第二部 地獄の体験会


 都庁前広場に特設された巨大テント「エンパシー・ドーム」。その内部は、近未来の処刑場とアイドルのコンサート会場を悪魔合体させたような空間だった。

 天井からは無数のレーザーライトが降り注ぎ、重低音のテクノサウンドが心臓を叩く。正面ステージには、五十メートル級の巨大スクリーンが設置され、「PAIN IS LOVE(痛みは愛)」というスローガンが点滅していた。

 パイプ椅子に座らされた三千人の男性管理職たちは、一様に青ざめた顔で、配給されたデバイスを見つめていた。

 手のひらサイズの黒い筐体、「ウーマン・イノベーション・ギア(WIG)」。そこから伸びる二枚の粘着パッドを、スタッフの指示通りに下腹部に貼り付ける。ひんやりとしたジェルが肌に触れた瞬間、田端の膀胱が縮み上がった。

「テス、テス。あー、マイクテスト。本日は晴天なり、絶好の激痛日和なり」

 スピーカーからハウリング気味の声が響いた。

 スモークが焚かれたステージ中央から、セリが上がってくる。スポットライトが一点に集中し、そこに現れたのは、蛍光ピンクのパンツスーツに身を包んだ「マダム・ペイン」こと松竹アキコ副知事だった。

 彼女の手には、鞭ではなく、巨大なリモコンが握られている。

「ようこそ、意識の低い皆様!」

 マダム・ペインは両手を広げ、三千人のおじさんたちを抱擁するかのようなポーズをとった。

「今日、あなたたちは生まれ変わります。言葉だけの『理解』、研修資料だけの『共感』……そんなものはもう古い! あなたたちの枯渇した想像力を、行政が、科学が、そして電気が強制的にブーストします!」

 ドッ、と会場がどよめいた。

 隣の席の建設会社の男が、小声で田端に囁く。

「おい、あのババア、目が笑ってねえぞ。薬でもやってんのか?」

「アドレナリンでしょうね。権力という名の」

「では、始めましょう」

 マダム・ペインがリモコンを掲げた。

「まずはレベル1。軽い違和感からスタートです。さあ、スイッチ・オン!」

 ピリッ。

 田端の下腹部に、静電気が走ったような刺激があった。

「……ん?」

 周りを見渡す。皆、「なんだ、こんなもんか」という安堵の表情を浮かべている。

「これなら余裕だわ」と建設男が笑った。「俺の尿管結石の方が百倍いてえよ」

 しかし、マダム・ペインは満足していなかった。彼女は眉をひそめ、手元のタブレット端末を乱暴にタップした。

「おかしい……会場の『苦悶値アゴニー・スコア』が上がらない。これでは予算が取れないじゃない! あなたたち、もっと辛そうな顔をしなさい! これじゃただの低周波治療器体験会よ!」

 彼女はオペレーター席に向かって叫んだ。

「レベルを上げなさい! 一気にレベル5、『生理痛・ヘビー級』へ!」

「し、しかし副知事! マニュアルでは段階的に……」

「黙りなさい! 彼らは管理職よ? プレッシャーには強いはずでしょ? やれ!」

 ブォン。

 会場の空気が変わった。電圧の上昇に伴い、変圧器が不気味な唸りを上げる。

 ズドン。

 次の瞬間、田端の視界が白く飛んだ。

「ぐへっ!?」

 下腹部を、見えない巨人の拳で内側から殴り上げられたような衝撃。

 あちこちから「うぐっ」「ぎゃっ」「あひィ」という、おじさんたちの情けない悲鳴が上がる。

 建設男が椅子から転げ落ちた。「いてえ! なんだこれ、腹の中でエイリアンが暴れてやがる!」

 田端も前のめりに倒れ込み、パイプ椅子の背もたれにしがみついた。脂汗が一瞬で吹き出し、シャツを濡らす。痛い。重い。鉛の塊を飲み込んだような鈍痛が、腰まで突き抜ける。

「素晴らしい!」マダム・ペインが絶叫した。「その顔! その歪んだ表情こそが共感の証! 映して! 全カメラ、彼らの苦悶をズームアップ!」



 その時、会場の隅にある清掃用具入れの扉が開き、一人の男が転がり出てきた。

 作業服を着ているが、その顔には見覚えがある。立件民主党の腹愚痴カズヒロ議員だ。

 彼は手持ちのスマホに向かって、早口でまくし立てていた。

『皆さん、見ていますか! これが現場です! 今、私はDSの実験場のド真ん中にいます!』

 腹愚痴議員は、痛みにのた打ち回る参加者たちを背に、自撮り棒を掲げた。

『聞こえますか、この悲鳴! これは単なる生理痛体験ではありません。彼らは今、マイクロ波によってDNAを書き換えられているのです! 私の独自ソースによれば、このWIGという装置は、5G電波を受信して日本人男性を草食化させる兵器です! ああっ、見てください、あの男性、白目を剥いて天に祈っています! あれはまさに、魂が抜かれる瞬間です!』

 腹愚痴議員は田端の元へ駆け寄ってきた。

「あなた! 今、どんな気分ですか! 精巣に異常を感じませんか! ワクチンは打ちましたか!」

「い、痛い……ただ、痛いんです……」

「出た! 思考停止! これが洗脳の効果です! 皆さん、拡散してください!」

 警備員たちが腹愚痴議員に気づき、笛を吹きながら殺到する。

「確保! 侵入者確保!」

「離せ! 私は国民の代表だ! 電波を止めろ! アルミホイルを巻け!」

 会場が騒然とする中、さらなる異変が起きた。

 ドームの入り口、搬入用の巨大シャッターが、爆音と共に内側にひしゃげたのだ。

 砂煙の中から現れたのは、黒い法服を風になびかせ、手にはあろうことか消火用の斧を持った男。

 日本補修党、北枕ハルオ弁護士である。

「即時中止せよぉぉぉ!」

 北枕弁護士は、往年の時代劇スターのような見得を切りながら叫んだ。

「これは明白な憲法三十六条違反! 公務員による拷問の禁止に抵触する! よって、私的防衛権を行使し、物理的にこれを排除する!」

 彼は斧を振り上げ、ステージ脇の太い電源ケーブルに向かって突進した。

「止めろ! あの弁護士を止めろ!」マダム・ペインが金切り声を上げる。「あれは特注のドイツ製ケーブルよ! 一本五十万円するのよ!」

 北枕弁護士の前に、機動隊が立ちはだかる。

「北枕先生、落ち着いてください! 斧はまずいです!」

「どけぇ! 私は正義の執行者だ! こんな馬鹿げた条例、私が叩き斬ってやる!」

 北枕弁護士は機動隊のジュラルミン盾を足場にジャンプし、ケーブルに向かって斧を一閃――しようとして、腰をやってしまった。

「ぐきっ」

 弁護士はその場に崩れ落ちた。

「……労災だ。これは公務災害だ……訴えてやる……」



 会場はカオスそのものだった。

 右では腹愚痴議員が警備員に担がれながら「陰謀だ!」と叫び、左では北枕弁護士が担架に乗せられながら「国家賠償請求だ!」と呻いている。

 そして中央では、三千人のおじさんたちが電気ショックに痙攣し、尺取虫のような動きで床を這い回っている。

 マダム・ペインは、この混乱を見て、逆に恍惚の表情を浮かべていた。

「なんて……なんてエネルギッシュなの! これよ、これこそが『産みの苦しみ』! 東亰が変わろうとしている音だわ!」

 彼女は血走った目でオペレーターを突き飛ばし、自ら制御盤の前に立った。

「レベル5? 生温い。混乱を収めるには、さらなる衝撃ショックが必要よ。これを見なさい!」

 彼女が指さしたのは、制御盤にある封印された赤いボタン。

 そこにはドクロマークと共に『レベルMAX:陣痛クライマックス(初産・難産モード)』と書かれている。

「や、やめてください副知事!」オペレーターがしがみつく。「それを使えば、彼らの精神が崩壊します! ショック死の危険が!」

「死なないわよ! 女はみんな耐えてるのよ! 男が死ぬなら、それは男が弱いだけ! 進化の淘汰よ!」

 マダム・ペインの手が、赤いボタンに振り下ろされた。

 バヂヂヂヂッ!

 ドーム内の照明が一斉に赤色に変わる。

 WIGの出力メーターが振り切れ、エラー音が警告音のように鳴り響く。

 田端の身体を、これまでとは次元の違う激痛が貫いた。

 それはもう痛みではなかった。存在の否定だった。

 腰が砕け、内臓が裏返り、脳みそが沸騰するような感覚。

「あ……あ……」

 声が出ない。視界の端で、建設男が泡を吹いて気絶するのが見えた。

 田端の意識も遠のいていく。

 薄れゆく意識の中で、彼は見た。

 暴走したWIGが、ドームの外部電源から、さらには新宿中の送電網から電力を吸い上げ始め、ケーブルが蛇のようにのた打ち回る光景を。

(続く)

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2025年12月22日 12:00 毎日 12:00

子宮(ハコ)の中のおじさんたち――または如何にして私は心配するのを止めて電気ショックを愛するようになったか 森崇寿乃 @mon-zoo

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