ハズレと言われた亡命皇子のやり直し革命
沙月雨
愚者のエンドロール
カンカンカンカンカン!
そんなやけにうるさく響く音で、閉じていた目が強制的に開かされた。
目の前の景色は焼け野原。
だが、どこか見覚えのある町…………かつて平民だった俺――――ルクス・エルミールの故郷である場所を見て、俺は思わず息を呑む。
(…………なんだ、これは)
逃げ惑う市民たちを見て、思考だけが遅れてついてくる。
視界はとうに真っ赤で、聴覚は鐘の音でひっきりなしになり、嗅覚は黒煙の匂いで不愉快に呼吸をやめさせた。
一瞬幻想魔法の類いかと疑ったが、実体はある。
なんだか嫌な予感に身震いし、この場から離れようとした――――が、足が動かない。否、この体を動かす権限が俺にはないと気づく。
この体の主導権は、俺じゃない。
けれど一瞬飛んできたガラスの破片に映ったのは、確かに自分の姿だった。
しかしそれは俺が知っているはずの体とは違い、見るに堪えないほどにボロボロで。
呆然と立ち尽くすことしかできないままでいる俺の顔に何かが張り付き、そしてまた手は勝手にそれを引き剝がした。
(…………新聞?)
端の方がやや焦げているそれを握りしめたこの体は、さっと見出しに目を滑らせる。
『アストロズ王国と全面戦争』と書かれたそれを見て、俺は思わず顔を顰めた。…………実際の表情は、ぴくりとも動かないままだったけど。
(和平を結んでいるアストロズ王国と?)
考えようと口に出そうとするが、当たり前というのか口は動かず、声にもならない。
ただ視線だけは新聞を見て――――ある一点が目に入ったとき、呼吸が止まったように思えた。
(…………五年、後?)
次の瞬間、新聞が勝手に握りつぶされる。
投げ捨てたのは自分の体だが、もちろん俺の判断じゃない。
それに舌打ちをしようにも出来ないことに更に苛立っていると、不意に体が近くの物陰に身を隠した。
「大佐! セレナ大佐!」
セレナ?
聞き覚えのある名前に一瞬思考が止まるが、ここにいるはずがないとその考えを打ち消す。
それがもし俺が知っているセレナ・ワイルズという幼馴染の少女の名前ならば、彼女は侯爵家の安全な場所で守られているはずだから。
顔を見ようにも、自分で動かすことのできない体がいうことを聞くはずもない。
「大佐、単独行動はおやめください。あなたはこの軍の指揮官なのですから」
「…………ああ、そうだな」
少し掠れているその声の方へ、ゆっくりと顔を出す。
その瞬間目に入った顔を見て、視界が微かに下を向いた。
「ルクスは今、何をしているのだろう…………」
「あのルクス・エルミール、ですか? 『
「違う。ルクスは…………あの人は、」
――――ひゅっ、と。
その言葉に、息を吸った音と、息を吐いた音が重なった。
そう気づいた瞬間、俺はその場を離れようと立ち上がる。
「誰だ!?」
けれど、それよりもセレナが魔力探知を行った方が早かったらしい。
その瞬間、先ほどまで落ち着いた様子だったセレナが、剣を抜いて俺が
「…………まだまだ甘いな、セレナ」
自分の意思とは関係なく開かれた口を動かすのは、まるで傀儡のようだ。
自嘲をしようにもできないことを不愉快に思いながらも、体は勝手に動いていく。
「る、くす」
「大佐、離れてください!」
すると不意に、ただ立っていただけの部下が俺に向かって剣先を突き付ける。
最小限の動きで身を躱せば、剣を構えた部下はじりじりと俺に近づいた。
「やめなさい」
「え? で、ですが大佐」
「やめなさいと言っているでしょう」
記憶では少女だったはずの人が立派な成人になっている姿に何も言わずに、体は剣先を見失った部下にどこかへ行けと顎で示す。
すると、部下は不満そうな顔をしながらも険しいセレナの顔を見て渋々と立ち去っていった。
「全く、幼馴染と感動の再開なのに何も言わないなんて、お前も随分冷たくなったな」
「…………どうしてあなたがここにいらっしゃるんですか! 貴方を逃がすために、私もクライヴ様も、シュハド様だってっ、」
そう叫んだセレナの言葉に、俺は薄々感づいていたものが段々と形になっていくのを感じる。
せめて夢なら覚めてくれと願うけれど、身体がセレナの方へと一歩近づいただけだった。
「おい、セレナ。お前たちだけでももう逃げろ。もう俺は――――」
「殿下!」
俺の言葉を遮り、そのまま抱きかかえるように倒れこんだセレナの背中を見て、一瞬動きが止まる。
ぐっと唇を噛んだ俺に何を思ったのか、そいつは少しだけ血を吐いて苦しそうにした後、微かな力で地面との隙間をそっと開けた。
「ルクス、早く逃げて…………」
「…………お前は、俺よりも愚かだな」
「ルクスは、愚かなんかじゃなかった…………誰よりも立派な、この国の宝石だった…………」
「馬鹿言うな。俺なんてただのハズレだ」
「わざと原石のふりをしていただけでしょう…………」
―――――変わらないと安堵していたものが、これからも変わるはずがないと思っていたものが、他でもない俺によって、いとも簡単に壊されていく。
手の中にある温もりも、そこから段々と冷たくなっていく感覚も、夢にしてはリアルすぎた。その感覚が、夢ではないと言っていた。
「おい、起きろセレナ! なあ、」
「今度こそ、守ることができた」
「そんなのどうだっていい。もう、どうだっていいから。だから…………」
――――お願いだから。
掠れた声は、俺の喉を勝手に使って通り過ぎていく。
掌に爪が食い込むほど握りしめているその力は、いったい誰のものなのか。
「だから、起きろセレナ。起きてくれ.......」
「…………もし次にルクスが何かを願ったのなら、絶対に叶えたいって、そう思ってたんだけど…………ごめんね、」
どうやら、無理そうだなあ。
その言葉を最後に呼吸をしなくなったその人は、もう目を開けることはない。
「…………ぁ、あ」
――――声が掠れて、何度も何度も名前を呼んでも、「仕方がないなあ」と笑うそいつはもういない。
ポタリ、と滲んだ視界に、小さな水が落ちる。――――体は、上を向いた。
けれどそこには何もなく、ただ赤い空と黒い煙が見えるだけの空間が見えるだけで。
小さな音を立てて落ちていくそれが何度目か俺の頬を冷たく伝った瞬間、背中に鈍い衝撃が奔った。
「敵襲か…………」
こんなにも胸は痛むのに、夢から覚めるどころか、体はただ前向きに倒れることしかできない。
————全ての感覚が、これは夢ではないと言っていた。
夢ではない。けれど、何が起こっているかも全くわからない。
しかし全く分からなかった会話の中でも、最後に自分の体が言おうとしていたことくらい分かる。
『お前たちだけでも逃げろ。もう俺は――――』
手遅れだから、と。
そう確かに口の中で呟いたその声は、差し迫る何かを諦めているように思えた。
まるでパズルがはまっていくように、今までの会話が組み合わさり、一つの解を導きだす。
俺は…………違う、俺達は、この五年後の未来になるまでのどこかで————
(――――誰かに、殺された?)
全ての点が繋がった瞬間、俺は意識を手放した。
ハズレと言われた亡命皇子のやり直し革命 沙月雨 @icechocolate
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