猫野 環①

 かなり過疎化の進んだ都市。

 立ち並んでいるいくつかの建造物はほんの数年前まで店や居住区として使用され賑わっていたものの今ではそれらを利用する者も少なく殆どの建物には灯すらついていない。

 いくつも並べられたコンクリートの塊はただ夜空を美しく煌めく星々を見上げるのに遮って邪魔にしかならないという宝の持ち腐れとなっていた。

 

 そんな負の遺産と言ってしまっても差し支えない暗い夜の都市を一人の青年が走っていた。


 誰からも“普通”と言う印象しか持たれないその青年は、変わった趣味も、見せれば人を驚かせれるような特技を持つことはなかった。

 それどころか見た目だって髪色が柔らかい茶色であるという一点を除けば、身長体重どちらも平均的なものであり、顔もまぁまぁ整っているとはいえまるでゲーム内の量産型NPCキャラの如く特徴らしい特徴がない。

 その特徴の無さはすれ違うほぼ全ての人から「何処かで会った事あったっけ?」等と思われるほどである。

 

 そんな無味乾燥、平々凡々な青年も唯一他人と”性格“という面で差別化する事が出来た。

 と言っても夜の校舎の窓ガラスを割って歩いたり、盗んだバイクで走り出すような悪童……なんて訳ではなく、寧ろその逆、人の言葉や物事を”信じやすい“と言うものだった。

 

 「骨が強くなるからカルシウムを取れ」と言われれば大量に煮干しと牛乳を近所のスーパーで購入し、「今時護身術くらい覚えとくべきだ」と聞いた翌日には近所にある空手道場の戸を叩いた。

 

 そんな性格と元々対して良くない頭との負の相乗効果によってその青年に見破れる嘘は極めて少ない。

 もしやない、と言い切ってしまっても良い位ではないのだろうか。

 よく言えば純粋で素直な性格なのだが、悪く言えば疑うことを知らない考えなしのバカであり、悲しいかなこの世界では後者に感じる者の方が圧倒的に多いものである。

 

 そんな性格のために今現在青年は困っていた。

 いや、困っていたと言うよりはまいってしまっていたと言う方が正しいのかもしれない。

 なにせお金の事で困っている先輩に絶対迷惑かけないから借金の連帯保証人になってくれと頼まれ困っているというのなら見過ごせないし、それに絶対迷惑をかけないと言ってくれたからと二つ返事で快く了承。

 しかし、数日が経って気がつけば何故か自分が借金取りに追われる羽目となっており、まさに今黒いスーツの強面男数人から逃げている最中なのだ。

 

 「待てや!! ぶっ殺すぞ!」

 

 草木眠る夜の街でいかにもなセリフと共に自分を追ってくる五人の男達、実際に殺されるという事は今時そうそうありえない事だと思うのだがそれでも青年”猫野ねこのたまき”の脳内では全身をバラバラにされた後海に捨てられ浮かびながら漂う自身の生首の図が容易にイメージされ


 「ひぃっ!」

  

 仮にもこの物語の主人公だというのにそんな情けのない第一声を挙げると、何年も前から使われていないであろう廃アパートに逃げ込んだ。

 そして立ち入り禁止の札が掲げられた階段を駆け上がる。

 一階、二階、三階、四階……とそこまで登ったところで最上階らしく上へ向かう階段はもう無い。

 にも関わらず下からは環と同じく男達が階段を駆け上がってくる足音が響く。

 

 「やばい、やばい、やばいぃぃ!!」

 

 一旦身を隠せる場所がないか周りの部屋のドアノブを全てガチャガチャと回していくが、当然の如く一部屋も開く事はない。

 そんなこんなで男達は皆同じフロアに到達し環は追い詰められてしまった。

 

 「はぁっはぁっ……残念だったな……はぁっはぁっ、鬼ごっこはここでおしまいだ……はぁっ」

 

 息を切らしながらも勝ち誇ったように笑う男達はジリジリと、逃げられなくなった環に恐怖を与えるべくわざとゆっくり時間をかけて距離を詰める。

 環もバクバクと暴れる心臓の音を感じながらもゆっくりと一歩ずつ下がってゆくが、なにぶん狭いアパートである。僅か五歩ほどで渡り廊下の端に踵が当たりこれ以上後退する事はできない。

 

 「おいおい、もうわかってんだろ? 逃げられないってさぁ、これ以上手間……じゃなくて足間かけさせんじゃねーよ」


 男達のうちの一人がそんなしょうもない事を言えばみんなして環を馬鹿にするように笑ってアパートに声を反響させる。

 その姿はまさに物語序盤に出てくる噛ませ役であり、もし環が空手の達人なので有ればこんな状況でも背水の陣と言って一人残さず倒すことが出来たかもしれない。

 だが残念なことに環の格闘術の腕は達人レベルというにはまだ拙い。一人や二人を相手にするので有れば何とかなるかもしれないが、相手は五人。戦えば返り討ちになってしまうのは火を見るよりも明らかだろう。

 逃げ場無し、戦っても勝つ事は不可能、このまま男達に捕まるしか道は無いのか……。

 いや、正確に言えば逃げ道はある。


 振り返れば真下に街灯の淡い光に照らされた駐輪場の屋根が見えているのだ。

 もしかすれば飛び降りてあそこに着地できるかもしれないがここは四階、駐輪場の屋根までそこそこの距離があるために飛び降りるのはどうも躊躇ってしまう。

 

 「どうした? 飛び降りてみるか? アニメや映画とかでもよくそうやって逃げるシーンあるし、案外うまく逃げれるかもよ?」

 

 「やっぱそうだよな!」

 

 「えっ? あっ! ば、馬鹿やろ……」

 

 男はただ揶揄っていただけなのだが、その言葉を真に受けた環からはつい先程までの躊躇いや迷いをも完全に消えているようで、思い切り飛び降りた。


 がしゃんっと凄まじい音がアパート内に響く。

 そんな音と光景を眼前に、男達からは流石に笑みは消え、廊下の端まで駆け寄って環が飛び降りた場所を覗き込んだ。

 

 「やっぱ大丈夫だったぜぇ!」

 

 見れば環は上手く足から着地していて、こちらに向かってピースサインを出している。

 その姿にひとまず男達は胸を撫で下ろすがそのまま駐輪場の屋根から降りて逃げ去っていく環の背中を呆然と見送ることしかできなかった。

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転生の十二匹 うさトイプー茶々 @raiakryuu

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