第7話 家族の幸せを守るとは・・・

三人はしばらく歩き続け、やがて洞窟の出口にたどり着いた。

外へ出ると、潮の匂いに混じって、懐かしい土の匂いが鼻をくすぐった。


見慣れた山並み。

変わらぬ空の色。


「……帰れたんだな」

マテオが、ぽつりと言った。

「本当に……」

ベンハミンは言葉を続けられず、目を潤ませた。

「やったぜ!」

インティは両手を上げて叫んだ。

「もう二度と海底なんて歩かねえ!」


「今度は軽はずみに歌うなよ」

マテオが冗談めかして言う。

「お前こそ、監民官に目をつけられるような顔すんな」

インティが言い返す。

三人は、久しぶりに声を出して笑った。


やがて、分かれ道に差しかかる。

「……ここでお別れだな」

マテオが言った。

「最後に、お前たちと冒険できてよかった」

インティが肩をすくめる。

「みんな……元気で」

ベンハミンは、精一杯の笑顔を作った。

三人は短く抱き合い、それぞれの道へ歩き出した。


マテオは一人、帰路についた。

あの角を曲がれば、自分の家がある。


――レナータは、子どもたちは、元気だろうか。

胸が高鳴る。

期待なのか、不安なのか、自分でも分からなかった。


角を曲がる。

そこには、確かに“自分の家”があった。


変わらない壁、変わらない屋根。

それだけで、胸の奥が熱くなった。


庭先には、息子と娘がいた。

走り回り、笑っている。

……そして、もう一人。

見知らぬ男が、子どもたちのそばに立っていた。


「お父さん、川に行って釣りがしたい!」

息子が言う。

「そうだな」

男は穏やかに答えた。

「たくさん釣れたら、お母さんが喜ぶぞ」


その瞬間、マテオは理解した。

――ああ。

――そういうことか。


子どもたちは、マテオに気づいていない。

彼は物陰に身を寄せ、その光景を見つめた。


子どもたちは男に懐き、

男もまた、不器用なほど優しそうだった。


――幸せそうだ。

――ちゃんと、家族になっている。


ツァカムの言葉が、頭の奥で蘇る。

――残されたオナゴの孤独はのう……

――男どもが考えているより、ずっと深いもんじゃ。


レナータも、苦しかったのだろう。

待ち続けることにも、諦めることにも。

そして、ようやく掴んだ幸せなのだ。


――今、俺が姿を現しても……

――この家を壊すだけだ。

マテオは、静かに踵を返した。


そのときだった。

「……マテオ」

目の前に、レナータが立っていた。


両手に食料を抱え、市場から戻る途中のようだった。

「生きてたのね……」

声が震え、次の瞬間、彼女は泣き崩れた。


「心配かけて、すまなかった」

それしか言えなかった。


「もう……戻ってこないと思ってた……」

二人は、しばらく言葉を失った。

風の音だけが、間を流れる。


「……新しい旦那、見つけたんだな」

マテオは無理に明るく言った。

「ごめんなさい……」

「君が謝ることじゃない」

それは、心からの言葉だった。


「……一年くらい前よ」

「そうか」

マテオはうなずいた。

「幸せそうで……よかった」

遠くで、子どもたちの笑い声が聞こえる。


「ねえ、マテオ……」

レナータが、ためらいがちに言った。

「また……一緒に暮らせない?」

胸が、強く締めつけられた。


「それは、できない」

マテオははっきり言った。

「今でも……あなたを愛してる」

「分かってる」

だからこそ。


「戻ったら……誰も幸せになれない」

マテオは続けた。

「君は、やっと幸せを見つけたんだ。

 それを、壊しちゃいけない」

レナータは、何も言えなかった。


「……いい人なんだろ?」

「ええ、とても」

「それなら、安心だ」

マテオは、少しだけ微笑んだ。


「子どもたちに気づかれないうちに、行くよ」

「……待って」

レナータが、小さく言った。


「最後に……キスだけ」

マテオは、静かにうなずいた。


それは、

長くもなく、短くもない、

“終わりのためのキス”だった。



マテオは、あてもなく歩いた。

気がつけば、あの洞窟の入口に腰を下ろしていた。


「……やっぱり、ここか」

インティの声がした。

ほどなくして、ベンハミンも現れる。


「どうした?」

マテオが聞いた。

しばらくの沈黙のあと、インティが苦笑した。


「俺の嫁さ……もう再婚してた」

笑っていたが、その目は笑っていなかった。


「俺も……」

ベンハミンが、かすれた声で言う。


「……実は、俺もだ」

マテオは、少し大きな声で言った。


三人は、顔を見合わせ――

そして、声を上げて笑った。

笑うしかなかった。


「これから、どうする?」

インティが聞く。


「隣の国に亡命しよう」

マテオが言った。

「どうせ、ここじゃ俺たち、もうブラックリスト入りだ」

「だな」

インティとベンハミンがうなずく。


「今度こそ」

インティが言った。

「みんなで、幸せになろうぜ」


三人は並んで、前を向いた。

こうして彼らは、

もう一度、旅に出ることを決めた。

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運命を超える冒険譚 ―流刑島からの再起の航路― 光野るい @kazu5430

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