第5話 ラナは言いつけを破る


 サネヤがラシッドの館を訪れてから三回太陽が昇り、沈んだ。

 サネヤが再びラナのところに顔を出すことはなく、ラナは頻繁に窓の淵から顔を出して、サネヤの姿を探していた。

 買い出しに行っても、店先にサネヤがいないか周囲を見渡したり、夜にはまたサネヤが来ていないかと玄関口に行こうとして非番の門番たちに首根っこを掴まれて部屋に放り込まれていた。

 今もサネヤが来ないかと太陽が中天に昇っている蒸し暑い頃に、ラシッドの館の前をウロウロとしていると、門番をしていたタリクが、ラナの視界に入るように膝を折り曲げ、微笑みながらラナに尋ねた。

「ラナ、ライラのお手伝い終わったの?」

「さっき終わったよ。ねぇ、タリク……サネヤが来ないの……」

「来ないねぇ。何か用事があるんじゃないかな?」

「サネヤと一緒にスーク・カルハンに行くのに……ラナ、砂蛍見つけるの……」

 ラナは服の裾を指でいじりながら、口を尖らせて俯く。タリクは、眉を山のように寄せ、指で自分の頬を引っ掻いた。

「あー……ハキムが言ってたなぁ……それにしても、よりにもよってスーク・カルハンかぁ……」

「ラナ、サネヤのところ行ってくる。来ちゃダメだよって言われたけど、ちょっとだけなら大丈夫だよね?」

「だめだよ。危ないからね」

「すぐ帰ってくるよ」

「大人でもあそこは危ないの。会いたい気持ちは分かるけど、大人しく待っていようね。ライラともあそこには行かないって約束したでしょ?」

「うん……」

 それでも納得がいかないというように、目も合わせずに小さな声で返事をしたラナを見て、タリクはラナの手を包むように握った。

「ラナ、ボクね、ちょうどライラからサネヤさんのところにお使いを頼まれているんだ。もう少しで交代だから、その時に行くつもり。その時にサネヤさんからお話し聞いてきてあげるよ」

「本当!?」

「本当。約束する。だから、お留守番しててね」

「やった! やった!」

 ラナはタリクの手をブンブンと上下に振りながら、その場で飛び跳ねる。砂埃が舞い、タリクの目をひどく刺激したが、ラナはそれに気づくことなく跳ね続けた。

「ボクはもう少し門番のお仕事があるから、ラナは日陰にいな。暑くて倒れちゃうよ」

「分かった! バイバイ、タリク!」

 ラナは元気よく両手を振りながら中庭へと駆けていく。タリクは微笑みながら、その背中を見送った。

「ライラも酷いことするなぁ……気持ちはわからなくもないけど……」

 大きな壁の向こうにいるはずのライラを思い出しながら、タリクは館の奥を見た。

 今日の朝、日の昇る頃にライラに部屋に呼ばれた。砂蛍をサネヤに持って行けと命じられた時のライラの顔は、目は虚で、感情が抜け落ちた人形のように表情はなく、どこを見ているのかわからなかった。

「あの顔をするってことは、ライラはサネヤさん嫌いなんだなぁ……ごめんね、ラナ」

 タリクは届かない謝罪をして、顔を引き締める。────といっても、タリクの顔はハキムと違い、全く怖くないのだが────門番としての仕事をするため、汗のかいた手で槍を握り直した。


「いってきまーす」

 日が傾き始めた頃、タリクは懐に砂蛍が入った瓶を入れ、身軽な格好でラシッドの館を出た。

 日が傾いてきているとはいえ、まだ蒸し暑く、汗がだくだくと地面に流れ落ちる。

 汗を拭きながら歩いているタリクの背後を小さな影が一つ、ちょこちょこと追ってきていた。

「タリクは待っててねって言ってたけど……でも、やっぱりラナも会いたいから……タリクの後ついていくだけだし、いいよね。うん、いいよ。

 それに、ライラも言ってた。フェリドの加護がラナにもあるって。ラナ、フェリドに会ったことないけど……」

 ひょこひょこと距離を空けながらラナはタリクの後ろを雛鳥のように着いていく。タリクはまさかラナが着いてきているとは思ってもいないのだろう。たまに店先にある売り物を冷やかしたり、大道芸を立ち見したりと寄り道しながら、どんどん人気の少ない路地裏へと入り込んでいく。

 路地裏の道は日陰で暗く、段々と腐敗臭のようなものが立ち込めてきて、ラナの鼻を刺激した。道には、ゴミや吐瀉物が落ちており、ネズミが足元を走り去っていく。

 ボロ切れのような服を着た痩せこけた人間が、道に横たわっていたり、膝を抱えている。皆、タリクを落ち窪んだ暗い目で追っており、何人かは道に落ちていた石をタリクに投げつけていた。

 (こ、怖い……大通りと全然違う……みんな幽霊みたいだ……)

 ラナは胸元で祈るように両手を握りしめながら、周りの痩せこけた人間たちの目を振り払うように、小走りでタリクの後を追いかける。

 しかし、タリクも急いでいるのか、道に座っている人間の目線から逃れたいのか、どんどんと歩く速度が速くなっていき、ラナは次第に小走りから全力で走るようになっていた。

「は、速い……! 待って……!」

 息を切らしながら追いかけるも、ついにタリクの背中は丸い点のように遠くになった。内緒で着いていっていることも忘れてラナは両腕を懸命に振り、肩で息をしながら追いかける。

 タリクが曲がった角を急いで曲がろうとした時、ラナの顔面を何かが強かに打った。鼻と額に強い刺激を受け、ラナは思い切り尻餅をついた。

「ぎゃあ!」

 打ったお尻が痺れて、頭に巻いていたターバンがゆるりと解けた。

「おい、小娘。お前こんなところで何をしている?」

「え?」

 ぶつかった場所から、少年の声が聞こえてきた。地面に座り込んだラナが、声の方を見上げると、そこには浅黒い肌の見窄らしい服を着た、フードをすっぽりと被った裸足の少年が一人立っていた。

「お前のことだ」

「ラ、ラナ、サネヤに会いに……」

「サネヤ? ああ、あの若作りの……で? 小娘、お前はアイツに恩返ししに来たのか? 殊勝なことだ。だが、このままだと他の同族たちのように狩られてしまうぞ」

「え……?」

 ラナの全身が、天敵に対峙した時のように固まる。目の前の少年は、ラナの横を通り過ぎで行く。

 (ラナがアルラーミアって知ってるの……?)

「さっさと自分の仕える神のところに帰ることだ。もうこの大陸はお前たちのようなものがいるところではない」

「ま、待って! あなた誰!?」

 ラナが急いで立ち上がり、少年の腕を掴もうとするも、それをかわし、ラナを顧みずに少年は去っていく。

「ねぇ、待ってよ! いっ……!? 何!?」

 少年を追いかけようとしたラナは、足元に複数の気配を感じた。足元を見てみると、大量のネズミがラナの足にまとわりつき、体に登ってこようとしている。

「もう! 構っている暇ないの! あっち行って!」

 ラナはそれを振り払いながら、少年を追いかけようとするも、すでに路地裏に少年の姿は無く、足元にいたネズミたちもどこかへと消えていってしまった。



 少年を見失ったらラナは、タリクも見失ってしまい、トボトボと路地裏を歩いていた。

 もう帰ろうかと落ち込んでいた時、路地の角の向こう側からよく聞き慣れた声がラナの耳に飛び込んできた。

「……で、これが砂蛍だよ」

「うん、ありがとう」

「にしても、スーク・カルハンねぇ。あんなところに行きたいなんて、訳ありなの?」

「大事なものを無くしてしまってね……あそこでなら手がかりがあると思って」

 角から少し顔を覗かせると、そこにはサネヤとタリクが、世間話をするように和やかに話していた。ここがフェリドの守り通りでなければ、近所同士の立ち話に見えるだろうが、周りは死人のような土気色の浮浪者が溜まっているゴミ捨て場で、とても和やかに会話をする場所ではない。

 サネヤはゴミ捨て場の奥から、袋に入ったランタンを二つ取り出す。片方に先ほどタリクからもらった砂蛍を入れる。黄色に輝く砂蛍が星空のようにランタンの中に広がっていった。もう片方の空のランタンにも青い砂蛍を入れる。青空のように広がって行くと、サネヤは両方のランタンを腰のベルトに結びつけた。

「これでスーク・カルハンに行けるよ。ラナにもよろしく言っておいてほしいな」

「君が黙っていなくなるなんて知ったら、ラナはすごく悲しいと思うよ」

「僕もちゃんとさよならしたいけど、ライラさんには、ラナにもう会わないっていう条件で砂蛍を譲ってもらったからね」

 (え……? ライラどうして……? ラナ、サネヤに恩返しするって言ったのに……ライラ、悪い人だったの?)

 ラナが混乱していると、サネヤは砂蛍が入ったランタンを持ち上げる。ランタンの中で、スーク・カルハンに行くための青い光の砂蛍が太陽が沈む方角へと固まって飛んでいた。

「じゃあ、僕はもう行くね。ありがとう、えっと……」

「タリク。ただの門番だよ」

「ありがとう、タリクさん。君にサルディンの加護がありますように」

「随分と昔の言い回しをするんだね。もう貴方と会うことはないだろうけれど、気をつけて」

 二人はそのまま別々の方向へと歩き出す。ラナは、タリクがいなくなったことを確認してから、サネヤの後を追いかけ始めた。

 

 サネヤはカリマーラの外に出ると、青い砂蛍のランタンを掲げた。日の落ちる方へと砂蛍が集まっているのを確認すると、しっかりとした足取りでその方向へと歩き出し始めた。

 その背後で、はぁはぁという荒い息遣いと、砂を踏み締める音が聞こえてくる。サネヤが振り向くと、夕日の光に照らされたラナが立っていた。

「サネヤ!」

「ラナ? どうしてここに?」

「サネヤとスーク・カルハン行く! 行くの!」

「ええっと……でもね、ラナはライラさんのところにいなきゃ……」

「ライラ嘘ついた! ラナ、サネヤと行くって言ったのに! ライラ嫌! もうライラのところ帰らない!」

「どこで聞いたの? あのね、ライラさんにもなにか考えがあると思うんだよ……多分、ライラさんはラナのことを思って……」

「いや! いやなの! サネヤと行くの! 絶対! ぜぇ〜ったい! 一緒に行くんだから! お手伝いするの!」

「う〜ん、困ったなぁ」

 サネヤは頭をかきながら、膝を折り曲げてラナと視線を合わせる。ラナは目にいっぱいの涙を溜めてサネヤの澄んだ目を見つめ返した。

「ラナも探し物あるんだっけ?」

「うん……ある……あるよ……だから一緒に行くの……」

 出会った時は、サネヤに恩返しする口実として言ってしまっただけなのだが、ここを逃すと帰らされてしまうと思ったラナは、必死に言葉を紡いでいく。サネヤはジッとラナの目を見続けた。

「そっか……でもね、すごく危ないんだよ」

「大丈夫だもん……」

「うーん……」

「ラナ、危ないことしないよ」

 ラナがサネヤの服の裾を掴み、引っ張る。サネヤは口元に手を当てて、しばらく考え込んだ。

「約束できる?」

「できるもん。サネヤ着いてきちゃダメって言っても、絶対着いて行くもん」

「そっか……それは危ないなぁ……仕方ないなぁ……」

 サネヤはラナに手を差し出す。ラナはサネヤのゴツゴツとした大きな手を丸い目で見つめ返した。

「僕の言うことちゃんと聞けるなら、一緒に行こうか」

「……! うん! サネヤの言うことちゃんと聞く!」

 目の前に差し出された手を両手で掴み、強く握りしめる。大きな手に頬擦りをした。

「えへへ……うれしいな……」

 目を細めてヘニャヘニャと笑うラナを、サネヤは懐かしそうな目をしながら眺めた。

「じゃあ、そろそろ行こうか」

「うん!」

 サネヤの手の中にあるカンテラには、青い砂蛍が舞っている。小さな足跡と、大きな足跡が砂漠に続いていった。

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