第五話

 神室連峰かむろれんぽうを含む東の奥羽山脈と、鳥海山ちょうかいざん月山がっさんに続く西の出羽山地という小高い山々に囲まれた丘陵に位置する細川直元の居城、小国城。

 

 朝早くから領境で畑仕事をしていた家臣の伊藤が、未だ濃い霧が漂う視界の悪い中、馬を走らせ城へ飛び込んできた。


「殿ーっ! 殿はどこかーっ! 一大事! 一大事ーっ!!」


 突然の大声に、庭番が「なんだ、なにがあった」と騒ぎ立てると虎口はざわめきを帯びていき、徐々に人が集まり出した。


「おいおい、朝からやけに騒々しいな伊藤。いくら一大事つってもこんな田舎じゃ何も起きようがねーだろ? 熊でも出たか? それとも狸が畑を荒らしたか? オレはこれでもそれなりに忙しいんだが」


 忙しいという割に、欠伸をし頭を掻きながらも「何があった」と聞く小国城主、直元。


「とっ、ととっ! ととっ、とっ! んぐっ……。とっ、殿っ!」


 乱れた呼吸のまま無理に話を始めようとする伊藤。

 よほど動転しているのか、どもる言葉が邪魔をする。


 その慌て振りからして一体どんな一大事なのか、是非とも話を聞かねばならないと、前のめりに力が入る周りの者たち。


「んっ、いいぞ! さぁ言え! さぁ!」


「んっ、たっ、たっ! んっ、たっ、たっ! んぐっ……はぁっ、はぁっ」


 伊藤の言葉にぐっと前のめりになるが、息が続かず妙なテンポが紡がれ、思わず力が抜ける。

 

「ちょ、何だその『ズンチャッチャ、ズンチャッチャ』な三拍子は!」


 何とか息を整えながら大きくかぶりを振り、懸命にそうではないと示す伊藤。

 何度か深呼吸して、やっとのことで大きく叫ぶことが出来た。


「たっ、たっ、竹に雀! 丸に二つ! 最上が、最上義光が攻めて来たーっ!」


 伊藤の話では、最上の軍勢が小国城へ到達するまで、二刻程の猶予もないと言う。

 緊急で集まった兵は約三五〇。女子供を除いた戦える男ども、ほぼ全てだ。


 大勢の家臣たちを前に、感情を高ぶらせる直元。


「これが馬揃えに反した仕打ちだってのか! オレたちはただ、大きなものに巻かれるんじゃなく、自らが好きなように生きたいと願い、その意志を貫こうとしただけだぞ!? クソがっ! そんな横暴、まかり通ってたまるかってんだよ!」


「俺も同感だ兄者! だが、今すべきは怒りを吐き出す事じゃない。この局面をどう乗り切るかを考え、そして行動する事だろ! 俺らは生きる為にこうして集まってんだ。それを忘れないでくれ! さあ兄者、決断を!」


 弟の直重は、この局面にどう身を振るのか皆に示せと迫る。


 意思を貫き通すその先に、何が待っているのかを知りながら、それでも直元は声を上げた。


「皆の衆、急で集まってもらいスマンな。オレたち細川は、最上と殺り合うことに決めた! オレたちの自由意志は、一切誰のものでもない! 地の利はオレたちにある! オレたちは勝利し、自由を手に入れる! これからこの地は血に染まるだろう。オレたちは弱小。かたや最上は羽州にその名を轟かせる大軍勢。だが、退くという選択肢など毛頭ない。退けば己の意志を殺すと同義! 臆して死ぬも、向かって死ぬも、どちらも同じ死に変わりはない! ならば己の意志を、その自由意思を貫いて前に進めぇ! お前たちの命、このオレ、細川直元が預かった!」






「殿っ、ただいま戻りました! 急ぎ申し上げます! 城に向かっている最上の軍勢、その数およそ二千は下らないかと!」


 先んじて馬を走らせていた物見役が戻り、声を大にして得た情報を伝えるが、当然ながらその内容に驚きを隠すことなど出来るはずもない。


「なにっ!? 最低でも二千だと!?」


 何か良策がないものかと、真剣な表情で考えを巡らせる直元と家臣たち。


「……そうだ! 兄者、俺が単独で先陣を切って、奇襲でも何でもいいから敵総大将の首を取りさえすれば、この戦は俺らの勝ちという事になるんじゃないか!?」


 直重は今後の小国を案じ、殿である直元を生かし、家臣であり百姓としての大事な働き手でもある男手を残し、女子供、田畑を守る為に、自分一人が犠牲になるつもりなのだ。


 もちろん、直元は首を縦に振ることはない。


「……お前は強い。それはオレをはじめ、皆もよく分かってる。確かに敵総大将を打ち取れば此度の戦はオレたちの勝ちかもしれない。だが、次の総大将が来るぞ? 何度倒そうが最上は来るぞ? オレたちの中で先陣を切れる物頭はお前一人だけだ。いいか、最上とは違うんだ。オレは誰一人死なせたくない。もちろんお前もな」


 この地を治める者として、民の命とこの先の未来を考えねばいけない。

 だが、たった一人の弟の命も守りたいとする直元。


「殺り合うって決めた以上、ここでチキってたらクソダセェぞ兄者! 生きるか死ぬかの非常事態なんだ。無理して殿様を演じることはねーぞ! 俺らはいつも通り自由にやるだけだぜ! だよなぁーみんなっ! ビってるやつなんかいねぇーよなぁーっ!」


 直重の鼓舞に、家臣たちは周囲の山々に木霊する程の鬨の声を上げ、その意気に賛同を示した。


「つーことだ兄者! 幸いこの小国には良い馬が沢山居る。山間で培ってきた俺らの騎馬術に勝てる馬乗りなんざ、今の今まで見た事ぁねぇ! って事は、俺らがこの界隈最強の馬乗りってことだよなぁ! 兄者! 俺達はかしらの決定に従うぜ! さぁっ!」


 熱に当てられた民という名の兵たちは、口を揃えて雄叫びを上げる。

 

「オラたちの熱い走りを、最上の野郎共に見せてやるぜっ!」

「上等だぁ! 全員、ブッ込んでくぞーっ!」

「皆殺しじゃぁーっ! 好きに殺らしてもらうんで夜露死苦ぅーっ!」

「オラたちが微苦微苦みくみくにしてやんよ! オラオラオラぁーっ!」


 個々の鼓舞はいつの間にやら「かしら」の連呼に変化し、皆、直元の言葉を渇望する。


 一段高い庭石の上に立ち、右腕を一気に薙ぎ払う直元。


 余韻を残した鼓舞の嵐が一斉に止むと、皆、直元の声に集中した。


「この小国は、確かに小さく貧しい領地だ。最上義光が統べる領地や民、軍事力とは雲泥の差。だからといって、そう易々と犬畜生の餌、田畑の肥やしになってたまるかって話だよなぁ……。最上がテメェらの流儀、まつりの在り方を押し付けるってんなら、同じようにオレたちの流儀を通させてもらうまで! 大軍見せつけられてハイそうですか、なんて返事を返すような甘ちゃんじゃねぇんだよ! ナメ腐ってんじゃねーぞ、三十半ばのオッサン風情がイキがりやがって! こっちはいつでも死ぬ覚悟が出来てんだっつーとこ、しっかり見せ付けてやんよっ! 全員だ! 全員ではなから全力ブッ込んでくぞテメェらっ!」


 さっきまでの三倍程にもなろうかという大歓声が、近づく最上の軍勢にまで届けとばかりに沸き上がる。

 

「直重っ! 一番隊はお前に任せたっ! 伊藤、菅の二番、三番隊は一番隊の左右に付いて援護! 四番隊は一番隊の後方支援に! 残りは殿しんがりのオレについて来いっ!」


 一番、二番、三番隊には機動力を重視して馬を多くあてがい、後方支援の四番隊は歩兵を多めにした。部隊編成は一番隊に一〇〇名。二番、三番、四番隊にそれぞれ五〇名を配置。残り一〇〇名を殿しんがりに置く構成となった。


 直元は一番隊を一五〇名、殿を五〇名と提案したが、一言「多すぎる!」と直重にあっさり断られる事に。


「こんな時くらい、無鉄砲な弟を心配する兄貴の気持ち、酌めってんだよ」


「はっ! そんな簡単に死ぬタマかよこの俺が! 兄者こそ簡単に死ぬんじゃねーぞ!」


「お前こそな! さぁ、オレら兄弟の、細川の強さって奴を思い知らせてやろうぜ!」


 互いの拳を打ち付け合い、気合の入った笑みを交わす。


 最上の軍勢は、尾花沢から山刀伐峠なたぎりとうげを超え、小国に向かってきている。

 今から迎え撃つとなると、おそらく戦場は明神川と小国川の落合付近になるとふんだ直元。


「皆聞け! 合戦場所はおそらく落合付近になる! 相手は大軍! 場の広さとオレたちの機動力をふんだんに活かして奴らを翻弄! 小さくまとめた端から敵戦力を削ぎ落としてやれ! 奥に隠れてる敵総大将が誰か知らねーが、顔を出したら全員で一気に斬り込む! この戦、必ず勝ってクソ旨い酒あおって皆で騒ごうぜーっ!」


 少ない兵数ながらも、その気合と士気は既に最高潮だ。

 

「オレたちの自由意思は、決して死なねぇーっ! 行くぞ、野郎どもっ!」


 黒で統一された陣羽織。

 胸元には、円の中に鳥の三本足を象徴した白抜きの家紋。

 

 背中には、それぞれの自由意志を記した言葉「公明正大」「厳正公平」「絶対反対専横独裁」「脱民意軽視」「無策無能絶対悪」を背負う。


 死をも恐れぬ強い意志と、信念を貫き通す覚悟を胸に。上がる気勢と舞う土埃の中、落合へと駆ける蹄音と、はためく黒い陣羽織は、まるで大きく翼を広げた群れ成す烏のようだ。


 城から見下ろせる程の、ほんの目と鼻の先ともいえる距離まで全力で馬を走らせる。直元と直重は二振りの刀を腰と背中に携え、巧みな馬術で誰よりも速く駆け抜けた。


 着いたその地に活路を見出すのか、はたまた烏に骸を啄まれる死地となるのか。


 辺りに立ち込めるまだ少し濃い朝露は、川の流れに沿うように、揺蕩いながら一面を覆っている。耳に届くのは不如帰の鳴く声とせせらぎだけ。これから何が起きようとも、我らはただ傍観するだけと言わんばかりに、その時は刻一刻と無慈悲に近づいてくる。


 落合付近にて最上義光の大軍を待ち受ける小国の民、細川の兵。


 陣形は、直重率いる一番隊を先頭中央にして、距離をおき右に伊藤率いる二番隊、菅率いる三番隊を左に置き、四番隊は後方に。直元率いる殿しんがりは、あえて一番隊の横に位置した。


 山間から伸びている、曲がりくねった小国川の川上には、土手が邪魔になって視界が遮られている箇所がいくつもある。


 現れるとしたら間違いなくそこしかないと、皆、固唾を飲んで今か今かと睨みつけていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年12月21日 10:10
2025年12月21日 20:10
2025年12月22日 10:10

坂東の式鬼 J@ @rising_force

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ