口塞いでおれ。安心せい、貴様は殺したりなぞせん。見目だけは良いからな」

 ハジャルは腕を天に掲げる。ひび割れた腕輪が光り、サネヤに襲い掛かろうとした。

(サネヤ……このままだと死んじゃう……? やだ……! そんなのヤダ!)

 ラナは袋の中からサネヤがしれっと入れていた神器を漁る。羅針盤以外に複数入っており、どうやって使うのか、どんな神が持っていたものなのか、ラナには全く分からなかったが、サネヤを助けたいという一心でその中の一つを手に取る。

 それは、銀細工で出来ていた手鏡だった。鏡の表面は綺麗に磨かれており、背面には模様が彫られている。ラナはそれを握りしめ、ハジャルに向かって突き出した。

「ハジャル!! これ、見て!!」

 ハジャルにすれば、特に意味のない小娘の悪あがきだった。早く床に蹲るサネヤを殺せばいいものを、咄嗟に声の下ほうを向いてしまったのだ。

 ハジャルの喉の奥から、空気を飲む音がする。天に掲げられた腕がゆっくり下がっていき、口は半開きになり、わなわなと体が震え始めた。

「な……なんだ……それは……あ……それは……マコトの鏡……な、なぜそんなものが、小娘の手に……奥に、見えないように……しまったはず……」

 手鏡に映ったハジャルの姿は、酷いものだった。

 目の下は窪み、髪は抜け落ち、シミと皺で覆われた顔は女神には程遠く、威厳も神聖も感じられなかった。

 身体中に肥えて脂ぎった人間の手が次々に伸びてきて、ハジャルの体を掴む。掴まれたところから草花が枯れるように衰えていき、枯れ枝のような姿になっていった。

 ハジャルは衰えていくのに、人間たちの手はどんどん肥え太っていき、装飾品も豪華になっていく。ハジャルを支えていた手は一つ、また一つ減っていき、ハジャルの身体がひび割れて壊れ、中から蛆が湧いて出てきた。

「や、やめよ! それを余に向けるでない! やめよ、小娘!」

 ハジャルが鏡から逃れようと、サネヤの体からフラフラと後退りする。サネヤはその一瞬を逃さず、ハジャルの足を掴んで、思い切り地面の方へと放り投げた。

「が……ぐぅぁ……!!」

 地面に叩きつけられたハジャルは、胸の空気を吐き出し、痛みで手足をもがいた。サネヤは勢いよく立ち上がり、ラナの方へと走ってくる。

「ラナ! 行こう!」

 ラナの体を乱暴に持ち上げ、飛び降りようとするも、地面を見下ろして、その足を止めた。

 地面一面に広がるのは松明だった。衛兵たちが槍や剣を持ち、神殿の中へと入ってくる。周辺はびっちりと固められ、ネズミ一匹逃げることのできる暗闇などどこにもなかった。

「こ、この……不敬もの共がぁ……!! 余のコレクションを盗み、余の、余の本当の姿を見せて……あまつさえ神聖なこの身にその穢らわしい足で触れるなど……! 万死に値する!」

 髪を振り乱し、幽鬼のように立ち上がるハジャルの背後で、神官や衛兵が登ってくる音が聞こえてくる。

 サネヤは深く息を吐き、ラナを見下ろした。

「ラナ……やっぱり君はカリマーラに置いてくるべきだった」

「サネヤ……?」

「ごめんね」

 サネヤはナイフをラナの首下に当てる。ラナはサネヤがなにをしようとしているのか全く理解できずに目を丸くさせてサネヤを見上げた。

「生き残っても、ここにいる限り、死ぬより酷い目に遭うことは決まってる。スーク・カルハンはそういうところなんだ」

「なにするの……?」

「君の身体はあの可哀想な鳥さんのようになるかもしれないけれど、君の御魂は天空の神がいる場所へと行くだろう」

 ぐっ、とラナの柔肌にナイフが食い込む。赤い雫が流れ落ちていった。

 ラナの耳に、風の音と、衛兵のがなり立てる声、ハジャルの亡霊のような怨嗟の声が聞こえてくる。サネヤの背後から白い太陽が徐々に昇ってラナたちを照らそうとしていた。

「ラナは……ラナはね、本当はサネヤのお手伝いしにきたの」

 ラナは鏡を袋に入れ、サネヤのナイフを掴んでいる手を両手で包むように握る。扉から衛兵と神官たちが乗り込んできて、ハジャルを囲んでいる。ハジャルは喚きながら、ラナたちを指を指し、何かを命令していた。

「だからね、ラナ、サネヤの役に立つの!」

 ガウルは言った。人間に関わると碌なことがない。酷い目に遭うと。

 確かに同族は殺されて剥製にされていた。それでも、ラナを助けてくれた目の前の人間は、確かに今もラナを救おうとしてくれている。

 ラナは心から念じた。今どこにいるのかもわからぬ、自分が仕えるべき天空の神、シェライルに。目の前の人間を救う力をくれと。

 ラナの身体が徐々に形を変え始める。足は鉤爪に戻り、手は羽根へと変化していく。サネヤはその様子を見るや、ナイフを下ろして呆然とした。

「サネヤ! 早くラナに乗って!」

「アルラーミア……!? まだ生き残りがおったというのか……! 何をしている貴様ら!! 早う連中を捕まえんか! 一番に捕まえたものにはとっておきの褒美をやる!」

 サネヤは一瞬で我に返り、ラナの背中に飛び乗る。衛兵や神官たちが走ってラナに近づくが、ラナが大きく羽ばたくと、風が強く吹き、皆顔を押さえた。

 ラナは思い切り地面を蹴り上げ、空へと飛び上がる。神官や衛兵たちが口を開けてラナたちを見上げた。

「ひぇ〜!! 砂が目と口に入る〜!!」

「ハジャル様〜無理です〜!! もうあんなに遠くまで飛んでいっちゃいましたよ〜!!」

「泣き言をほざくなぁ!! 弓矢を持ってきて打たんか!! この阿呆共がぁ!!」

「ハジャル様の神器使ってくださいよぉ〜!!」

「今、余の神器は壊れておる! 使える神器もあそこまで遠くに行かれては使えるもんも使えんわ!!」

 ラナは遠く、遠くへと飛び上がる。サネヤは必死にラナの背中に縋りつき、目を細めてラナを見た。

「ラナ……やっぱり君は、あの時の鳥さん……ピィちゃんだったんだね」

「サネヤ! ちゃんと捕まってて!」

 ラナは一層強く、大きく羽ばたく。下から衛兵たちが矢を放ち、ラナの身体に矢が掠めていく。血が滲み、痛みで顔を顰めるが、ラナは羽ばたくことをやめず、さらに力強く羽ばたいた。

 サネヤがラナから体を乗り出し、戦の神のナイフの切先を、下で弓を引いている衛兵たちに向かって向ける。何人かの衛兵が崩れ落ち、松明が落ちていくのが見えた。

「東方人!! このハジャルが予言してやる!! 貴様の願いは永遠に叶うことなく!! 深い暗闇に沈んでいくであろう!!」

 背後でハジャルが金切り声を上げ、呪いの言葉を喚き散らす。サネヤは一瞬だけ背後を振り返り、すぐに前を向いた。

「サネヤ! ランタン! 黄色の砂蛍、ラナに見して!」

「わかった!」

 サネヤは腰につけていたランタンをラナの前に差し出す。ラナはスーク・カルハンの城壁を越え、砂蛍の向かう方向、太陽が昇り行く方へと羽ばたいた。

「ラナ! ハジャルが僕たちを逃さないように、黒い砂嵐は来る時よりもきっと強い! 強く自分を保つんだよ!」

「大丈夫! ラナは負けない!」

 ラナは毛をふわふわと逆立てる。砂蛍が向かう方向には、どす黒い砂嵐が、ラナたちに立ちはだかるように轟々と音を立てていた。

 ラナは迷うことなく、黒い砂嵐の中へと突っ込んでいく。視界が黒一色に染まり、朝日も見えず、スーク・カルハンへ行く時よりも強い風が吹き荒れた。

 ラナが風に身体を取られ、ふらつくも、なんとか姿勢を整えて砂蛍の向かう方角へと飛んでいく。背中でサネヤが強くラナを抱きしめた。

「ねぇ、無駄だって!! そいつを庇ったところで、この砂嵐を抜けたらお前はあの剥製と同じように殺されちまうんだよ!」

「お前たちは殺される運命なんだよ! 最後の一匹であるお前も! 必ず殺してやるからな!」

 ラナの耳元で誰かの金切り声が聞こえてくる。声に惑わされることなく、ラナはまっすぐに目の前の砂蛍を見つめた。

「ねぇ、ラナちゃん。何も知らない貴女を助けてあげたのは私よね? じゃあ、私のために剥製になってくれないかしら? ラシッドの館も貴女がいれば一層箔がつくというものよ」

 ライラの優しい声が聞こえてくる。目の奥でライラの幻影が陽炎のように現れた。

 幻影のライラの手の中には、大きな刀が握られており、周りには羽根を毟られて、内臓を掻き出された同族たちが無惨に転がされている。

 ラナはそれでも、幻影に惑わされることなく、砂蛍だけを見つめた。

「ねぇ、ラナ。君は間違っていた。大人しく僕の言う通り留守番をしておけば、君は穢れを知らない無垢なままだったのに。あーあ、残念」

 タリクの声が聞こえてくる。タリクの幻影はラナの同族を蹴り上げ、内臓を踏みつけた。

「だから言っただろう。そいつは碌でもねぇ男だって。この砂嵐を抜ければ、お前は売られて、あの可哀想な剥製の仲間入りだ!!」

 ハキムの幻影がラナをせせら笑い、同族の首を刎ねる。血が飛び散り、地面を大きく汚した。

「うるさい! みんなそんなこと言わない! みんなラナに優しかった! 何も知らないラナに優しくしてくれた! ハジャルの意地悪なんか、ラナには効かないんだから!!」

 ラナは強風で身体を取られながらも、背中にいるサネヤを落とさないように意識を向ける。サネヤは必死にランタンを掲げながらも、ラナの背中にしがみつき、顔を伏せていた。

「ラナ! もうちょっとだ! もう少しで砂嵐を抜ける! 頑張るんだ!」

 砂が石つぶてのように身体にあたり、羽根が風に取られ、木の葉のように舞いそうになる。視界からは幻影が消えず、耳にサネヤの声が聞こえなくなり、砂嵐の幻聴が延々とラナに語りかけてきた。

「小娘! お主の一族はもうどこにもおらん! 恩返しなどというくだらない習性で狩られてきたというのに、なぜお前は破滅へと進むのだ!?」

 ハジャルの信じられないというような声がする。ラナは砂嵐の向こう側に向かって懸命に叫んだ。

「ラナが! サネヤの役に立ちたいだけ! 優しくしてくれたから! あったかいものを返したいだけ! 破滅なんかしないもん!」

「お前は何も知らない! お前の行く先には地獄しかないぞ! 死んでおいた方がお前のためだ!」

「ハジャルうるさい!! あっちいって!」

「ラナ! 虹砂の丘が見えてきた!!」

 サネヤが指を指した方に、キラキラと虹色に輝く砂丘が砂嵐の隙間から見えてくる。

 ラナは、息を深く吸い込み、一気に砂嵐を駆け抜けていった。

 黒い砂嵐を抜けると、すでに朝日は昇っており、虹砂の丘がキラキラと輝いている。ラナはハアハアと荒い息を吐くと、砂嵐の方を見た。

 砂嵐は遠く、スーク・カルハンは見えることがない。ラナは安心するように旋回すると、急に体の節々が傷んだ。

「ラナ! 体は大丈夫かい!?」

「い、痛い……ちょっと……降りるね……」

 フラフラと蛇行しながらも、虹砂の丘に降りる。サネヤはラナから降りて、ラナの傷口を見た。

 体の節々は砂嵐の中を飛んだため、砂礫で打撲だらけになっており、矢が掠めた所は血がだくだくと流れている。目も砂嵐のせいで充血しており、満身創痍になっていた。

「酷い……こんな状況でよく飛んでくれたね……ありがとう……」

「ラ、ラナ……サネヤの役に立てた?」

「うん。すごく役に立ってくれたよ。君がいなかったら僕は死んでた」

「えへへ……よかったぁ……ラナ、サネヤの役に立てた……恩返し、できたぁ……」

 サネヤは布を取り出し、ラナの傷口を抑えて、ラナの体を抱きしめる。ラナは思わず砂の上に座り込んだ。

「ラナ、本当にありがとう。痛かったね」

「うん……さっきまで痛くなかったのに、すごく痛い……」

「怖かっただろう」

「うん……うん……怖かった……」

 ラナは緑の目にいっぱいの涙を溜め、震える声を出す。体を膨らませ、抱きしめてくるているサネヤの方に首を回した。

「サネヤ、あの時、罠にかかったラナを助けてくるてありがとう」

「お礼を言うのは僕のほうだよ」

「そうだ! 神器! サネヤ! 神器入った袋! ラナの体からとって!」

 ラナは羽根を痛そうにバタバタと動かして、サネヤに催促する。サネヤは傷口を抑えたまま、器用にラナの体に巻きついていた神器の入った袋を取り出した。

「……うん、ちゃんと中に入ってるよ。……ただ、砂嵐のせいか、羅針盤の針が片方折れ曲がってるね……」

「そ、そんな……」

 ラナはガックリと項垂れる。サネヤはそんなラナの頭を撫でて、頬ずりをした。

「大丈夫だよ。壊れていても、妹がいるであろう、ある程度の方角はわかるはずだから……」

「本当!?」

「うん、だから大丈夫」

「やったぁ!」

 ラナは痛みがあるにも関わらず、羽根をバタバタと動かして体を左右に揺らした。

 ふと、ラナの頭から羽根が一枚ひらり、と落ちた。それはあのスーク・カルハンで剥製にされた同族の羽根だった。

 ラナは動きを止める。ジッと羽根と、サネヤを見比べ、羽根を咥えると、大きく羽ばたいて宙に飛び上がった。

「……サネヤ、ラナね、あの剥製にされたおばちゃんの羽根をパルディスに連れていってあげたいの」

「パルディス?」

「うん。ラナが生まれ育った所。砂漠じゃない、自然がたくさんある場所なんだよ。

 でも……サネヤは連れていけない……連れて行ったらガウルに頭から食べられちゃう……だから、サネヤとはここでお別れするの」

 ラナは大きく空を旋回し、サネヤを見下ろした。

 サネヤは目を細めて、ラナを見上げる。手を大きく空に向かって伸ばした。

「ラナ!」

「バイバイ、サネヤ! 元気でね!」

 ラナは雲ひとつない青空を翔けていく。大きく痛む羽根を伸ばし、砂が広がる大地を飛んでいった。

 サネヤは朝日を浴びて虹色に輝く赤い翼を、見えなくなるまで、ずっと見守っていた。

 

  

 

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