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 始めからミリアを連れ帰るつもりだったのか、ヘンドリックスが領地へ帰るのといっしょにミリアもヴェルサス辺境領へ出立することになった。ジェルマンや数名の使用人がげんかんさきまで見送りに出ていたが、トマソンは金を受け取ると用は済んだとばかりに自室に引っ込んでしまい、この場に姿はなかった。


「道中の安全をいのっております」

みなさまがたには宜しくお伝え下さい。これにて失礼します」


 ジェルマンとヘンドリックスが別れの言葉をわしているが、ミリアをづかう言葉はない。そしていよいよ馬車に乗り込もうとする直前で、ロジーナがミリアへった。


「ミリア様、おえや必要になる日用品などを詰めておきました。私にできることはここまでです。くれぐれもお体に気を付けて……」


 ロジーナはあらかじめ用意していたトランクをミリアにわたす。


 トマソンやジェルマンはかねづるであるミリアによめり道具などの気遣いをいっさいしない。本当に身一つで嫁がされる気の毒な昔の友人の娘のために、ロジーナは着替え、ブラシやタオルなどの日用品、そして自分のさいからお金をいくらか包んでそれらをトランクへ詰め込んだ。


 伯爵家の令嬢なら持参金、ドレスにそうしょくひん、場合によっては家財道具もそろえて嫁入りするのが普通だ。それがこんなトランク一つで、辺境の地へ送られる若い娘がびんでならなかった。


「ロジーナさん、ありがとう」


 ここでゆいいつ、人として扱ってくれたロジーナに、ミリアは感謝を込めてがおで答える。


「貴族社会では礼儀作法をしっかり守ることが重要です。教えたことを忘れず――」

「おい、いつまでしゃべっている。早く乗りなさい」


 ロジーナはミリアが心配でならなかった。伝えたいことはたくさんあったが、ヘンドリックスにさえぎられてしまい、ちゅうで言葉を飲み込んだ。


 ミリアはロジーナとの別れの挨拶もまともにさせてもらえないまま、うしがみを引かれる思いで馬車へ乗り込むのであった。


 ゴトゴトとれる馬車の中でミリアは考えた。


 馬車はまだ王都を走っている。目の前に座るこのヘンドリックスという男は、時折ミリアに対してさげすむような視線を向けるが、油断しているようにも見える。


 逃げ出すのなら今のうちだ。王都から出たことのないミリアがかんのない場所で脱走すればとても危険であるし、実行するなら王都内か王都きんこうしかない。


 もう、今まで通りブルックナー診療所で働き続けることは不可能だろう。それならばせめてお別れの挨拶と、母親の遺品、そしていくつかの貴重品だけでも持ち出して、どこかで名前を変えて治癒士をして生きていこう。馬車がスピードを落としたところでこのトランクをクッションにして飛び降りればいい。をしても死にさえしなければ自分で治癒することができるのだから。


 ミリアはそう覚悟して、ぎゅっとトランクをきしめながら窓の外をじっと見つめた。

 

 再び走り出した馬車。


 ミリアの髪は乱れ、ワンピースのすそひじの部分には穴が空いている。そして目の前には怒りで目をじゅうけつさせた男。


 そう、ミリアは脱走に失敗した。


 この男がちょうじんてきな身体能力の持ち主で、一分とかからずミリアはつかまってしまった。

 おかげで今は警戒を強められ、全くすきがない。


「貴様のような平民が、閣下のけっこん相手だとはこの上なく許しがたい。貴様は閣下に選んでいただいたことに、天をあおぎ神に感謝しなければならないほどだと分かっているのか」


 ミリアの目の前の男はりたいのをこらえながらうなるように言った。


 ヘンドリックスはグスタークだんしゃくの長男として生まれ、容姿は神経質な性格を表したようながたで、とびいろの髪によくある茶色の瞳。がったまゆわしばなとくちょうの、二十八歳でいまだ独身の男だった。


 彼は十六歳の頃、今のヴェルサス辺境伯であるジルベスターが、十二歳で次期領主としての公務を始めた頃から側近として仕えている。ジルベスターが前領主からその地位をゆずけた二十四歳の現在までずっと彼を支えてきた、最も古参の側近である。


 性格はで神経質。王族でもあるジルベスターを心からすうはいする、ジルベスター至上主義の男だった。それゆえジルベスターの妻となる女性にはいえがら、容姿、性格、能力、全てにおいてかんぺきな女性像を求めた。


 それに反してミリアはしょせん平民の出で、魔力の少ない治癒士。言葉遣いは下品でしとやかさの欠片もなくしゅくじょとはほどとおい。そして父親であるマイワール伯爵は金のもうじゃとして有名な評判の悪い男だった。


 ヘンドリックスとしては到底許しがたい主君の婚姻相手である。


「閣下?」


 先ほどヘンドリックスが言った言葉を、ミリアは思わず聞き返す。『閣下』とは高い身分にある人を呼ぶけいしょうであることはミリアでも知っている。


 しかし自分の結婚相手がどういう人なのかまでは知らない。『ジルベスター・ヴェルサス』という名前なのはサインした婚姻届で知ったが、ヴェルサス辺境領に住む人というにんしきしかなかった。


「貴様は結婚した相手の名も知らないと言うのか!」

「先ほどサインした婚姻届で知りました。確か『ジルベスター・ヴェルサス』様だとか……」

「いいか、貴様よく聞け! ジルベスター様はな! 本来貴様なんぞがお目にかかれるようなお人ではないのだ! あの方はよわい二十四にして辺境の地であるヴェルサス領を治め、その尊い血統は現国王の弟殿でんちゃくであり、王位けいしょうけんもお持ちのお方なのだぞ!」


 ――え?


 ミリアは耳を疑った。


 ――領主様であり王様のおいでもあるってこと? そんな雲の上の人と私結婚したの?


 ミリアは自分の結婚した相手がこのアドリアス王国の王族に当たる人物だと知り、頭の中が真っ白になった。


 まばたきを忘れるほどこうちょくしたミリアを見て、ヘンドリックスは「貴様なんぞ所詮期間限定のあなめだ」とつぶやいたが、ミリアの耳には届かなかった。


 それからミリアは脱走することは止めた。ヘンドリックスの監視の目をかいくぐることができなかったのもあるが、自分の結婚相手が王族だと知り、そんな相手を敵に回したところでどうにもならないと思ったからだ。


 ごとに不安の増すミリアと、蔑むような態度のヘンドリックスとで最悪の空気のまま、馬車は五日間の行程を終え、ヴェルサス領主の城へととうちゃくした。


 きょだいようさいのような領主城に到着すると、馬車は大きな南城門ではなく小さな東城門を通り抜ける。


 馬車を降りると、ヘンドリックスは付いてこいとだけ告げて足早に歩き出し、城の中へと入っていく。ミリアは仕方なく彼の後を付いていった。


 いしだたみいしかべの続く廊下にはカツンカツンと二人の足音が響いていた。やがてひときわじゅうこうな装飾のある扉の前に辿たどり着くと、それはゆっくりと開かれた。


 そこは領主のえっけんしつで、ゆかには真っ赤なじゅうたんかれ、白いかべには金色でえがかれた植物模様、てんじょうからはシャンデリアが吊るされたごうしゃな部屋だった。その部屋の正面の、三段高いだんじょうに設置されたに、一人の若い男性が座っている。


 陽光を纏ったような明るいきんぱつ。冬の夜空を思わせる深いあおむらさきのタンザナイトの瞳。そしてげんと気品をそなえた美しく整った顔。


 ―― 彼がジルベスター・ヴェルサス様。こんな人が世の中に居るなんて。


 ミリアは自分の夫となる人物の美しい容姿に目をうばわれ、思わず息をんだ。


「閣下、ただいま戻りました。この者がミリアです」

「ご苦労であった」

「おいっ、挨拶をしろっ」

「お、お初にお目にかかります。ミリアと申します」


 ヘンドリックスに促されてミリアは覚えたてのカーテシーをろうした。


「遠くからよく来てくれた。私が領主のジルベスター・ヴェルサスだ」


 思いの外、おだやかな声をかけられ、ミリアはゆっくりと顔を上げる。見上げた先のジルベスターは優しく微笑んでいた。初めて会う男性に、なぜそんな笑顔を向けられるのか分からず、ミリアはまどうしかなかった。


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