星降る夜空と生存確率

成田紘(皐月あやめ)

星降る夜空と生存確率

 二学期の終業式が終わったその足で、俺たちは駅前の焼肉屋に雪崩れ込んだ。

 クラスのクリスマス会。

 食べ放題の肉を焼きながら、どうでもいい話で盛り上がる。

 受験がどうとか、進路がどうとか、そんなの今だけは忘れていい。

 

 二次会のカラオケでは、誰が何を歌ったかも覚えていない。

 ただ笑って、喉が枯れるまで騒いだ。

 駅前ロータリーはクリスマス一色で、イルミネーションが夜を彩っている。


 誰かが空を指さして叫んだ。

「流れ星!」

 白い尾を引いたそれは、やけに大きく、やけにゆっくり夜空を横切った。

 歓声が上がる。俺も思わず息を呑んだ。

 ――綺麗だ。

 イルミネーションの洪水に白く光る星の瞬き。

 幻想的なその光景は、まるで世界が生まれ変わったみたいに俺の胸をときめかせた。


 おかげでその夜は気分よく眠れた。

 ぐっすり寝過ぎて、目が覚めたときにはもう昼が近かった。

 でも、気にしない。

 なぜなら今日から冬休みだからだ。

 今夜は家族でクリスマスパーティー。

 ケーキにチキンにプレゼント!


 俺は上機嫌で階段を駆け下り、リビングの扉を開けた。

「母さーん、腹減ったー」

 返事はなかった。


 リビングではテレビがお昼の情報番組を流し、エアコンから吹き出される暖かな風が部屋中をぬくめている。

 ローテーブルの上には赤いケースに入った母のスマートフォンが静かに置かれていた。

「トイレか?」

 独り言が、やけに大きく聞こえた。


 まあいいか、と気を取り直してキッチンへ向かう。

 シンクには皿やコーヒーカップなんかがふたり分。

 両親が朝食に使った物だろうけれど、母が洗い物をそのままにしておくなんて珍しい。

 しかも、昼食の準備がされていない。


 母は週三日パートに出ながら家事を熟している。

 今日は休みだったはずだけど、たまには家事をサボりたい時だってあるよな。

 そんな風に思いながら、俺は母がトイレから戻って来るのをテレビを観ながら待った。


 五分、十分、十五分……、どれだけ待っても母は戻ってこない。

 エチケット違反だと思いながらも俺は様子を見に行ったが、トイレの電気は消えていた。

 コンコンとノックしても無反応。

 そっと扉を開くと、当然だが無人だった。


 二階の両親の寝室にでもいるのだろうか。

「母さーん?上にいるのかー?」

 俺は声をかけながら階段を上る。

 でも俺が下りて来た時、二階はしんと静まり返っていて、人の気配なんてなかったのだけれど。


 閉ざされた両親の寝室の扉を、俺は恐る恐るノックする。

 反応はない。

 数秒待って扉を開くが、やはりそこに母さんはいなかった。

「買い物にでも行ったのか?」

 テレビやエアコンをつけっぱなしで?

 訝しんだ俺は、室内に母が普段使っているバッグが置かれているのを見つけた。

 口が開いていて、母の財布が顔を覗かせている。


 さすがに手ぶらで出かけたりしないよな。

 ではやはり母は家にいるのだ……たぶん。

 そこで俺は、父の書斎(テレワークが増えたため急遽パソコンデスクを設置しただけの室内物干し場)の扉を開ける。

 ノックはしなかった。

 そこに母がいるとは俺には思えなかったからだ。案の定、誰もいない。


 けれどそこに、黒くて大きなビジネスリュックが無造作に置きっぱなしになっていることに気がついた。

 父が通勤に使っているリュック。

 今日はテレワークの日だったか?

 ならばなぜ父はここにいないのだろう。

 胸の奥が、じわっと冷えた。


「なにやってるの?」

 突然背後から声をかけられ、口から心臓が飛び出した俺は慌てて振り返った。

 そこに立っていたのは、大きな黒い瞳が特徴的な女の子。

 瞬く星のように輝く瞳に、俺の顔がはっきりと映っている。

「なんだよ、いたのかよ」

 ふたつ下の妹だった。


 よかった、妹がいた。

 俺はこの家の中にひとりぼっちじゃなかったんだ。

 そう思った俺は、胸の底から大きくて深い安堵の息を吐いた。


「もう、おにいちゃんてば冬休みだからって、だらけ過ぎ!」

 妹は呆れたように眉根を寄せ、俺の寝ぐせとパジャマ兼用部屋着スウェットを指差した。

 そんな妹はツヤツヤの黒髪をハーフアップにし、水色のパーカーにデニムのミニスカート、黒のタイツを身に着けている。

 普段着姿なのになんて可憐なんだ妹よ。


「そんなことより、父さんと母さんどこ行ったか知らないか?」

「え、お父さんは出勤したし、お母さんならリビングじゃないの?」

 妹はキョトンと小首を傾げる。

 そんな仕草もいちいち可愛らしい。


 俺はそんな可愛い妹に、両親が外出した形跡もないのにどこにもいないことを伝えた。

「なにバカなこと言ってんのよ、おにいちゃんの勘違いじゃないの?本当に家中探したの?」

「そうは言ったって……。あと見てないのは風呂か納戸くらいで……」

「じゃあ、納戸の整理でもやってんじゃない?ほら、年末の大掃除的な」

 というわけで、俺たちはふたりで風呂場と納戸を確認することにした。


 階段を一階まで下りきった俺は、そこで先程は見落としていた物に気づいてしまった。

 玄関の三和土に、母のショートブーツとふわもこな冬用サンダル。

 父の履き潰したスニーカー、茶色い革靴。

 俺のハイカットスニーカー。

 そして下駄箱の上には、両親ふたり分の家の鍵が取り残されている。

 

 俺は違和感を覚えずにいられない。

 すると突然、狼狽した妹の声が上がる。

「おにいちゃん、これ見て!」

 声のした方に向かう。

 廊下の最奥、納戸の扉の前で、妹が困惑の表情を浮かべていた。

「どうした、母さんいたの……か……」

 俺の言葉が尻すぼみになる。

 可愛らしい顔を歪めた妹の肩越し、そこには見知らぬ真っ白な扉が鎮座していた。



 

 それは普通の扉だった。

 白く、無機質で、どこにでもある普通のドア。

 でも昨日までここにこんなドアはなかった。

 あったのは引き戸だ。

 表面が少し剥げたダークブラウンの引き戸。

 開けるとガタガタと音が鳴る、年季の入ったやつだ。

 それが今は見たこともない白いドアにすっかり変わってしまっている。


 俺と妹は無言で視線を交わし合う。

「……プチリフォームとかした?俺が寝てる間に」

「なワケないじゃん!昨日まで普通だったじゃん!なにこれおにいちゃん!」

 妹が訳が分からいというように頭を振って、扉から逃げるように俺の背後に回り込んだ。

 俺にも訳が分からなかった。


 消えた両親。

 突然現れた白い扉。


 俺は一歩ドアに近づいて観察してみる。

 床にも壁にも違和感はない。

 最初からそこが引き戸なんかじゃなくドアだったみたいに、きれいに収まっている。


 俺はドアノブに手を伸ばす。

 自分でも気づかないうちに俺の手は震えていて、ドアノブに触れる直前で指を引っ込めた。

 真鍮製のそのドアノブが、やけに冷たそうに鈍く光る。


「……ねえ、お母さんたちって、もしかしてこの中なんじゃない?」

 妹がごくりと空気の塊を飲み込むように問いかける。

 同じく俺の喉も鳴る。

「ふ、風呂場……かも……」

 現実逃避なヘタレた俺の発言を全面否定するように、妹がドンッと俺の背中をグーで打つ。

「……おにいちゃん」

 俺のよれよれスウェットの袖を掴んだ妹が、か細い声で言った。

「開けてみて」


 嫌だ。

 このドアはおかしい。

 だってどう考えても普通じゃない。

 家の中はいつも通りに見えるのに、財布やリュックや靴が残されていて、なのに両親だけがいない。

 まるでさっきまでいた人間が、忽然と消えてしまったみたいじゃないか。

 なんなんだ。

 昨日はあんなに楽しくて、あんなに綺麗な星空を見て、まるで世界が生まれ変わったみたいに素敵な夜だったのに。


 それに。

 それに――


「おにいちゃん、聞いてる?」

 妹が俺の肩に手を置き、身体を寄せてくる。

 柔らかなその感触に思考が一瞬だけ跳びそうになり、俺は慌てて身体を離し踵を返した。

 小首を傾げる妹の黒髪がさらりと流れる。

 上目遣いの黒い瞳がやけに近くて、狼狽えた俺の顔が映り込んでいる。

 妹の桜色の唇が何か言おうと形作る。


 俺の妹は可愛い。

 顔面偏差値Fランクの俺とは似ても似つかない可愛い妹。

 俺の頭に、今まで見て回った家の様子が思い起こされる。


 静まり返った二階。

 両親の分だけの使い終わった食器類。

 玄関に並んだ家族三人分の靴。


 それに——俺の違和感の正体。


 俺に、こんな可愛い妹なんていたっけ。




 俺の妹はなんて名前だったっけ――




「その扉、早く開けてみてよ、おにいちゃん」




 妹が一歩俺に近づく。

 磁石が反発するように、俺は一歩退いた。

 どん、と俺の背中がドアにぶつかる。

 手がドアノブに触れると反射的に掴んでしまって、かちゃりと不穏な音を立てた。




 眼の前に対峙するが嗤う。




 逃げ道はひとつしかない。




 今この瞬間、俺の生存確率は未知数だ。




  完

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