第6話 ラナはスーク・カルハンに行く


 ラナとサネヤは陽炎が昇る砂丘を二人で歩いていた。

 他の旅人たちは周りにおらず、二人は他愛のない話をしながら灼熱の砂の海を進んでいた。

「まだ着かないの〜? 暑いよ〜」

「まだみたいだねぇ」

 ランタンの中にある青い光を放つ砂蛍は相変わらずある方角に向かって固まって飛んでいた。

 暑さや砂の重さで足取りが徐々に重くなっていく。日はすでに傾き、砂は真っ赤に染まっていた。

「流石に今日は無理だね。野営しようか」

 二人は風除けができそうな岩場の影に簡易なテントを貼り、サネヤが予め持っていた枝をいくつか重ねて火をつける。すでに日は落ち、空には満天の星空が広がっていた。

「寒いねぇ」

「そうだね。そういえば僕ね、少し前に大きな鳥さんと一緒に野営したことあるんだよ」

「へ、へぇ! そうなんだ」

「その子ね、罠に引っかかって泣いてたの。足が痛いよーって。助けた後、一緒にナツメヤシ食べたり、こうやって一緒に火に当たって寝たんだ。あの子、元気にしてるかなぁ。また地面に不自然に落ちてるナツメヤシ食べてないといいけど」

 サネヤが懐かしそうに目を細めながら火を見つめている。ラナは居心地悪く、目をウロウロと泳がせていた。

「ラナにも会わせてあげたいな。すごく綺麗な子だったんだよ。真っ赤な羽が光が当たると、虹みたいに輝くんだよ。とても綺麗だった」

「……! へ、へぇ!」

「目もとっても綺麗でね、太陽の光を浴びた新芽みたいな緑色で、毛もふわふわだったんだよ。その子のお陰で夜寒くなかったんだ」

「え、えへへ」

「どうしてラナが照れてるの。変なの」

 サネヤがくすくすと笑いながらラナの頭を撫でる。ラナは胸の奥がくすぐったい気持ちになりながらも、おとなしく撫でられていた。

「そういえば、ラナの髪もあの子みたいに真っ赤だね。とても綺麗だよ」

「そ、そう!? 嬉しいな……サネヤも、真っ黒な髪でかっこいいよ! そういえば、あんまりサネヤみたいな人、カリマーラで見たことない……?」

 ラナはじっとサネヤの顔を見つめる。カリマーラの人間たちは皆、凹凸のある顔立ちをしているが、サネヤは平たい顔をしている。立ち振る舞いも、どことなく他の人間とは違って見えた。

「うん、僕ね、日の昇る方角にある島国から来たんだよ」

「え!? そんなに遠くから!?」

「そんなにびっくりする?」

「だって、砂大蛇がたくさんいるから、交易路が塞がれてて、他の大陸からはもう長い間、人が来れてないって市場のおばちゃんたち喋ってたよ……?」

「そうだっけ? 他にもたくさん僕らみたいな人いたと思うんだけどなぁ。そういえば、こんなに砂漠って広かったかな? 来たばっかりの時は、カリマーラの周辺やスーク・カルハンの辺りぐらいにしかなかったと思うんだけどな……」

 ラナはガウルから教えられたことを脳裏で思い出す。

 この大陸、セラフィスは昔は自然豊かな大地が広がっていたが、人間が愚かであったせいで、パルディスを除いた場所では自然がほとんどなくなってしまったと。そのせいで砂大蛇が繁殖力を増し、棲家をどんどんと広げて人間や神々の住む場所を奪ったと言っていた。

(そのせいで、神々が去ったのと同じぐらいの時期から大陸の外の人が来られなくなったって言っていたはずなんだけど……そういえば、たまーに他所の大陸から来た犯罪者が流れてくる? ってハキムが言ってたな?)

「頭こんがらがってきた……」

「難しいねぇ。今日はもう寝ようか。おいで、近くで一緒に寝たら温かいよ」

 サネヤはラナの肩を抱き寄せて、火元で猫のように丸くなる。ラナの耳元で火種がパチパチと跳ねる音とともに、サネヤの心臓がトクトクと動く音が聞こえてきた。

 (あの時と同じ……あったかいなぁ……)

「ラナはあったかいね……ピィちゃんみたいだ……」

「……ピィ」

 ラナの髪にサネヤの無骨な指が何度も通っていく。出会った時とは違い、サネヤの体温がラナの体を包み込んでいった。

 (温かくてすごく気持ちいい、ずっとこうしていてほしいな……なんでだろう、昔誰かにこうしてもらっていた気がする……)

 ラナの瞼がどんどん下がっていく。冷たい風が吹くたびに、サネヤはラナを守るように抱きしめてくれた。

 (ああ、そうだ、思い出した……この感覚、ママの羽の下にいた時みたいなんだ……)

 大きな羽でまだ小さな雛だったラナを包んでくれていた母の姿を思い出す。木漏れ日の下、暖かな日差しと涼しいパルディスの風。そして大好きな母の温もりと優しい歌声を聞きながらまどろんでいた時のことが、ラナの脳裏に流れた。

「……ママ、会いたいよ」

 母を思い出し、ラナは思わず震える声で呟いた。サネヤは、ラナの背中を撫で、少し強く抱きしめた。

「そうだね。僕も、────に会いたい」

 サネヤの声は砂漠の夜風に乗って、ラナの耳には届かなかった。代わりに刺すような冷たさを纏った風の音だけが、ラナのところまでやってきた。



 寒い夜を超え、二人は再び不毛な砂漠を歩いていく。

 ラナは何度も元の姿に戻って飛んだ方が早いのに、と思いながらも、懸命に人間の両足を動かしてサネヤに着いて行っていた。

 息を切らしながら俯き、汗を流して歩いていると、ラナの視界がやけにキラキラと輝いている気がした。

 流れ落ちた汗かと思ったが、どうやら砂自体が宝石のように輝いているらしい。顔をあげてみると、そこには虹色に輝く砂丘があった。

 砂を手のひらで掬ってみると、どうやら砂の一粒一粒に色がついているようだった。それを丁寧に虹色に揃えて地面に敷き詰めたかのような絶景に、ラナは感嘆の声を上げた。

「すっごーい! なにこれ!? こんなの見たことない!」

「虹砂の丘……ここまできたらスーク・カルハンまでもうすぐかな」

「そうなの?」

「うん。虹砂の丘は遠い場所から見えず、陽炎の結界で覆われていて近くにいくまで認識することができないんだ。その虹砂の丘を超えて、黒い砂嵐を抜けるとスーク・カルハンがあるんだよ」

「サネヤ、詳しいね。行ったことあるの?」

「昔に一回だけね」

「その時は何しに行ったの?」

「……ふふ、内緒」

 サネヤは人差し指を唇に当て、微笑む。はぐらかされたラナは足元に広がる虹色の砂を蹴った。虹色の砂が宙に浮き、太陽の光を浴びてキラキラと輝きながら落ちて行った。

「じゃあ早くスーク・カルハンに行こうよ」

「うん、でもその前に約束して。絶対僕の手を離しちゃダメだよ。もうすぐしたら黒い砂嵐が来る。その時砂蛍が無いとどこに行ったらいいか分からずに遭難しちゃうからね」

「うん!」

「それから、砂嵐の中にいる時に、怖いことがたくさん起こるけど、それは全部幻だからね。僕を信じて」

 サネヤは真っ直ぐにラナの緑の瞳を見つめる。あまりにも真剣なその様子にラナは恐る恐る頷くと、サネヤはいつものような温和な笑顔に戻り、ラナの手を掴んだ。

「じゃあ行こうか。黒い砂嵐を越えればもうすぐだから、もうひと頑張りだよ」

 二人は手を強く握り合い、砂丘を歩いていく。

 空は青く、陽炎が揺らめいており、とても砂嵐が来るようには思えない。握り合った手の平に汗が溜まってぬるぬるとしていた。

「本当に砂嵐くるの?」

「うん、来るよ。あれすごく嫌なんだよね。スーク・カルハンにいる神が街を守りも兼ねて砂嵐を起こしているからね」

「スーク・カルハンにも神様がいるの?」

「いるよ。ハジャルっていう名前の神。でもラナは会わないほうがいい」

「どうして?」

「すごく性格が悪いから」

「そうなの?」

「黒い砂嵐の中を入れば嫌でも分かるよ」

「ふーん?」

 しばらく他愛のない話をしながら歩いていると、だんだん空が暗く沈んできた。先ほどまでの晴天がどこに行ったのか、風が強く吹き始める。虫の群れのような黒い砂があたりに舞い始めた。

「砂嵐が来る。ラナ、絶対に手を離しちゃダメだよ」

 サネヤはラナの手を強く握りしめる。ラナは舞いていたターバンを口元に押し上げ、目を細めた。

「うぅ、何も見えない……」

 目の前は黒い砂塵しか見えず、耳元は轟々と鳴り響く風の音しか聞こえない。サネヤの手の平だけが、ラナの頼りだった。

「……はね、もう、どこにもいないんだよ」

「……え?」

 吹き荒ぶ嵐の中、微かに声が聞こえた。ラナは耳を澄ますと、確かに砂嵐の中から聴き慣れた声が聞こえてくる。

「……ガウル?」

「お前の母さんはもう死んだんだよ」

「‼︎」

 ラナの耳に確かにガウルの声が届く。周りを見渡してもガウルの姿どころか、目の前にいるはずのサネヤの姿も見えない。

「ガウル? ガウルなの? どうしてここにいるの? ラナのこと、追いかけてきたの?」

「お前の母さんは、幼いお前を置いて人間のところに行っちまった。あんなに可愛がっていたのに……人間の方が大切だったんだと!」

「違うもん! ママ、ちゃんとラナのところに帰ってくるって約束したもん!」

「いいや! 帰ってこないね! お前の母さんは人間に殺されたんだ! 他の同族のように、羽を毟られて! 脚を折られて! 首を飛ばされたんだ! お前もきっとそうなる! そこの男に騙されて、腹を裂かれて内臓を引き出されて、殺されてしまうだろう!」

「違うもん! ママ、死んでないもん! サネヤもそんな酷いことしない! あなた誰!? ガウルはそんなこと言わない! どうしてガウルの真似するの!」

 砂嵐の向こうに叫び続ける。口の中に砂が入り、ジャリジャリとした感覚が不快だったが、そんなことよりもガウルの声を真似するナニカのほうがラナには不愉快だった。

「ラナちゃんはきっと帰ってこないね。でもまぁ、それで良かったのかもしれないね。パルディスにいたところで、もうひとりぼっちだもの」

 今度はサルディンの声が砂嵐と共にやってくる。ラナは泣きそうになりながら叫んだ。

「おじちゃんの真似するのやめて! ラナひとりぼっちじゃない! やめて!」

「ひとりぼっちだよぉ〜。同族はもういない。どこにも。大好きなママはラナちゃんよりも人間を選んだ。馬鹿だから騙されて、呆気なく死んじゃったんだよぉ〜。ガウルもおじちゃんも、おじちゃんの眷属たちも、仕方なく君の世話をしているだけなんだよぉ〜本当は、君のことなんかどうでもいいんだよ。君のことなんて大嫌いなんだよぉ〜」

「やめて! おじちゃんの声でそんなこと言わないでよ! みんなラナのこと、大好きだって言ってくれたもん! 嘘言わないで! あっち行って!」

「行かないよ〜だって、本当のことなんだからね」

「やだやだやだ!! 嘘つき! あっちいけ!」

 頭を振って声を遠くにやろうとすると、遠のくどころか、四方八方からラナを囲うように聞こえてくる。ラナは鼻を啜りながら繋いでいる手とは逆の手で、声を追い払うように振り回した。

「ラナちゃん、貴女を私の手元に置いているのはね、貴女がアルラーミアだからよ。羽が綺麗で、剥製にすればきっとラシッドの館に映えるでしょうね。もしかして……親切でそばに置いてると思ったのに? ただの小娘の貴女に価値なんてないのに?」

 嘲笑うように笑いながら話すライラの声が聞こえる。

「家なんてもうお前にはない。帰るところなんてどこにも。待ってる奴もいない」

 ハキムの嫌そうに吐き出すような声が聞こえる。

「だから帰った方がいいって言ったのに……あーあ、ガウルさんもサルディンさんも君のママみたいに殺されちゃった。君がパルディスにいれば、殺されなかったのに」

 タリクが心底残念そうに、悼むように語りかけてくる。

 目を瞑ったラナの視界に、パルディスの森で血を流しながら倒れているガウルとサルディンの姿が浮かび上がる。

 苦しそうに息を吐くガウルの口の端から、血が泡となって流れ落ちていき、地面に滴り落ちる。サルディンは自分の眷属のヒョウたちを何かから庇うように倒れ、グッタリと目を閉じていた。サルディンの眷属たちも、皆毛艶悪く、四肢が引きちぎれているものもいれば、この間生まれたばかりの小さな赤ん坊までもが無惨に地面に倒れ、ピクリとも動かない。

 周囲の木々は薙ぎ倒され、川は枯れ果て、地面には人間の足跡や砂大蛇が通ったであろう跡が大量に残されていた。

 必死にそれを消そうと目を何度もパチパチと目を閉じたり開いたりするが、その光景はこびりついたように離れてくれない。涙が流れても、その光景は流れてくれることはなかった。

「うぅぅ……ガウル……おじちゃん……みんな……ラ、ラナのせいなの……? ラナが、ガウルの言うこと聞かなかったから……?」

「ラナ、しっかりして。僕の言ったことを思い出して」

 繋がれた手が強く握り返される。先ほどまで聞こえていた様々な幻聴が一気にサネヤの声で覆い隠された。

「サネヤ……これ、全部嘘だよね?」

「そうだよ。全部嘘。見えているのも、聞こえているのも、ハジャルの意地の悪い嘘だよ」

 サネヤは手を繋いだまま、親指の先だけを動かしてラナの手の甲を撫でる。サネヤの姿は見えずとも、声や感触で慰められ、ラナはしょぼしょぼと萎んだ心を奮い立たさせた。

「うん……! 全部嘘! みんなこんなこと言わない! みんな酷い目にあったりなんてしてないもん!」

「そうだよ。ぜーんぶ、ハジャルが勝手に見せる悪趣味な幻。だから、ラナは大丈夫だよ」

 サネヤの大丈夫、という言葉は、まるで魔法のようだった。悪夢のような幻覚は溶けるように消えていき、耳に聞こえてくる嫌な声は、砂嵐の雑音に紛れていく。ラナは袖で涙を拭い、強く脚を踏み締めた。

「ラナ、もう大丈夫」

「ラナは強いね。スーク・カルハンまであともう少しだよ」

 二人は砂嵐の中をゆっくりと、しかし確実に進んでいく。黒い砂嵐の中で、サネヤの持っているランタンが青く光り輝いていた。

 ランタンの中にいる砂蛍たちは右へ、左へと迷いなく飛んでいく。最早ここがどこなのかも分からぬほど歩き続けていると、砂蛍の動きが次第に弱くなっていった。

「ラナ、もうすぐだ。だから頑張るんだ」

 サネヤがラナを懸命に励ます。あれだけ強烈に吹いていた砂嵐は、次第に弱くなっていく。真っ暗だった空の隙間から青空が見え隠れし始め、目の前に巨大な外壁で囲まれた城門が見えてきた。

 門の前まで来ると、先ほどまでの激しい砂嵐は一切なく、来た道を振り返っても、虹色の砂丘も見えなければ、砂嵐があったとは思えないような砂の大地が広がるばかりだった。

 ラナは身体中に着いた砂を落とすように体を震わせた。

「まるで狸にでも化かされたみたいだよね。僕も最初は驚いたよ」

「たぬき? なにそれ?」

「僕の故郷にいる動物。たまにいろんなものに化けて人間を揶揄いに来るんだ。でも鈍臭いから、尻尾だけ隠すのを忘れてはみ出てたりするんだよ」

「ふーん? よくわかんない」

 (そのたぬき? っていう動物はラナやガウルみたいに神様の眷属なのかなぁ?)

「さぁ、着いたよ。ここが、スーク・カルハンだ」

 ラナとサネヤは門の前まで辿り着く。門番が槍を持って並んでおり、蛇のような目つきでサネヤの持っていたランタンを見た。

「大いなるハジャルの客人。ようこそスーク・カルハンへ。そっちは商品か?」

 門番はラナの方へ顎をしゃくる。ラナはほっぺを膨らませ、唇を尖らせた。

 そんなラナを嗜めるように、サネヤはラナの肩を優しく撫で、門番へ訂正した。

「いいや。こちらも大いなるハジャルの客人だよ。友よ」

「そうか。では、中へ。ハジャルとスーク・カルハンは君たちを歓迎する」

 門番は最初からラナたちなどいなかったかのように、顔を逸らし、門の外に体を向けた。

 サネヤに手を引かれ、門番の脇を通った時、門番から頭が痺れるような甘ったるい匂いがした。

 (うっ……なんだろう。ラシッドの館も甘い匂いの香を焚いてるけど……これは、嫌な匂いだ……)

 門番の顔を横目で見上げると、門番は目の下にどす黒い隈がくっきりとあり、頬は痩せこけていた。目はうつろで、どこに焦点が向いているのか分からない。まるで深淵を覗いたような気分になったラナは、急いで目を逸らした。

「ラナ、どうしたの?」

「な、なんか、さっきの人から嫌な匂いがして……」

「あぁ、多分薬をしているんだよ」

「薬?」

「快楽を得るために、ピギュマっていう体に悪い薬を吸っているんだ。

 甘い香りがしただろ? あれは、乾燥したピギュマ草と星トカゲの尻尾を煎じて、満月の夜に井戸から汲んだ水で調合するとああいった独特の甘い匂いがするんだ。

 とても気持ちよくなる反面、効果が切れると、ずっと薬のことしか考えられなくなる。薬のせいで体調も悪くなるし、最悪死ぬんだけどね」

「死んじゃうのにずっと薬を吸ってるの? なんで? 頭悪い?」

「確かに、薬をしていない僕たちからしたらなんでかなぁって思うんだけどね。一度手を出してしまうと、それに依存してしまうんだよ。薬のしすぎで死んでしまってもいいから、それが欲しいと願ってしまうんだ」

「そんなの吸わなくても楽しい事たーくさんあるのにね! ラナ、虫掘るの好きだよ。こーんなに大きいイモムシ掘ってガウルを驚かせたことあるんだ!」

「そうなんだ。ラナはすごいねぇ」

 ラナが手を大きく広げて、いかに大きなイモムシだったかをサネヤに一生懸命に話しながら歩いていると、人の声がたくさん聞こえてきた。

 声のする方に目を向けると、カリマーラの市場よりも強い熱気がそこにはあった。

 人々は押し合うように大きな道を歩いており、商いをするためのテントが所狭しと並んでいる。

 テントの下には、貴金属や、巨大な植物、檻に入れられた四つ足の獣など、カリマーラでも見たこともない品々が大量に並んでいる。香水や香辛料が混ざったような匂いが鼻の奥を刺激し、喧騒が途切れることなく流れている。あまりの情報量の多さにラナの頭はクラクラし始めた。

「う、つぇ……」

「あぁ、ごめん。人に酔っちゃった? ちょっと人混みから離れたところに行こうか」

 口元を抑えるラナの背を撫でながら、サネヤは人混みから少し離れた道の隅へとラナを誘導する。ラナは深呼吸をするも、スーク・カルハンの市場は新鮮な空気とは違い、体に粘りつくような嫌な空気でさらに吐き気が増すようだった。

「ラナ、ランタンを持ってここで座っていて。これを持っていればハジャルの客人だと認識されるから、誘拐されないからね。僕はなにか飲み物を買ってくるよ。ここでじっとしてるんだよ。絶対に他の人に着いて行ったりしちゃダメだからね」

 サネヤはラナにランタンを握らすと、人混みの中へと消えていく。ラナは浅く息をしながら、その場に座り込んだ。

 (なんでだろう……カリマーラで人混みには慣れたはずなのに、ここはすごく気持ち悪い……頭がガンガンする……ずっと嫌なものがぐるぐる飛んでいる気がする)

 まるで嵐が来る前のような、そんな嫌な気配を感じていた。今は無い羽を威嚇するように羽ばたかせ、地面を蹴って飛んでいきたい気持ちを必死に押さえつけ、ラナは唇を引き結んだ。

 (サネヤのお手伝いしたいのに……これじゃあ、恩返しできない……)

 自分の腕を掴み、肩を震わせる。地面が揺れているかのような錯覚がして、視界がぐるぐると回った。

「あの子供……あぁ、なんだ、ランタン持ってやがる。小遣い稼ぎに売っぱらっちまおうと思ったのによ」

「やめとけ。お前、前もランタン持ちを誘拐して面倒なことになってただろ?」

「ランタン壊しちまえばいいだろ?」

「それでまーた、人の商品に手を出したのか! って奴隷商人に頭燃やされちまうぞ?」

「ははは! それもそうだな!」

 ラナの周囲で下卑た声が通り過ぎていく。意味は全く理解できなかったが、それは自分に向けられた暗い感情だということに気がついたラナは、胸の前で手を握りしめ、顔を声の方から背けて、口を半開きにして必死に空気を吸った。

 道ゆく人がジロジロと値踏みするように、ラナを見つめる。ラナはじんわりと広がる、ネバネバとするような嫌な感覚を覚え、隅に座り込んだ。

「ねぇ、お嬢ちゃん。大丈夫かい?」

 ラナの肩に手を乗せ、心配そうに顔を覗き込んでくる女がいた。女は体をズッポリと覆ったマントを着ている。髪は乱れており、目元が青く腫れ上がっていた。

「気持ち悪いの……」

「気持ち悪いのかい……困ったね……連れはいるのかい?」

 ラナが黙って頷くと、女は周りを見渡す。ラナの言う連れが近くにいないと分かるや、女はラナの耳元に口を近づけて、低い声で囁いた。

「お嬢ちゃん、ランタン持ってるってことは、あんたは売られてきたんじゃないね……悪いことは言わないから、早くこんな街から出るんだ。ランタンを持っていても、ここは安全じゃないからね」

「ラナ……ここでやることあるの……」

「馬鹿を言うんじゃないよ。生きたまま砂大蛇に喰われたいのかい? いいから、さっさとその連れと一緒に帰るんだよ。いいね?」

「おい! 何をやってるんだ!」

 人混みの中から現れた男が、女の髪を乱暴に掴み、地面へと叩きつける。女は悲鳴をあげて倒れ込んだ。

「奴隷の分際でどこほっつき歩いていやがる! さっさとこっちに来い! 今日の飯はねぇぞ!!」

「も、申し訳ありません……」

 男は煌びやかな服装をしており、黄ばんだ歯を剥き出しにして、女に怒鳴りつける。女は肩をすくめて、地面に頭を垂れると、男はその頭に足を乗せた。

「役立たずの分際で……誰のおかげで飯が食えてると思っているんだ!」

「だ、旦那様のおかげでございます……」

「わかっているなら、さっさと来い! 遊んでいる暇があるなら、豚の餌にしてやるからな!」

 (ひ、酷い……なんでそんなことするの……)

 ラナが女を助けようとして、立ちあがろうとするも、女は強い目線でラナを見つめる。首を軽く横に振り、ゆっくりと立ち上がった。

「……あ」

 細い女の足には、鉄の分厚い足枷が付けられていた。それが女が動くたびにジャラジャラと耳障りな音を立てている。マントに隠れて分からなかったが、よく見てみると、女の首にも太い首輪が付けられており、その首輪から伸びている鎖を男が引っ張る。女は前につんのめりながら、男に連れられていった。

 ラナが呆然と女が連れて行かれたほうを見つめる。周り見回しても、誰も女の人を心配する者はおらず、当たり前のように通り過ぎていく。

 ラナは鼓動が早くなり、酸っぱい液体が胃の奥から迫り上がってきた。喉の奥が張り付き、声にならない掠れた吐息を吐き出す。

 (あの女の人は……奴隷なの? どうして、あの男の人は

あんな酷いことができるの? どうしてみんな、当たり前みたいな顔しているの?)

 はっはっはっ、と息が早くなってキーン、と高い耳鳴りが止まらない。ラナはこの場から逃げるように、ランタンを抱えて座り込んだ。

 ラナがあまりの気持ち悪さに呻いていると、何やら周囲が騒がしくなってきた。

 先ほどまでの無関心はどこへ行ったのか、人々は何やらどよめきながら何かを見ていた。

「……?」

 大通りの人が焦りながら、道の脇へ脇へと逸れていく。ラナの周りにも、人が少しずつ集まってきた。

 なにがあったのかと、重い頭を起こすと、耳につんざくような楽器の音が、乾燥した空に響いた。

「さぁさぁ我らが友よ! スーク・カルハンの神! 強欲に富を貪るもの! ハジャル様のお通りです! 皆様しかとその目に焼き付けて下さい!」

 空からヒラヒラと色鮮やかな紙吹雪が飛んでくる。ラナはぼんやりとしながら、音の大きな方へと顔を向けた。

 そこには象の上に乗った褐色肌の女がいた。ニヤニヤと口を歪めながら、象の背中についた鞍の上で肘をつき、人々を見下ろしている。額や腕には唐草模様の刺青が入れられており、金の腕輪や宝石の指輪などの派手な装飾品が付けられている。服装もギラギラとしており、目に痛いほどだった。

「あれが、ハジャル……?」

 (サルディンおじちゃんとは全然違う……神様なのに優しそうじゃないし、なんか……見てたらすごくムカムカする)

 ラナが胸を押さえて蹲っていると、象は立ち止まり、楽器の演奏も収まった。

「我が友たちよ! 余の街によくぞ来た! このハジャルがお前達を歓迎しようではないか! 今日の余は気分が良い! 余の貯蔵庫から選別した特別な品々のオークションを開催しようではないか!」

 周りの人々からどよめきが湧き上がる。困惑するもの、喜色を浮かべるもの、付き人に何かを耳打ちするもの……ラナにはなにが起こっているのか分からなかった。

「ハジャルの貯蔵庫だって!?」

「まさか、神器も出るんじゃないだろうな……」

「神々の遺物が手に入れば、もっと金を稼げる……!」

 周りの高揚とした熱気に当てられたのか、ラナはさらに具合が悪くなっていく。視界がチカチカと点滅し、先ほどの砂嵐の中にいるかのような耳鳴りがして、平衡感覚がなくなって行った。

 (うぇ……もっとムカムカする……気持ち悪いよ……サネヤ……帰ってきて……たすけて……)

「オークションは余の神殿にて太陽の落ちる時刻に行う!皆、ゆめゆめ忘れるでないぞ!」

 再び楽器が鳴り始め、象が行進していく。ハジャルが去った後には紙吹雪の残骸が地面に散っており、周りの人々も急いでどこかへと去って行ってしまった。

 一人脇道で蹲っているラナは、浅く息をしながら周りを見渡すと、ハジャルが去った方から水が入っているであろう皮袋を持ったサネヤがラナの元へと走ってきた。

「ラナ! 大丈夫!? お水だよ。飲める?」

「うん……ありがと……」

 サネヤから皮袋を両手で受け取り、少しずつ口に含ませていく。ぬるい水が喉の奥に落ちていき、ムカムカする胸が少しばかり安らいだ。

「顔真っ青だよ。宿屋……は、僕がいなかったら危ないか……。ラナ、今回は帰ろう」

「い、いや! 帰ったらもう連れてきてくれないでしょ!?」

「でも……」

「大丈夫! もう気分良くなったから!」

 ラナは勢いよく立ち上がる。足元がふらつき、よろけて吐き気がするも、唾を飲み込んで地面に踏ん張った。

「ラナ……」

「早く行こう、サネヤ。大丈夫、もう気分悪くなったりしないから」

 ラナはサネヤの手を握って、大通りに歩いていく。

 サネヤは何か言いたそうにラナを見下ろしたが、ため息を吐き、ラナを支えるように肩を抱き寄せて歩き始めた。

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