第3話 ラナは恩人を見つける


「あのオスいない〜! どこにいるの〜!!」

 あれからしばらく経っても、ラナは男を見つけられなかった。叫んでいるラナに、通行人はチラチラと目線を寄せるが、ラナはそんなことにも気づかず、周りをキョロキョロと見渡す。

 今日もラナはライラのお使いをするために市場に向かっていた。雑踏を歩くことにも慣れ、人の波に乗って軽やかに移動している。

 人の顔を見ながら歩いていても、男はどこにもいなかった。似たような後ろ姿の男を見かけて呼び止めるも、全く似ても似つかぬ男であったり、似たような男を知らないかと聞いても、首を傾げられていた。

 名前も知らないので、中々探すのはうまくいかず、それならばと絵を描いてみたものの、「このモジャモジャは髪の毛?」と人々に苦笑される始末であった。

 ラナは恩返しをすることを半分諦めかけていた。スパイスの匂いが乗った風が、砂と共に舞い上がり、口に入ってジャリジャリして気持ち悪い。

 どうしたものかと、うんうん唸りながら歩いていると、路地から男たちの地を這うような怒声が聞こえて来た。

 体が跳ね上がり、心臓が早鐘を打つ。ラナの脳裏に、カリマーラに来た時直後の、あの盗人の顔が頭に浮かび上がる。

 体が縮み上がり、声のする方を恐る恐る見てみると、薄暗い路地裏で、屈強な男たちが一人の男を取り囲んでいた。

 巨大な体躯の男たちに囲まれている人間は、この辺りでは見慣れない服を着ており、砂に塗れている。長く旅をして来たのだろう。髪を雑に一つにまとめ、幼い顔をしていた。

 ラナはその囲まれていた男の顔を見た瞬間、時が止まったような気がした。

「……ん? え? あのオス!?」

 取り囲まれていた男はラナを助けてくれたあの男だった。遂にラナは、探していた恩人をこの巨大な都市で見つけることができた歓喜で、体が身震いをする。両手を合わし、奇跡に感謝した。

 男は尋問されているにも関わらず、首を傾げながら微笑んでいる。井戸端会議をしているかのような優雅さで口元に指を当てた。

「君たちは僕がスーク・カルハンへの行き方をどうして知ってるのか、気になるんだね」

「さっさと吐け。どいつが漏らした?」

「なんで気になるんだろうねぇ」

「すっとぼけるな!」

 男は右から左へと罵声を聞き流し、ニコニコと商人と世間話をするようにしている。

(ど、どうしよう……ラナ、恩返しを……でも、助けなきゃ……あの人たち、怖い……でも! ここで行かなきゃ、もうあのオスに会えないかも!)

 汗で濡れた両手を握りしめ、生唾を飲み込んだ後、意を決したラナは、男たちの集団に走っていく。囲んでいた男たちの脇を抜けて、探していた恩人の腕にしがみついた。

「お、お兄ちゃん! 探したよ! ラシッド様もう館で待ってるよ!」

 声が上擦り、足が震えたが、ラナは懸命に恐れから目を背けた。ラナは恩人の腕を力強く掴み、路地を走ろうとするが、男は全く動こうとせず、大きく目を見開いてラナを見下ろしている。ラナは焦りながら、腕を引くも、全くラナの意を受け取ろうとはしてくれない。

 周りにいた男たちはラナを邪魔そうに見下ろすと、その内の一人がラナを見て指差した。

「このガキ、ラシッドの所のコマ使いだろ? ほら、この間ジャリドのやつと娼館行った時にいた」

「あ? あー、あの時の失礼なガキ……じゃあお前ラシッドの所のやつだったのか」

「紛らわしい……そうならそうとさっさと紋章見せるなりしろ。無駄な時間使わせやがって……」

 ラナの顔を見て、合点が行ったように取り囲んでいた男たちは渋々納得の行ったように頷き、市場の方へと去っていく。去り際に舌打ちをしながら、地面に落ちていた石を蹴って、ラナを睨んでいった。

(は、初めてカリマーラに来た時よりもドキドキした……)

 恩人の腕をギュッと全身で抱きしめたラナは、緊張のあまり、もう抱きしめなくていいのに石のように固まったままだった。

 男は表情を一切動かさず、ラナをじっと見下ろしている。もう片方の自由だった腕をラナの体に回すと、ラナの背中をゆっくりと落ち着かせるように撫でた。それはラナにガウルに舐められている時を思い出させた。

「ありがとう。君は僕を助けてくれようとしたんだね」

「え、う、うん。えっと、あの……」

「僕はサネヤ。君は?」

「ラナだよ」

「ラナ……素敵な名前だね」

 (褒められた! やっぱりいい人だ!)

 ラナは浮き足立つ気持ちを抑えて足をモジモジとさせる。サネヤの腕を離し、顔を見上げた。

「じゃあ、僕はこれで行くね。君も危ないことしちゃダメだよ」

 サネヤはラナに手を挙げ、踵を返して路地の奥へと行こうとする。ラナは慌ててサネヤの手を両手で掴み、引き留めた。

「ま、待って! えっと、スーク・カルハンに行きたいの!?」

「あ、聞いてたの? うん、ちょっと探しているものがあってね。スーク・カルハンならって思ったんだけど……」

 サネヤがこの場から離れることを察したラナは、慌てて頭の中でサネヤを引き止める方法を探す。またこの人混みの中でサネヤを探すのは至難の業だと知っているからだった。

「ラ、ラナも一緒に探し物探してあげる!」

 ラナは咄嗟にサネヤに叫ぶ。サネヤはびっくりしたように目を開いた。

「え? でも……危ないよ。君、スーク・カルハンがどんな所か知らないでしょ? なんでもありの非合法な市場だよ?」

「えっと、あの、その……ラナも、探し物してる! 一緒に行きたいの!」

「うーん……どのみちスーク・カルハンには今行く方法がないんだよね」

 サネヤは唇の下を指で触りながら何かを考えるように俯いた。ラナはサネヤの顔を覗き込むようにして首を傾げる。

「どうして?」

「スーク・カルハンに行くには、特別な砂漠の道を通らないといけないんだけど……それには砂蛍が入ったランタンが必要なんだ。砂蛍はなかなか手に入らないからね。さっきそれを探していたら、あの人たちにこの路地に連れていかれちゃってさ」

「砂蛍?」

「うん、砂蛍。小さな虫なんだけどね。どんな砂嵐の中でも自分の巣のある方向に光りながら飛んでいく虫なんだ。それをランタンに入れると、砂蛍が巣のある方向に向かっていくから、それを見ながら辿っていくんだ。

 スーク・カルハンはその砂蛍がたくさんいる場所でね。そもそも地図にも載っていないし、周りは黒い砂嵐で覆われていて普通じゃ辿り着くどころか、遭難して死んでしまうぐらい危険な所なんだ」

「それどうやって帰るの?」

「このカリマーラにも砂蛍の巣があってね。砂蛍のグループが違うんだ。カリマーラの砂蛍は黄色に光って、スーク・カルハンの砂蛍は青色に光る。二種類の砂蛍が居ないとダメなんだ」

「じゃあ、ラナも砂蛍探してあげる! ラナ虫探すの得意! よく虫掘って食べてた! だから、ラナと一緒に行こう! ね! お願い!」

 ラナはサネヤの手を掴んで井戸水を汲むように引っ張る。サネヤは困ったように眉を寄せて微笑んだ。

「うーん、危ないからなぁ」

「そんなことない! ラナと一緒なら、ラシッド様のところの人と思われるよ! だから一緒に行こうサネヤ!」

 ラナはサネヤの手を掴んで胸元に持っていく。断られたらどうしよう、という焦りで、背中に汗が流れた。

「うん……じゃあ、一緒に行こうか。君には助けてもらったしね。君の探し物も一緒に探そうか」

 サネヤはにっこりと笑って、ラナの頭を撫でる。ラナは雲が切れて陽が出てきたような、満面の笑みを浮かべて、サネヤに抱きついた。

「サネヤ、ラナ頑張るね! ……あ! サネヤどこで寝てるの? 場所わからないとラナ探せない!」

「ん? 家のない人たちがいる場所で寝てるよ?」

「それって……フェリドの守り通りのところ?」

 ライラがラナに言いふくめていたことがある。フェリドの守り通りと呼ばれる場所についてだった。

 フェリドの守り通りとは、家も職もない人間が寝泊まりする場所だった。骨と皮だけの人間が、腐敗と汚泥に塗れた道に死体のように転がっており、噂では暗殺集団や盗賊の隠れ家があるなどと噂されている場所だった。

 ライラはラナに絶対にそこにだけは近づくな。と強く言いふくめられていた。

「そう、よく知ってるねぇ。治安悪いから君は来たらダメだよ。僕からラシッドの館に行くからね」

「う、うん……わかった」

「また近々行くからね。今日はもう帰るよ。ラナも気をつけて帰るんだよ。さっきみたいに危ない場所に飛び込んで言っちゃダメだよ」

「うん、またね。絶対来てね。約束だよ」

 サネヤは手を振ってから、ラナに背を向けて大きな歩幅で歩き出す。ラナはサネヤが見えなくなるまで手を振り続け、その背中をじっと見つめていた。



「それで、その恩人さんが見つかって嬉しくなっちゃったからお使いするの忘れて帰って来ちゃったの?」

「ごめんなさいライラ……」

「仕方のない子ね」

 ラナはサネヤに会った後、あまりの嬉しさに飛び跳ねながらラシッドの館に帰って来た。門番をしていたハキムは訝しげにラナを見つめ、タリクは苦笑しながら見守っていた。

 ライラの部屋に戻ると、頼んでいた買い物をしていないことを指摘され、自分が買い物に行っていたことにようやく気がついたほどだった。

「急いでないし買い物はまた今度でいいわ。それよりも、その恩人さん本当に危なくない人なの?」

「サネヤはいい人だよ! ラナの名前を素敵だねって言ってくれたもん!」

「そうね。ラナちゃんはとっても素敵な名前よね」

 ライラは手を招いてラナを椅子に座らせると、走ってボサボサになったラナの髪を櫛で梳かしてやる。櫛に引っかかる髪を丁寧にほぐし始めた。ラナは足をぶらぶらさせながら、興奮したように声を大きくして喋り続けた。

「あのね、砂蛍見つけるの! 青いのと黄色いの! それ見つけてスーク・カルハンに行くの!」

「スーク・カルハン? ラナちゃん、それそのサネヤさんが言っていたの?」

 髪をほぐしていたライラの手がピタリ、と止まる。いつものように柔らかい声ではなく、スパイスのようにピリついた声だった。

 ラナがライラの方に顔を向けると、いつも微笑んでいるライラはどこにもおらず、眉間に皺が寄り険しい顔をしていた。

「ライラ? どうしたの?」

「ラナちゃん、スーク・カルハンがどんなところか知ってる?」

「えっと、サネヤは非合法な市場だって言ってた。危ないよーって」

「非合法……そうね、あそこに法律なんてないわ。人の命は砂つぶより小さい。口にするのもおぞましい行為が当たり前のようにある。盗品は当たり前、奴隷たちや娼婦の待遇は目も当てられない。フェリドの加護もあそこまでは届かない。無くなった神々の神殿の遺物すらあるわ。ねぇ、ラナちゃん。サネヤさんは本当にそこに探し物があるかもしれないと言っていたの?」

「うん」

「そう……ねぇラナちゃん、私是非そのサネヤさんに会ってみたいわ」

「本当!? サネヤね、すごくいい人だよ!」

「ラナちゃんの恩人なんですもの。挨拶しなきゃ」

 わーい、と両手をあげて喜ぶラナをライラは暗い目で見つめる。櫛を机に置き、ラナの肩に震える両手を乗せると、細い肩をゆっくりと撫でた。

「大丈夫よ」

 ライラの冷えた声にラナが気づくことなく、穏やかな昼下がりの部屋に、ラナの嬉しそうな声が響いていた。



 

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