第8話 ハジャルの記憶
「クッソ! クソクソクソ!! ザラファスの信者め!! 余の信仰心を集める場で水を差しおって!!」
ハジャルは自分の部屋で、装飾品や部屋の備品に八つ当たりをしながら暴れていた。
贅を凝らした部屋には、ハジャルを讃える絵画や石像が飾られており、細工を凝らした家具が置かれている。しかし、そんな目が潰れてしまいそうな煌びやかな部屋の床には割れた壺や服が散らばっており、宝石が道に落ちている小石のようにばら撒かれている。
ハジャルは歯軋りしながら自分の髪をぐしゃぐしゃに掻き分け、ベッドに倒れ込んで叫んだ。部屋が揺れ、燭台が倒れた。手で顔を覆い、呻いているとどうしても先ほどのザラファスの信者の言葉が蘇ってくる。
『他の神々のように消えてしまうのを震えて待つ矮小な存在であるくせに!!』
確信を得たような堂々たる宣言。ザラファスを疑うことなく信じている姿が目に焼き付いて離れなかった。
「違う……余は……余は……他の神々などとは違う……」
声は弱々しく、ハジャルのこぼれ落ちた言葉は誰にも届かなかった。
数百年も前、この大陸がまだ熱砂に覆われず、砂漠地帯はスーク・カルハンやカリマーラの辺りまでしかない、自然豊かであった頃。神々は人間に信仰されて暮らしていた。
ハジャルが生まれた時から────正確には、生まれたというより、自分を神だと認識し始めた時から────砂漠に覆われたこのスーク・カルハンにいた。
ハジャルが望んだことではない。人間が勝手に産まれたばかりの自分をスーク・カルハンの神として祀り上げたのだ。
元々ハジャルは砂漠の洞窟にいた。暗い洞窟の中には、動物の精神を揺さぶるピギュマ草が繁殖しており、そこにはピギュマ草によって酩酊したネズミなどが千鳥足で走っていた。
最初の記憶にあるのは、暗い洞窟の中でピギュマ草が生い茂った地面に裸で寝転んでいる自分だった。暗い石の天井を見上げて、何も考えずぼんやりと眺めていると、そこに人間がやってきたのだった。
自分を信仰し始めたのは、誰だったのか。今ではもう忘れてしまったが、おそらくスーク・カルハンを作った者たちなのだろう。
その者たちは洞窟の周りに家を作り、テントを並べて品物を作り始めた。ピギュマ草を使った麻薬である。
麻薬はあっという間に広がった。どんなに辛くても、幸福を感じる魔法の薬として。
依存性は高く、肉体も精神もボロボロになるにも関わらず、人間は麻薬を求めた。
麻薬を求めて洞窟の周りは人が集まる。人が集まると物が集まり、金が集まった。次第にそれはどんどん膨らみ、今のような違法物が集まる闇市のような都市となった。
ハジャルは人間たちから、ピギュマ草がもっと手に入るようにと祈られた。願われたからハジャルはピギュマ草をもっと与えた。すると人間たちは大いに喜び、富や食事を振る舞ってくれた。贅を凝らし、富を集めると、人間たちはもっと喜んだ。
人間たちが喜ぶと、ハジャルの力はどんどんと強くなり、見た目は美しく、生き生きとしてきた。街を守ってくれと願われたから、黒い砂嵐の結界を作ると、大勢から感謝され、さらに肉体の内側から力がみなぎってくる。
スーク・カルハンから出なければ、ハジャルは強く、美しく、この世の全てにおいて一番素晴らしい存在だった。
────だったのだ。あの時までは。
いつの頃からか、オアシス都市カリマーラの神、ザラファスが力を持ち始めた。他の神々は姿を消し始め、砂大蛇が自然を壊し始めた。もちろん、このスーク・カルハンにも砂大蛇の群れがやってきた。
人間たちはハジャルにこのスーク・カルハンを守ってくれと請い願った。勿論、ハジャルは守ろうとしたが、砂大蛇にハジャルの黒い砂嵐の結界が効く事なく、街の周りには巨大な砂大蛇が何匹もやってきた。
砂大蛇の群れは、スーク・カルハンの外壁を壊し、中にいた人間たちを喰らい始めた。人間たちの祈りは悲鳴に代わりに、血や臓物が飛び散っていく。
ハジャルが神殿の頂点に立ち、街を見下ろす。街からは煙が立ち昇り、血が地面にシミを作り、人だった物が散らばっている。信者たちの叫びが四方から上がり、ハジャルの耳に届いた。
ハジャルが精神干渉させる神器を使い、砂大蛇を殺しても、別の砂大蛇がやってきて街を荒らし、逃げ惑う人々を捕食し始めた。
「ハジャル様! お助けください!」
「ハジャル様! ハジャル様! ど、どうしてこんな目に!!」
「お、俺の足が! 俺の足がぁぁ!!」
「助けてぇ!! 助けてぇ!!」
自分を信仰していた人間が、目の前で無惨に死んでいく。自分の中にあった力が陽炎のように揺らめいていく。必死に砂大蛇を退治し、もう何匹屠ったかも分からない。手足が痺れ、視界がチカチカと白と黒に点滅する。耳にはずっと信者たちが自分に助けを求める声が聞こえ、気力も尽き、意識が朦朧とした時、それはやってきた。
「ねぇ、ハジャル。オレと取引しようよ」
この場にふさわしくない、楽しそうな声がした。振り向くと、ふわふわと宙に浮いている顔や体に痣のある、浅黒い肌の男がいた。
「なんだ貴様……」
「オレ? そうだね、初めましてだったね。オレはザラファス。カリマーラを統べる神だよ。ねぇ、ハジャル。オレなら、あの砂大蛇たちを鎮められるよ」
ザラファスはニコニコと笑いながら、世間話をするように言う。ハジャルは顔を顰めながら、舌打ちした。
「貴様に……? 戯けたことを……」
「信じられない? じゃあ見てて」
ザラファスは砂大蛇たちを指でさす。ザラファスが付けていた指輪が一瞬煌めいたかと思うと、砂大蛇たちは暴虐を止め、鎌首をもたげた。
「ほぅら、ね。これで信じた?」
ザラファスが宙に浮きながら胡座をかき、膝をついた。
「……何が目的だ? 親切心でここに来たわけではあるまい」
「あ、わかった? あのね、オレ、ピギュマ草が沢山欲しいんだ。あの麻薬。すごーく欲しいの。だから、これからはオレの街にピギュマ草を流して」
「何故わざわざ神であるお前がそれを頼みにくる?」
「それはお前に関係ない。さぁ、早く選択して。そうじゃないと、お前の大事な信者たちがどんどん死んでいくよ」
ザラファスは再び砂大蛇たちに指をさすと、砂大蛇たちはゆっくりと動き始める。人々は再び絶望の声をあげ、逃げ惑った。
「ハジャル様ァ!! ハジャル様ァ!! お助けください!!」
「ハジャル様!! いつものように我々にご加護を!!」
「嫌だ! 死にたくない! 死にたくないぃぃぃ!!」
ハジャルは一瞬目を閉じ、再び開くと、ザラファスを強く睨みつける。ザラファスはニマニマと口角を上げ、目を三日月の形に変えて笑った。
「良いだろう。ピギュマ草は貴様に流してやろう」
「うんうん、そうこなくっちゃ」
ザラファスは指輪を嵌めている手を挙げ、刃物を首に落とすように振り落とす。すると、先ほどまで動いていた砂大蛇たちが一斉に地面に叩き落とされた。
巨大な砂大蛇たちが倒れる音が地響きのようにスーク・カルハンに鳴り響く。
人々は混乱の最中にあったが、自分たちが助かったとわかるや、安堵と歓声を挙げ、ハジャルへの感謝の祈りを捧げ始めた。
「ハジャル様! ありがとうございます!」
「流石ハジャル様! 我々スーク・カルハンの神!」
ハジャルは祈りを捧げている人間たちを苦々しく見下ろす。そんなハジャルを見て、ザラファスは腹を抱えて笑った。
「ハハハハハッ!! おっかしい〜! 砂大蛇を止めたのは、お前らが信じてるハジャルじゃなくて、オレなのに!」
「もうよい! 用は済んだであろう! さっさと失せよ!」
「うんうん、帰るよ。こんなところにもう用はない。じゃあね〜……ピギュマ草流さなかったら、分かってンだろうな?」
ザラファスは先ほどまでの機嫌の良さそうな声とは打って変わり、地を這うような声でハジャルに囁く。ハジャルは奥歯を噛み締めながら、黙って頷いた。
ザラファスは笑いながら去っていく。強い風が吹くと、ザラファスの耳障りな声が聞こえなくなった。ハジャルは壊れた街を見下ろす。膝をついて自分に祈りを捧げている人間たちの姿が見えた。
スーク・カルハンの被害は大きかったが、他の街よりもマシだったと分かったのはしばらく経ってからだった。
砂大蛇たちは自然を荒らし、星読みの神の街や当時、一番大きかったサルディンを信仰している都市を壊しているらしかった。
人間たちは砂大蛇を止められない神々に疑問を持ち、何故か大量に流れ始めたピギュマ草の麻薬に溺れていき、人も街も荒れ果てていったと、ハジャルは風の噂で聞いた。
さらに憎らしかったのが、他の神々が信仰を落としているにも関わらず、ザラファスのみが信仰を高めていることだった。
カリマーラだけは砂大蛇の被害が無く、それがザラファスの加護によるものだと、人々は口々に言い始めた。
ザラファスは力を持ち始め、どんどん強くなっていき、他の神々はどんどん弱くなっていく。ザラファスの信者が増え、布教を始めると、もうその流れは止まらなかった。
スーク・カルハンでもザラファスの信者が増えていく。そして、ザラファスの信者たちは、あの日スーク・カルハンを襲った砂大蛇を鎮めたのは、ハジャルではなく、ザラファスであると演説をし始めた。それは、ハジャルにとって一番耐え難いことだった。
自分を信仰していた人間たちの心がどんどん自分から離れていくのが分かる。体の内から漲っていた力が弱まっていき、肌艶が失われていった。
ハジャルは必死に信者たちを繋ぎ止めようと執心した。富を求める人間のために、自分の貯蔵庫を開きオークションを開催した。
神器を求める人間のために、信者に他の神々が持っていた神器を集めさせ、貯蔵庫に蓄えた。
ピギュマ草を強く求めた人間のために、体が動かなくなるまでピギュマ草を神力で増やそうとした。
しかし、流れは止まらない。
ピギュマ草はザラファスのいるカリマーラへと流れるせいで、スーク・カルハンから人は減り、そのせいもあってか、信者の心は年を追うたびにザラファスへと離れていく。
ハジャルの力は弱まるばかりだった。鏡を見ると、頬は痩せ、肌のハリがなくなり、荒れている。美しかった髪は薄くなり、目の下にクマが出来ていた。
多くの神々が消えた今となっては、信仰心の薄くなったハジャルにとって、黒い砂嵐の結界を維持するだけで精一杯だった。
神々がどこに消えたのかは、ハジャルには分からない。だが、少なくとも多くの神々は、神世に帰っていないことだけはわかった。
ハジャルはそれがとても怖かった。力を失った自分がどこに行くのか。無へと消えるのか、それとももっと恐ろしい目に遭うのか。一度も行ったことのない神世に帰ろうかと思いもした。
「ハジャル様の元気が最近ない……どうしたものか……」
「もっと献上品を捧げよう。そうすれば、きっと元のように笑ってくださる」
「あぁ、ピギュマ草ももっと育ててくださるはずだ!」
しかし、ハジャルにはできなかった。
遠くから聞こえてくる信者たちの声。自分の利益しか考えてないものが多い中でも、確かに自分の神聖を信じて支えてくれている者がいるという事実が、ハジャルをいまだに奮い立たせてくれる。この自分を信仰してくれる人間を見捨てることはハジャルにはどうしてもできなかった。
「ザラファス……ザラファス!! あやつのせいで、余はぁ……!」
部屋に信仰心の弱まった神の悲痛な呻き声が響き渡る。ハジャルの耳の奥で、あの日のザラファスの嘲りの笑い声がいつまでも響いた。
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