■狩りお婆さん
黒野白登
■狩りお婆さん
「あら、登ちゃん。学校行ってらっしゃい」
僕の近所には、1人のお婆さんが住んでいる。
名前は分からない。年齢も分からない。好きな食べ物とかも分からないし、趣味も知らない。
お母さんにお婆さんがどんな人なのかを聞いても、「ほとんど付き合いが無いから知らない」って言う。
おまけに、近所のほとんどの人がお婆さんとは話してるのは見た事が無いって。 嫌われてるんじゃない?お母さんはそう言ってた。
「うん。行って来るね」
でも、本当にそうかな?――僕はそう思う。
皆適当を言い過ぎだよ。
お婆さんに身寄りが無いとか、本当は凶暴だとか、お友達が居ないとか。 ――適当、言い過ぎだ。
そんな事は無いって、僕は、僕なら言える。
お婆さんは優しい。
だって、今日も朝学校へ行く時にお散歩をしてるお婆さんに会って、ちゃんと挨拶してくれたもん。
「あら、登ちゃん。こっちおいで。飴ちゃんあげようか?」
よく飴もくれるし。
「登ちゃん。今日は歌を歌ってあげるよ。童謡は好き?」
よく歌も聞かせてくれるし。
「おやまあどうしたの、登ちゃん。学校で何か嫌な事あったの?」
僕が学校で嫌な事があったなら、しっかり相談にも乗ってくれるし。
こんなにも優しいお婆さんが、嫌われていいはず、ないんだ。
― ― ―
でも、僕の住んでるとこは、度々変な事が起こる。
「えっ、また――さん宅の猫ちゃん、消えたんですか?」
お母さんがたまに近所の人と話してる。
「そうなの。2日経っても帰って来なくて―」
何か、ご近所さんで飼っていた猫が突然居なくなったんだって。
「私、絶対、あの人が怪しいと思うの」
「あの人って⋯⋯まさか?」
「うん。――あのお婆さん。私の猫が消えるちょっと前、あの人私の猫に餌をあげてたらしいのよ」
「えっ、気味悪い!一体何の為に?」
「分からないわ。あの人って元々この地域じゃ嫌われ者じゃない?だから周りへの復讐の為に猫を懐かせて奪ってるんじゃないかと思って――」
「もし本当だったら嫌ね。はあ、早くどこか行ってくれないかしら――
聞いてて、僕は物凄くイライラした。
いくらお母さんでも、言って良い事と悪い事がある!
「――お婆さんはっ!悪い人じゃない!!」
僕は目に涙を溜めて気付けば叫んでいた。
お母さんも近所の人もびっくりしてたけど、関係無い。
― ― ―
「あら、登ちゃん?――どうしたの?」
雨が降ってた時、学校からの帰りに、お婆さんに会った。
お婆さんは、雨の中、傘を差しながら、餌をあげてた。
――猫に。
「―っ」
そんなはずは無いって、ちゃんと思ってた。
でも、僕は、少しだけ後ずさってた。
お婆さんを信じたい気持ちと、見てしまったものの衝撃が混ざり合って、お婆さんを直視出来なかった。
「登ちゃん?――どうしたの?」
でもお婆さんはそんな事お構いなしに僕へ近付いてきて。
「―――――っ」
僕は始めて、お婆さんから逃げてしまった。
傘を放り出して、雨の中を、家まで全力疾走した。
――なのに。
逃げる途中、歌が聞こえた。
拙い音調、歌詞だったけれど。
その歌は確かに。
よくお婆さんが僕に歌ってくれる歌――『猫踏んじゃった』だった。
― ― ―
それから暫くの間はお婆さんには会えなかった。
でも、納得がいってなかった。
僕にはやっぱり、お婆さんが悪い人だとは思えない。
だから、お婆さんには悪いと思ったけど、僕はお婆さんの後をつける事にした。
お婆さんの無実を僕が証明するんだ、お婆さんはやっぱり猫の誘拐なんかしてないって。皆にお婆さんは悪い人じゃなかったよって。――証明するんだ。
学校が休みの日。
もうすぐ日が暮れるって頃に僕は家をこっそり出た。
お婆さんはすぐに見つけた。
やっぱり、猫に餌をあげていた。
僕は隠れて様子を伺う。
でも、様子が変だ。何か歌が聞こえる。
耳を澄ましたくはなかった。なのに、それは自然と僕の耳に入ってくる。
『猫踏んじゃった』 だ。 ゾッとした。
笑顔で歌ってた。笑顔で歌いながら、お婆さんは餌を夢中でむさぼる猫を笑顔で見下ろして
―――――ガッ!
どこにそんな力があったのか、細い腕で猫の首を"むんず"と掴んだ。
「ひっ!!」
思わず悲鳴が出た。
猫の首を掴んだまま、お婆さんがこちらを振り返る。
まずいまずいまずいまずいまずいまずいまずい―――。
電柱の陰に身を縮めて息を必死に殺す。
心臓の鼓動を必死に抑える。頼む、ばれるなこっちへ来るなお願いだからお婆さんを信じさせて!
お婆さんを遠ざけたいのか信じたいのかどちらなのか分からない押し問答を心の中で繰り広げる。
物凄く長い時間が流れた気がする。
顔を上げる、お婆さんが居た場所を振り返った。お婆さんは居なかった。
「あれ⋯⋯?」
不思議に思って、お婆さんが居た場所へ駆ける。猫も居なかった。 ただ、その代わりに。
――道にわざと落としたような血が、まるで僕を誘うように延々とその先へ伸び続けていた。
― ― ―
「ここ、本当に住んでるの⋯⋯?」
茜差す夕暮れの中、不気味な血の道を辿っていた僕は、いつの間にか見知らない一軒家の前に居た。
かなり昔に建てられただろう家だ。 家の至る所に蔦が生えていて苔だらけで、所々壁が剥がれていたり屋根が無くて吹き抜けになっていたり。
人が住んでいるなんて思えなかった。
でも、血の道は確かにこのおんぼろ家まで続いてた。
直感で分かる。お婆さんは、この中に住んでいる。
臭い。色んな場所が臭う。近所のゴミ捨て場より酷い匂いだった。
入り口らしき場所を発見。
中を覗いてみると、薄暗くてよく見えない。夕暮れが逆に不気味過ぎた。怖さが増す。
でも、僕は退けない。退けない理由がある。きっと猫を強引に捕まえたように見えたのは気の所為で、ちゃんと中で飼ってるんだ。誘拐はよくないけど、殺すよりは遥かにマシ。
寂しいなら僕がお婆さんの友達になる。誰も理解出来ないなら僕がお婆さんを理解する。いつも優しくしてもらってたから。僕にはそうする理由があるんだ。
薄暗い廊下を暫く進むと、明かりの漏れている部屋がある事に気付いた。
僕はこっそり近付く。 少しだけ開いている隙間からこっそり中を覗く。 そして、すぐ後悔した。
「―――――おや、登ちゃんじゃないか」
覗いた襖の隙間から、目が合った。至近距離で。
お婆さんが、僕を、逆に覗いていた。
「うっ、うわあああああああああああっ!!!」
悲鳴。逃げようとする。無駄だった。
―――――腕を、掴まれた。
"ミシッ" 掴まれた腕が、おかしな音を上げた。
痛い痛い痛い痛い痛い――ッ!!
とんでもない怪力だった。涙が止まらない。振り向く。いつもと何ら変わらないお婆さんの笑顔がそこにあったのに、僕にはそれが笑顔だとは思えなかった。
「登ちゃん。丁度良かった。見せたいものがあったのよ」
お婆さんはそう言うと僕を物凄い勢いで襖の中へ引きずり込んだ。
襖の中は、部屋のあちこちに血が散乱していた。
異臭しかしない部屋だった。
カーテンは閉め切られていて、明かりは付いているのに、異様な暗さが拭えない。
そして、その理由はすぐに分かった。
―――壁の至る所に、■の死体が釘で打ち付けられていた。
どこを見回しても■、■、■、■、■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――だった、死体。
酷かった。ほとんど原型を留めていない。
何で?何でこんな事が出来るの?
意味が分からない。理解不能だ。おかしい。このお婆さん――じゃない、このババアは人外の化物だ。僕がおかしかった。こんな奴を理解するなんて、不可能だ――。
「素敵でしょう?登ちゃん。私がこれまで集めてきたコレクション達よ」
化物は、ゆっくりと語る。
「登ちゃんにもずっと見せたかったのよ。だけど貴方の母親とかが邪魔だったから、こっちから誘ってみたの」
化物は、ゆっくりと語る。背筋の凍る事を言いながら。
「登ちゃん。――おばあちゃんね、ずっと1人ぼっちだったの。そろそろお友達が欲しかったのよ?―人間の」
化物は、ゆっくりと語る。悟る。 もう、逃げられない。
「丁度さっきの子で終わりにしようと思っていたから、もう■は襲わないわ。安心して。 ただ、その代わりに」
化物は、ゆっくりと語る。"ずいっ"と顔を近付けて。
懐から、飴玉を取り出した。
今まで気付かなかったけど、その飴玉はとても真っ赤な色をしていた。 真っ赤。まるで――血のような。
目を見開いて、恐怖に震えて、何も出来ない僕へ、化物は。 言った。
「登ちゃんたら、可愛い。そんなに怖いなら、おばあちゃんが子守唄でも歌ってあげようか?」
― ― ―
それから暫く経って。
息子が行方不明となり憔悴していた女性の元に、度々手紙が届くようになった。差出人は不明。目的も不明。
だが、手紙には毎回共通点がある。
血文字で、こう書かれているのだ。
『ねこ ふんじゃった
ねこ ふんじゃった
ねこ びっくりした ひっかいた
ねこ ごめんなさい
ねこ ごめんなさい
ねこ よっといで
ねこかつぶしやるからよっといで』
童謡と最近、近所で頻発しているらしい子供の失踪事件。
この2つは決して無関係――ではない。
■狩りお婆さん 黒野白登 @ut3559
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