1-2



*****


 生まれたばかりの人間は視力が発達していないらしい。

 ジゼルがいくら目を開けても、周囲の風景はきりがかかったようにぼやけてしまう。

 明暗はわかるが、しきさいはほとんどわからない。にんしきできる色は白か黒くらいで、人間らしいかげが動くのは見て取れるが、個々人の顔までは判別できない。

 そのかわりちょうかくははっきりしていて、周囲の音はちゃんと聞き取ることができた。

 ジゼルは自分に向けられる言葉や、近くで交わされる会話に耳をかたむけて、人々の名前や立場を少しずつあくし、このじょうきょうを整理しようと努めた。

 その結果わかったのは、ここはサフィールていこくこうぞくが住まうきゅう殿でんであること。そして今のジゼルはこうていの第一皇女『アンジェラ・ド・ヴァングレーム』であるということだ。


(ほ、本当に帝国の皇女だなんて……!)


 平民に生まれ、孤児院で育ったジゼルにとって、皇族など雲の上の存在だ。


(私はやっぱり死んだのね。そして帝国に生まれ変わった……ということ?)


 心はとまどうばかりだが、体は生まれたてほやほやの新生児。

 自分の手足なのにうまく動かせず、言葉を話そうとすれば泣き声になってしまう。


(ね、眠い……。赤ちゃんの体ってこんなに眠くなるの……?)


 強いねむおそわれながら、ふわっとあくびをくり返す。自分でもおどろくくらい体力がなくて、少し起きていただけでもすぐ眠たくなってしまうのだ。

 一日のほとんどを眠って過ごし、やがて二カ月がったころ

 アンジェラの視力も少しずつ発達し、色彩や物の形状がわかるようになってきた。


(色……! 色があるわ!)


 最初に認識したのは赤。それからじょじょに黄色やだいだいいろなどの暖色系が見えるようになって、深く感激する。なお青や緑はまだ見ることができない。


(寒色系を見るのが難しいなんて、思ったこともなかったわ)


 赤ちゃんの体でなければ知ることのなかった事実である。

 やがて生後三カ月を過ぎると、追視ができるようになった。動くものに反応して、自分で上下左右に頭を動かして、対象を目で追うことができるのだ。

 逆に言えば、これまでは頭さえも自力で思うように動かせなかったということだ。

 そんな状態のため、自分の足で立って歩くなどまだまだ果てしなく遠いぎょうに感じる。


(人間、未熟すぎる……!)


 ひ弱にもほどがある。野生動物だったらとっくに死んでいる。

 しかし幸いにもアンジェラは人間で、しかも皇帝の皇女であるため、自力で動き回れなくても多くの人間が大切に世話をして育ててくれた。


いとしい妹よ! 会いたかったぞ!」


 朝一番に元気よく飛び込んできたのは第一皇子のミッシェル。十歳。

 ミッシェルは明るく破顔しながら、アンジェラの寝ているベッドにってくる。


「アンジェラは今日も可愛いですね」


 兄の横でほほんでいるのは第二皇子のラファエル。八歳。

 ラファエルは落ち着いたものごしで語りかけながら、優しくアンジェラを見つめる。


「アンジェラ、だいすきだよ!」


 兄たちの間から顔を出したのは第三皇子のガブリエル。五歳。

 ガブリエルはてんしんらんまんがおかせながら、びしてベッドの中をのぞき込む。

 三人の兄たちがあいあいと末っ子の妹を取り囲む横で、優美なため息をついたのは母の皇后ジョゼフィーヌだった。


「女の子の服はどれも可愛らしいこと。目移りしてしまうわ」

(え! あれ、私のお洋服なの!?)


 母がいるあたりで先ほどから、赤やピンクの布のようなものがちらついていると思ったのだ。どうやらメイドたちが色とりどりのを広げているらしい。


「この色もこのがらもいいわね。ああ、こちらも捨てがたいわ」


 ジョゼフィーヌはなやんだ末、さらりと命じた。


はしから端まで、すべてアンジェラのドレスに仕立ててちょうだい」

(全部!? 仕立てすぎじゃない!?)


 正確に何着分あるのかわからないが、明らかに多すぎる気がする。


「ずっと男の子ばかりでかざりがいがなかったのだもの。アンジェラが生まれてきてくれてうれしいわ」


 むすたちの時よりも夢中で選んでしまうわ、と喜ぶ母に、メイドたちも賛同した。


「そうですとも! 皇女殿下は何をおしになってもお似合いになりますもの!」

「お名前の通り、天使のようにお可愛らしくていらっしゃいますわ!」


 楽しそうに言い合う女性じんは、止めようもないほど盛り上がっていた。


「ねぇ母上。アンジェラをだっこしてもいいですよね?」


 甘えた声でおねだりするガブリエルに、ジョゼフィーヌがくぎした。


「気を付けなさいね、ガブリエル。人形ではないのですから」

「わかってます。こんなにかわいい人形がいるはずないので!」

「それもそうね」


 アンジェラの首がすわったと医師が認めて以来、晴れて兄たちの悲願だった抱っこの許可が下りたのだ。念願叶った兄たちは喜色満面、かわるがわる妹を抱っこしている。

 じょがアンジェラをベッドから抱き上げて、ガブリエルのひざに乗せた。


「アンジェラ、かわいい! やわらかい! すっごくいいにおいがする!」


 ガブリエルは大喜びしながら、アンジェラにキスをした。


「ぼく、弟か妹がほしかったんだ。だからアンジェラが生まれてきてくれてうれしい!」


 ガブリエルは五歳。つまり五年間ずっと家族の末っ子だったため、下に弟か妹がほしいと願っていたそうだ。


「ね、兄上。うちの末っ子はもうアンジェラですもんね」

「そうだな。だが末っ子でなくなっても、ガブリエルはずっと私たちの可愛い弟だぞ!」

「そうですよ、ガブリエル」


 ミッシェルがガブリエルの頭をで、ラファエルも微笑んでうなずく。

 三人の兄たちが同時にアンジェラを見つめた。


「「「生まれてきてくれてありがとう、アンジェラ」」」

(お兄様たち……! んんっ)


 兄たちの優しい言葉に感動したというのに、口から出たのはしゃっくりだった。

 アンジェラの小さな胃が動いて、げぷっとのどが鳴ったかと思うと、だらだらとミルクをしてしまう。ガブリエルにはかからなかったが、アンジェラ自身の着ているベビードレスの胸元が白く染まってしまった。


(どうしよう! 高そうなお洋服をよごしちゃった!)


 ジゼルだった頃のしょみん感覚がけていないため、アンジェラはつい服の心配をしてしまう。


みになっちゃうかな? ごめんなさい……)

「アンジェラ、だいじょうぶ? ぐあいがわるいの?」


 ガブリエルが心配そうにのぞき込んだ。妹は体調が悪いのかと不安になったらしい。


「小さな子はよく吐き戻すものなのですよ。あなたたちも赤ちゃんの時はそうだったわ」


 ジョゼフィーヌは特にあわてることもなく、ゆったりと構えていた。母は強い。


「ガブリエル様、失礼いたします」

「アンジェラ様のおえをしてまいりますね」


 メイドたちがアンジェラを抱き上げ、ベビーベッドに連れていく。ベッドの周囲のカーテンを閉めれば、着替えの様子は他の者には見えなくなった。


「アンジェラはまだ小さいから、ミルクを吐いてしまうこともあるのですね」

「それならいくら汚してもだいじょうなように、もっとたくさんの服が必要ではないか?」


 カーテンの向こうでラファエルとミッシェルがそんなことを話しているのが、アンジェラにも聞こえてきた。


「母上、ぼくもアンジェラにドレスをプレゼントしたいです!」

(いやいや! さっきお母様が山ほどお買い上げしたばかりじゃない!?)


 可愛らしく言ったガブリエルにアンジェラは目をいたが、ミッシェルとラファエルは名案だと言わんばかりに賛同している。


「そうだな。私たちからもおくることにしよう」

「ええ、そうしましょう」

(もういいよぉ! づかいしないでください、お兄様たち!)


 そううったえたかったが、言葉を発しようとすれば泣いてしまう。乳児はつらい。

 もだえるアンジェラの服を優しくがせていたメイドが「あら」と小さく声をあげた。


「アンジェラ様は首にお花のあざがあるのですね」

(そうなの!?)

「まぁ、まるでみたいな形ですこと」

(薔薇の形の痣って、まさか……せいこん?)


 聖痕は聖女として認められる条件の一つだ。聖女は体のどこかに薔薇の花のような痣を持っている。ジゼルはかたに聖痕があった。


(聖痕のはずがないわよね……だって……)


 聖痕は聖女のあかしだが、聖女はコライユ王国にしか生まれない。

 サフィール帝国生まれ、ましてや皇帝の皇女であるアンジェラが、王国の聖女であるはずがない。

 きっとたまたま花の形に見えなくもないだけの、ただの痣なのだろう。


(孤児院の子どもたちにも、生まれつき痣のある子はいたわ)


 体に先天的な痣があることはめずらしくない。そのまま残ることもあれば、成長とともにうすくなって消えていくこともある。


ぐうぜん……きっと、偶然よね……?)


 そう思いながら、着替えがかんりょうしたアンジェラは再び兄たちの手元に戻されて、でに愛でられるひとときを過ごしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る