第4話 海神ツァカム現る
海上神殿は、まるで海そのものに持ち上げられているかのように建っていた。
波が神殿の外壁を打ちつけ、低くうなり声を上げている。
三人は入口付近にボートを縛りつけた。
「入口は……ここか?」
マテオは扉に手をかけ、ゆっくり押した。
――ギィィィィ……。
嫌な音を立てて、扉はあっさりと開いた。
「……誰も鍵、かけてないのか」
インティが呟く。
「神様って、防犯意識ゆるいよな」
中へ足を踏み入れると、そこには大聖堂のような広大な空間が広がっていた。
天井は高く、波の反響音が低くこだまする。
そのとき――
「ふぉっふぉっふぉ……」
甲高い笑い声が、奥から響いた。
三人は同時に肩を震わせた。
暗がりの向こうから現れたのは、
黒い三角帽子に黒い外套をまとった老婆だった。
右手には杖。どう見ても魔女の格好である。
「人間が来たのは、何百年ぶりじゃろうかの?」
「あ、あなたは……?」
マテオが一歩前に出る。
「わては海神ツァカムじゃ」
老婆は胸を張った。
「で、おぬしら。何の用でここに来た?」
「実は俺たち……」
マテオは咳払いをした。
「カフル島に流刑にされまして、本土へ抜ける海底道を求めて来ました」
「なるほどのう」
ツァカムは顎に手を当てた。
「で、なんで流刑になったんじゃ?」
「私は内乱予備罪です」
マテオが答える。
「ですが、内乱など企てたことはありません」
「ふむ」
「わ、わたしは……」
ベンハミンが恐る恐る続けた。
「王都の広場で、王が大事にしている像が倒れたとき、
その場に……いただけです……」
「おぬしが倒したのか?」
「い、いえ! 大きな音がして、怖くて物陰に隠れていたら……
気がついたら、監民官に囲まれていました……」
「……なるほど」
「俺はな」
インティが肩をすくめる。
「酒場で歌っただけだ」
「歌?」
「即興の冗談さ。
“王が転んで、冠が転がる”って」
「それで?」
「それがどうやら、侮辱罪にされたみたいで、翌朝に監民官に連れて行かれたんだ」
インティが答えた。
「……くだらぬ」
ツァカムは即答した。
「だが、人の世では、
くだらぬ理由ほど、よく首が飛ぶ」
三人は黙った。
「ふむ……」
ツァカムは三人を見回した。
「どうやら、おぬしらは悪事を働いて流刑にされたわけではなさそうじゃ」
そう言って、くるりと背を向けた。
「おぬしら……ここで待っておれ……」
そう言い残し、ツァカムは奥へ引っ込んだ。
外の波の音だけが残る。
――と思ったら、すぐに戻ってきた。
「おぬしら、この写真のオナゴを見てどう思う?」
ツァカムの手には、一枚の写真があった。
そこには、若い女性が写っている。
身なりは素朴で、表情は少し固い。
正直に言えば――特段に美人というわけではない。
三人は無言で写真を見つめた。
沈黙が、妙に長い。
「……これはの」
ツァカムが、やや視線を泳がせながら言う。
「わての若い頃の写真なのじゃが……」
――空気が凍った。
(地雷だ)
(絶対に地雷だ)
(踏んだら死ぬやつだ)
三人は、どう反応すべきか完全に見失っていた。
「……おぬしら、帰れぇぇぇ!!」
突然、ツァカムが怒鳴った。
「こんな絶世の美女の写真を見て、
なんにも感じんとはどういうことじゃ!!」
「ちょ、超美人じゃねぇですか!!」
インティが反射神経だけで叫んだ。
「いやもう、目が……目がキラキラしてる!」
「そ、そうですねぇ……」
マテオが引きつった笑顔で続く。
「品がありますし、その……若々しいです」
「わ、わたしなんて……」
ベンハミンは必死に視線をそらしながら言った。
「この写真、ずっと見てると……胸が締めつけられます……!」
「ほほほほほ!!」
ツァカムは満足そうに胸を張った。
「そうじゃろ、そうじゃろ!
若い男というのはの、
美しいものを見たら素直に感動する心が大切なのじゃ!」
(感動というか、生存本能だ……)
マテオは心の中でそう呟いた。
「次は、わての美声の歌声を聴きたいか?どうじゃ?」
三人は凍りついた。
(来た……)
(逃げ道がない……)
(これは持久戦だ……)
「も、もちろんです!」
インティが即答した。
「ぜひ!心して聴かせていただきます!」
「そうか、そうか」
ツァカムは上機嫌に喉を鳴らした。
そして――歌い出した。
「――――――――――――」
次の瞬間、三人の顔が同時に歪んだ。
(音が……合ってない)
(というか、どこに向かってる)
(今、半音どころじゃなかったぞ)
声はやたら大きい。
抑揚は迷子。
節回しは完全に自己流。
しかも途中で、
なぜか別の歌に切り替わった。
そのとき――
バシャァァァン!!
神殿の外で、大波が立った。
「な、なんだ!?」
インティが叫ぶ。
「おお、海が感動して震えておる!」
ツァカムは誇らしげだ。
(いや、これは海の怒りなんじゃないか!?)
「そうじゃ、おぬしら腹が減ったじゃろ・・・、こっちに来い!」
「あ、はい・・・」
三人は嫌な予感しかしない。
そして三人は、奥のキッチンのような場所へ連れて行かれた。
「……おぬしら、妻はおるのか?」
不意に投げかけられた問いに、マテオは少し間を置いて答えた。
「ええ。本土に残したままです」
「俺もだ」
インティが短く言い、ベンハミンも小さくうなずいた。
ツァカムはそれを聞くと、鍋に火を入れ、木べらで静かにかき混ぜた。
煮立つ音だけが、しばらく場を満たす。
「……そうか」
しばらくして、ツァカムは独り言のように続けた。
「残されたオナゴの孤独はのう……。
男どもが考えているより、ずっと深いもんじゃ」
鍋の中を見つめたまま、ぽつりと言う。
「生きておるかも分からぬ旦那を待つ。
死んだと諦めることもできず、
戻ると信じ切る勇気も削られていく……」
ツァカムは火を弱め、ゆっくりと息を吐いた。
「それはな、独りで生きるよりも、よほど辛い」
三人は何も言えなかった。
しばらくすると
「ほれできたぞ、オナゴの手料理なんて久しぶりじゃろ!食え食え!」
ツァカムがそう言って料理をテーブルいっぱいに並べた。
「匂いはすごくいいぞ・・・」
インティが言う。
「見た目も美味しそうだ・・・」
ベンハミンが恐る恐る言う。
「さあ、遠慮なく食え!」
「ありがとうございます……ツァカム様……いただきます……」
三人の声はなぜか震えている。
マテオは恐る恐る一口食べる。
「うまっ!!」
(……メチャクチャうまい)
(……奇跡では?)
(……さっきの歌は何だったんだ?)
「ツァカム様!うまいですね!!」
インティが興奮して言う。
「ほほほ」
ツァカムは満足そうに頷いた。
「そうじゃろ。味には自信がある」
「ところで、この魚なんですか?」
ベンハミンが聞いた。
「フグじゃ!」
「え”・・・・」
三人は言葉を失った。そして三人はそっとナイフとフォークを置いた。
「あの……フグを料理するには、免許が必要なのですが……ツァカム様は持っているんですか……?」
ベンハミンが恐る恐る聞いた。
「そんなもんは持っておらん!」
ツァカムが堂々と言う。
「安心せい、毒は取り除いてある!遠慮なく全部食ってよいぞ!」
しかし、イマイチ信じられない三人。
ロシアンルーレットに臨む覚悟で三人は完食するのであった。
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