第2話

僕たちは手分けして、この密室を調査することにした。


王の間と呼ばれるこの場所は、玉座の間を中心に、いくつかの部屋で構成されていた。大広間、厨房、浴室、そして六つの寝室。


「各自の部屋があるみたいだな」


ガルドが廊下を確認しながら言った。


「扉に名前が書いてある」


確かに、木製の扉にはそれぞれ名前が刻まれていた。レン、アリア、ガルド、シオン、メイ、ノア、クロ。


七人分。


エクラの部屋は、ない。


「勇者の部屋がないのは……どういうことだ?」


シオンが首を傾げた。


「特別室があるのかも。玉座の間とか」


「あそこには死体があるだけだったわよ」


メイが淡々と答えた。


僕は自分の名前が書かれた扉を開けた。


中は質素な部屋だった。ベッドと机、それだけ。窓からは暗い森が見える。空は相変わらず灰色で、太陽がどこにあるのか分からない。


机の上には、数冊の本が置かれていた。手に取ってみる。


「魔法の基礎」「迷宮めいきゅうの歴史」「勇者エクラの冒険譚ぼうけんたん


どれも見覚えがない。読んだ記憶もない。


ページを開くと、文字が並んでいる。意味は理解できる。でも、これを自分が読んでいたという実感がまったくなかった。


本を閉じて、窓の外を見た。


森の向こうには、何があるのだろう。この密室の外には、本当に何もないのだろうか。


ふと、窓ガラスに自分の顔が映った。


銀灰色の髪。深い青灰色の瞳。痩せた頬。


見覚えがあるような、ないような。


この顔は、本当に僕の顔なのだろうか。


「レンさん」


ドアがノックされた。


振り返ると、アリアが不安そうな顔で立っていた。


「大丈夫ですか?さっき、具合が悪そうでしたから……」


「ああ、ありがとう。もう平気だよ」


僕は微笑んだつもりだが、うまく笑えていない気がする。


アリアは少し躊躇してから、部屋に入ってきた。


「あの、レンさん」


「何?」


「私、怖いんです」


震える声だった。緑色の瞳が潤んでいる。


「みんな、疑い合ってる。誰が犯人なのか、分からなくて……」


「うん。僕も怖いよ」


正直に答えた。


「でも、犯人を見つけないと、ここから出られない気がする」


「そう、ですよね……」


アリアは俯いた。三つ編みの先を、不安そうに触っている。


「レンさんは、誰が犯人だと思いますか?」


突然の質問に、僕は言葉に詰まった。


「分からない。みんな、悪い人には見えないけど……」


「そうですよね。みんな、優しそうなのに……」


その時、廊下から声が聞こえた。


「おい、全員集まれ!」


ガルドの声だ。何かあったらしい。


僕たちは大広間に集まった。


長いオークのテーブルの周りに、七人が座る。エクラの席だけが空いていた。


「食料を確認した」


ガルドが報告した。


「厨房には十分な食材がある。水も問題ない。当分は餓死がしすることはなさそうだ」


「それは良いニュースですわね」


メイが言った。


「では、食事を作りましょうか」


アリアが立ち上がった。


「私、料理できます。お手伝いしてくれる方、いますか?」


「僕、手伝うよ。料理は得意じゃないけど」


シオンが手を挙げた。


二人が厨房に向かった。残されたのは、僕、ガルド、メイ、ノア、クロの五人。


沈黙が重い。


「……一つ、聞きたいことがある」


クロが唐突に口を開いた。


「エクラは、本当に死んでるのか?」


「何を言っている。あの死体を見ただろう」


ガルドが眉をひそめた。


「見た。でも、おかしいと思わないか?」


クロの赤い瞳が、じっとガルドを見つめる。


「首が切られたのに、血が一滴も出ていない」


「……それは」


「消されたんだ。存在が」


クロの言葉に、僕は先ほどの違和感を思い出した。


確かに、あの死体は不自然だった。作り物のような、現実感のなさ。


「レン」


メイが僕を見た。


「あなたの能力でもう一度調べられない?解析眼アナライズで」


「さっき試したら、変な文字が見えただけで……」


「それでもいいわ。もう一度、詳しく調べてみて」


有無を言わさない強さがあった。


僕は立ち上がり、玉座の間に戻った。


エクラの死体は、そのままそこにあった。


近づくと、また胸が締め付けられる。左手首が、熱を持ち始める。


能力を使え、と体が言っている気がした。


僕は、死体に手を伸ばした。


触れた瞬間、視界が歪んだ。


ノイズが走る。空間が揺らぐ。


データの羅列が見える。無数の数字と文字が、空中に浮かんでいる。


そして、赤い警告文が、視界の中央に浮かび上がった。


ERROR:勇者はすでに削除されています


その文字を見た瞬間、頭の中で何かが軋んだ。


削除。


勇者が、削除されている。


死んだのではない。消されたのだ。


警告文の下に、詳細なデータが表示されていく。


名前:エクラ・ルミナス

ステータス:削除済み

削除時刻:不明

実行者:不明

バージョン:7840

エラーコード:NULL_REFERENCE

関連データ:レン・ヴァレンティス(エラー)


最後の行が、目に入った。


関連データ:レン・ヴァレンティス(エラー)


僕の名前が、ある。


エクラの削除と、僕が関係している?


「レン!」


誰かが僕の肩を掴んだ。視界が元に戻る。


ガルドだった。


「大丈夫か?また倒れかけたぞ」


「ああ……すまない」


僕は額の汗を拭った。


「何が見えた?」


「さっきと同じような文字。でも、今回は……」


言葉が詰まった。


僕の名前が、エクラのデータに含まれている。


それを話すべきか、迷った。


「今回は、何だ?」


ガルドが促した。


「……詳しいことは分からなかった。でも、削除時刻と実行者が不明だって」


嘘をついた。


自分の名前が関係していることは、言えなかった。


大広間に戻ると、アリアとシオンが料理を運んできた。


「できました。みんなで食べましょう」


テーブルに、温かいスープとパンが並べられた。


僕たちは、黙々と食べ始めた。


スプーンを口に運ぶ。


温かい。


パンを噛む。


柔らかい。


でも——


味が、しない。


スープの温度は感じる。パンの食感もある。


でも、味がまったく感じられない。


何の味もしない。


僕は、他のメンバーを見た。


みんな、普通に食べている。何も言わない。


味がしないのは、僕だけか?それとも、みんな気づいているのに黙っているのか?


「美味しいですね、アリアさん」


シオンが笑顔で言った。


「ありがとうございます」


アリアも微笑んだ。


二人とも、普通に見えた。


僕の味覚がおかしいのか?それとも——


この食事そのものが、おかしいのか?


食事が終わり、夜の時間になった。


窓の外は、相変わらず灰色の空。昼も夜も、区別がつかない。


「今夜は交代で見張りをしよう」


ガルドが提案した。


「万が一に備えて、二人一組で」


「賛成ですわ」


メイが頷いた。


見張りの順番が決められた。最初はガルドとシオン。次が僕とアリア。そしてメイとノア、最後がクロ一人。


「クロは一人で大丈夫か?」


ガルドが尋ねた。


「平気。僕、夜の方が好きだから」


クロの答えは、相変わらず感情がこもっていなかった。


僕は自分の部屋に戻り、ベッドに横になった。


でも、眠れない。


頭の中で、何度も同じ疑問が巡っている。


エクラは、なぜ殺されたのか。犯人は、誰なのか。


そして——


削除済み、という言葉。


僕の名前が、エクラのデータに含まれていたこと。


関連データ:レン・ヴァレンティス(エラー)


エラー。


僕は、エラーなのか?


時間が来て、僕はアリアと交代で見張りに就いた。


大広間の暖炉の前で、二人並んで座る。火がパチパチと音を立てている。


「レンさん」


アリアが声をかけた。


「大丈夫ですか?さっきから、ずっと考え込んでますね」


「ああ……色々考えてて」


「私も、考えてます」


アリアは膝を抱えた。


「この中に、殺人犯がいるなんて……信じられなくて」


「うん。僕も信じたくないよ」


「でも……」


アリアは僕を見た。


「レンさんは違うと思います」


「え?」


「レンさんは、優しい人です。そんな人が、人を殺せるはずがありません」


その言葉が、胸に突き刺さった。


僕のデータが、エクラの削除に関係している。


もし、僕が犯人だったら——


「ありがとう、アリア」


そう答えるしかなかった。


本当のことを言う勇気が、僕にはなかった。


静かな時間が過ぎていく。暖炉の火だけが、パチパチと音を立てている。


その時、廊下から物音がした。


僕とアリアは、同時に立ち上がった。


「誰か、いる……?」


アリアが怯えた声で言った。


僕は廊下を覗いた。暗い。松明たいまつの光が、揺らめいている。


そして、影が動いた。


「誰だ!」


僕は叫んだ。


影が止まる。ゆっくりと、こちらを振り返った。


ノアだった。


フードを深くかぶり、弓を持っている。


「……散歩」


小さな声でそう言った。


「こんな夜中に?」


「眠れなくて……悪かった。驚かせるつもりはなかった」


ノアは俯いたまま、そう答えた。


そのまま、自分の部屋に戻っていった。


僕とアリアは顔を見合わせた。


「怪しい、ですよね……」


アリアが囁いた。


「分からない。でも、疑い始めたらきりがない」


僕は答えた。


心の中では、疑念が膨らんでいた。


ノアは、何をしていたんだろう。


見張りの時間が終わり、僕は部屋に戻った。


ベッドに横になり、目を閉じる。


でも、眠れない。


脳裏に、エクラの死体が浮かぶ。削除済み、という文字が。


そして、自分自身の姿が——


いつの間にか、僕は眠りに落ちていた。


夢を見た。


白い部屋。


隣に、金色の髪の少年がいる。


「兄さん、僕たちは何のために生まれたの?」


誰かが尋ねている。その声は、僕の声に似ていた。


「分からない。でも、きっと大切な理由があるはずだ」


金色の髪の少年が答える。その顔は、エクラに似ていた。


「僕たち、ずっと一緒にいられる?」


「ああ。約束する」


少年が微笑む。


「たとえ何があっても、俺はお前を守る」


夢が、霞んでいく。


目が覚めた時、僕は泣いていた。


理由は、分からない。


ただ、何か大切なものを失った気がした。


そして、それを取り戻さなければならない気がした。


窓の外を見た。


空の色が、また微妙に違っていた。


昨日より、少しだけ明るい気がする。


いや、違う。これは、別の日なのだろうか。


時間の感覚が、曖昧だ。


僕は立ち上がり、大広間に向かった。


不安と疑念を抱えたまま。


この密室の中で、真実を探すために。

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