揺らぐ花びら

それは、突然に起きた。体育の授業後、更衣室で着替えを済ませた直後だった。

私はいつものように慎重にサラシを巻き直し、制服を整えていた。

だが、汗で滑った手が上手く結べず、胸元が少し緩んでしまった。

「あ、アリアちゃん、大丈夫?」

振り返ると、リリア先輩が心配そうに近づいてきていた。

「え、ええ、大丈夫です!」

慌てて隠そうとしたが、遅かった。

彼女の視線が、私の胸の——平らなラインに——止まった。

一瞬、時間が凍りついたような気がした。

リリア先輩の瞳が、ゆっくりと見開かれる。

「……アリアちゃん、あなた……」

その夜、私は寮の自室に閉じこもっていた。

ドアをノックする音が響くまで、どれだけ時間が経ったかわからない。

開けると、そこに立っていたのはリリア先輩だった。

いつも完璧な黒髪が、少し乱れている。瞳は赤く腫れていた。

「……入ってもいい?」

私は黙って道を譲った。部屋に入ると、彼女はすぐに切り出した。

「あなた、男なの?」

直球だった。私はもう逃げられないと悟った。

「……はい」

小さく頷くと、リリア先輩は唇を噛んだ。

「どうして……ここに?」

私はすべてを話した。レジスタンスのこと、この世界の真実のこと、そして私がここに来た目的。

話している間、彼女は何も言わなかった。

ただ、震える手でスカートの裾を握りしめていた。

話し終えると、長い沈黙が落ちた。やがて、彼女が呟いた。

「……男は敵だって、ずっと教わってきた」

その声は、壊れそうに弱かった。

「男は私たちを傷つける。抑圧する。戦争を起こす。汚い存在だって……」

私は反論しなかった。ただ、静かに見つめた。彼女は顔を上げ、私を見た。

「でも、あなたは……違う」

涙が一筋、頰を伝った。

「アリアちゃん——いえ、アレンくんは、私を傷つけたことなんて一度もない。いつも優しくて、話を聞いてくれて、守ってくれて……」

その言葉に、私の胸が締めつけられた。

翌日から、学園の空気が変わった。私の正体が、リリア先輩から少しずつ漏れていったわけではない。彼女は黙っていてくれた。

でも、少女たちは敏感だ。更衣室での一瞬の違和感、体育での動きの違い、声の微かな低さ——それらを繋ぎ合わせ、噂が広がり始めた。

「アリアちゃん、実は男なんじゃない?」

「まさか……でも、あの胸元……」

教室でも、廊下でも、庭園でも、視線が刺さるようになった。ある日の昼休み、屋上で私は数人の生徒に囲まれた。

「本当なの? あなた、男なの?」

リーダー格のミアという三年生が、鋭い目で詰め寄ってきた。私は観念して頷いた。

「はい。本名はアレンです」

一瞬、静寂。そして、爆発した。

「やっぱり! 男がこんなところにいるなんて許せない!」

「私たちの楽園を汚す気!?」

「出て行け!」

怒号が飛ぶ。でも、その中に別の声も混じっていた。

「待って……アレンくんって、いつも私たちを助けてくれてたよね?」

「授業でノート貸してくれたり、重い荷物持ってくれたり……」

「男って、みんな悪いって思ってたけど……アレンくんは違うかも」

少女たちは分裂した。『男は敵!』という長年のプロパガンダと、私という『現実』のギャップに、みんなが苦しみ始めた。

夜、リリア先輩がまた私の部屋に来た。

「ごめんね……私のせいで、みんなにバレちゃって」

私は首を振った。

「遅かれ早かれ、バレる運命だった」

彼女はベッドの端に腰を下ろし、俯いた。

「私、混乱してる。アレンくんが男だってわかった今でも……あなたを見る気持ちは、変わらないの」

その言葉に、私の心が大きく揺れた。

「私たちは、百合の園で育った。女同士の絆だけが美しいって教わってきた。でも……あなたと過ごした時間は、偽りじゃなかったよね?」

私はそっと、彼女の隣に座った。

「偽りじゃない。でも、僕は男だ。それでも……君のことが——」

言いかけて、言葉を飲み込んだ。リリア先輩は顔を上げ、涙を拭った。

「百合って、何なのだろうね。私たちの中の『純粋』って、本当に純粋だったのかな」

その夜、私たちは長い間、語り合った。楽園の花びらが、少しずつ散り始めていた。


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