第二章

2-1


 ミリアはいつも通りの朝をむかえ、いつも通りたくをし、いつも通りに仕事をする。ドリトンがかんじゃしんさつしてミリアがほうをかける。ミリアとタニアが協力し合って雑務をこなす。


 そんな毎日がずっと続くと思っていた。しかしミリアにとってとても大切な人たちとの日々は、やはり貴族によってこわされるのであった。


 午前の診察もそろそろ終わろうかという時刻。しんりょうじょとびらが大きく開かれ、どこかの貴族の使用人らしき男と、おそろいのふくを身にまとい、こしけんたずさえた二人の騎士がずかずかと入ってきた。


 使用人らしき男はシンプルながらも仕立てのいい服装で、顔には張り付けたようなみをかべている。何事かとドリトンもミリアも、そしてその場に居合わせた患者も一様におどろいて言葉を失うが、いやな予感しかしなかった。


「なんだね、あなた方は」

とつぜんの訪問失礼いたします。私、マイワールはくしゃくに仕えるジェルマン・ウォーレンと申します。貴女あなたがナタリア様の産んだ子、ミリア様ですね」

「……」


 ミリアは返事にまる。ここで「はい」と言ってしまえば何をさせられるか分からない。


「私どもはマイワールはくしゃくの命により、ミリアおじょうさまをお迎えに上がりました」

「なっ!」


 ミリアは初めて聞くマイワール伯爵というのが自分の父親だと察し、同時にいかりを覚えた。


 ――お母さんを見捨てた貴族ね! 今まで父親らしいことを何一つしてこなかったくせに! いまさら何なの!


「何をおっしゃっているのか分かりません、ひとちがいです」

「いえ、貴女のそのかみいろ、そしてひとみの色。確かにだん様の血を引いておられる」


 ミリアはこの時ほど自分の髪色と瞳の色をのろったことはない。


ちがいます、ぐうぜんです! どうぞお引き取り下さい!」

「ウォーレンさん、突然やって来てそれは一方的過ぎる。日を改めてくれんか」

「申し訳ありませんが、あいにくこちらも急を要します。ミリア様は伯爵れいじょうになられるのです。大変喜ばしいことではありませんか」

「お断りします! 帰って!」


 応じてなるものかとミリアははんこうするが、ジェルマンが後ろにひかえる騎士へ目配せすると、その騎士らはミリアを左右からはさみ、げられないようにうでつかんだ。


「嫌! 放して!」

「乱暴するでない!」

「では、これにて失礼致します」


 顔面に張り付けたような笑みをたたえたまま、うやうやしく礼をするジェルマン。


「嫌! 人違いよ! 放して!」


 まるで犯罪者を連行するようなあつかいである。騎士らはていこうするミリアを引きずるように連れて、貴族が乗るような高級馬車へ押し込めた。


 ――ひどい! 横暴だわ!


 馬車はマイワール伯爵家へ向かって走り出した。ミリアは向かい側に座るジェルマンをにらけるが、ジェルマンは気にする様子もなくだまったまま無表情だ。


 便り一つさなかった父親が、なぜ今になって姿を現しミリアを引き取るというのか。嫌な予感しかしないのでどうにか逃げ出したいが、目の前にはジェルマンが居て、馬車のりょうわきには騎士がへいそうしていてどう見ても逃げられる状況ではなかった。


 下町をけて、連れて行かれたのは貴族街にあるしきの一つ。馬車を降りてからも騎士にりょううでを摑まれ身動きが取れない。ミリアはそのまま屋敷の中へ連れ込まれ、階段を無理やり上がらされると、長いろうに並ぶいくつもの部屋の、その一室の前でようやく立ち止まった。


「旦那様、ジェルマンです。ただいまもどりました」

「入れ」


 そうれいの男性の声が聞こえ、ゆっくりと扉が開かれる。


 ―― 嫌だ、入りたくない。


 扉の向こうに居る男性はだれなのか、こんなところへ連れて来てどうするつもりなのか。ミリアの頭の中ではいかり、きょう、不安がうずき一歩も動けなかった。しかし無情にも両脇の騎士がミリアの腕を引く。


「嫌! 放して! 私を帰してっ!」


 抵抗してみたもののかなわず、無理やり入らされた部屋はしつしつのようで、ミリアの目の前には五十代位の男がソファに腰かけていた。

 ミリアは頭にカッと血が上るのを感じた。


 ――この男が! この男が!


 目の前の男こそがマイワール伯爵家の当主、トマソン・マイワールだった。

 この男の持つしら交じりのいろの髪と、ほのぐらく温かみの欠片かけらも感じさせない瞳はオリーブ色。認めたくはないが、そのしきさいはミリアと血のつながりを知らしめるには十分なしょうとなっていた。


「ふむ、ナタリアのおもかげがあるな。むすめ、名は」

「無理やりにこんなところまで連れて来て何なんですか。帰して下さい」

あいさつもまともにできないのか。読み書きぐらいはできるだろうな」

貴方あなたに関係ありません」

「貴様はしょではあるが今日から伯爵家の令嬢として生きてもらう。そして三日後にはヴェルサス辺境領へとつげ。貴様のりょくりょうは大したことはないようだが、かなりの治癒魔法の使い手だと聞いている。向こうでは貴様の治癒魔法が存分に役立つだろう。伯爵家の名にじぬよう力をくせ」


 ミリアは何を言われているのか理解できなかった。嫁げと言われた気がする。ただ、この男の勝手でミリアの人生がいいようにされていることだけは理解できた。


「何を言っているの! 私の人生を勝手に決めないで! 帰して! 私は貴族になんかならないわ!」


 トマソンを射殺す勢いで睨み付けながらミリアの瞳にはなみだあふれる。


「もうよい、話にもならん。連れて行け」

「はっ!」


 ミリアの両腕を摑んでいた騎士たちが再び力をめる。そしてミリアを引きずるように部屋から連れ出すと、屋敷の北側にある部屋へと彼女を押し込めた。


 そこはミリアが住んでいる部屋の何倍もある広さで、そうしょくは控えめだが品質のいい家具が置かれ、ベッドのシーツもしわ一つなくれいに張られていた。日当たりはあまりよくないが、きちんと清潔に整えられている。


 ――とりあえずは酷い扱いを受けずに済みそうね。


 ミリアは一人にされたことで少しだけ冷静になれた。しかしこのままではヴェルサス辺境領とかいうところへ行かされて、死ぬまで治癒魔法をかけさせられる未来しか見えてこない。


 ミリアは逃げ道を探すため、扉のノブに手をかけた。意外にも扉にはかぎがかけられておらず、出入りが自由だ。しかし扉の外には先ほどまでミリアをこうそくしていた騎士の一人が立っていた。これは護衛というよりはかんだろう。


 そして窓の方もかくにんしたが、腰の高さまである二面の窓は、鍵は開くがバルコニーがない。部屋も三階なのでかなりの高さがあり、だっそうは無理そうだった。


 ミリアは力なく一人けのソファに腰をかける。


「ドリトン先生……」


 されてこんなところへ連れて来られてしまった。きっとドリトンもタニアも心配しているに違いない。伯爵に言われるがままになるつもりはないが、果たして自分はここから逃げ出せるのだろうか。仮令たとえおおせたとしても、あの診療所へ帰れば今度はドリトンたちがどんな目にわされるか分かったものではない。一体どうしたらいいものか。


 そう考えながらミリアが深いいきき両手で顔をおおかくすと、控えめに扉をたたく音がひびいた。

 返事をする気も起きず黙っていると、扉が静かに開けられ、紅茶や焼きせたカートを押す四十代くらいの女性が入ってきた。


 女性はダークブラウンの髪で、少し赤みがかったブラウンの瞳にメガネをかけている。服装はネイビーのシンプルなワンピースを纏い、むなもとにブローチを着けていて、使用人の中でも上位に居る人物だと分かった。


「お初にお目にかかります、ミリア様。私、ミリア様が嫁がれる日までのお世話と教育係を任されました、ロジーナ・ベイカーと申します」

「……」


 ロジーナはやさしく微笑ほほえみながら挨拶するが、ミリアからすれば誰も彼も敵に見えてしまい、さぐるように彼女を見つめた。


「ふふ、そんなにけいかいしなくてもだいじょうですよ」


 ロジーナはテーブルの上に焼き菓子やティーセットを並べて、紅茶をれながらやわらかな口調で話し始めた。


「私はここのメイド長をしています。貴女のお母さん、ナタリアさんとは昔、少しだけ仲良くさせてもらっていたのですよ」


「え……」


 若かりしころのナタリアを知る者が現れて、ミリアの警戒心が少しだけやわらぐ。それをしたようにロジーナはミリアに紅茶をすすめた。


「さあ、どうぞがって下さい」

「……いただきます……」


 ミリアはジェルマンがとつげきしてきたせいで昼食をそこねていたことを思い出し、空腹を覚えてクッキーに手をばす。


「仲良くと言っても当時私はしたのメイドで、ナタリアさんは。立場的にはナタリアさんの方が上でしたけど、年も近かったことから時々お話をさせていただいていたのですよ」


 なつかしそうに話すロジーナは、ためらいがちに聞く。


「今、ナタリアさんは……」

「母は六年前にくなりました。重傷の人を無理にして。りょくかつが原因です」

「そう……早くに亡くされて……貴女も苦労したのね」


 いつの間にかロジーナは敬語を忘れ、旧友の忘れ形見をあわれむ口調へと変わっていた。


「お願いです。私を逃がしてくれませんか」


 この人はきっと味方だ。ブルックナー診療所には戻れないかもしれないが、せめてここから逃げ出して、後から無事であることをドリトンに知らせればいい。そう考えてミリアはたのみ込む。


「……ごめんなさいね」


 困ったようにまゆ尻じりを下げてロジーナは謝った。断られて当然である。マイワール伯爵家の使用人が主人の意に反するなどできるはずはない。


「ですよね……」


「助けてあげたいけど、それだけはどうしてもかなえてあげられないわ。私にできるのは、三日間という短い期間で貴女にマナーやれい作法を叩き込むこと。残念だけどミリア様はすでに伯爵家の令嬢になってしまったの。いまごろぞくせきに入るための書類が役所へ提出されているはずよ」


「そんな……」


 まさか籍まで貴族に入れられると思っていなかったミリアはがくぜんとする。


「貴族社会でマナーや礼儀作法を身に付けずにいることは、たてよろいを持たずにいくさに行くようなものだわ。今は逃げられなくてもそのうちきっと帰れる日が来る。だから今は私の教えを受けて」


 ロジーナはしんけんな表情でミリアを見つめる。ミリアはその強いまなしに心を動かされ、とりあえず生き延びるためには彼女に従うしかないのだとかくを決めた。


よろしく、お願いします」


 ミリアがそう答えるとロジーナは優しく微笑み、「ティーカップの持ち方から身に付けましょう」とさっそく紅茶の飲み方のマナー講座が始まった。


 ロジーナはぼつらくした貴族の出であり、マイワール伯爵家で働き始めるまでは貴族令嬢としてふさわしい高等教育を受けていた。彼女は亡くなった旧友の娘のためにおのれの知り得る限りの礼儀作法やマナー、教養や貴族の常識をこんせつていねいに伝授していく。


 ミリアはほとんど部屋から出ることなく、貴族の令嬢として必要なことをロジーナに付きっきりで教わった。とうてい三日間で全てが身に付くものではないが、最終日にはずいぶんマシになったとめられた。


 そして四日目の朝、ミリアはロジーナに手伝われて身仕度を済ませると、トマソンに呼ばれて応接室へと連れて行かれたのであった。


 ロジーナにわれてミリアが応接室へ入ると、そこにはトマソンと、知らない男が座っていた。テーブルの上には何枚かの書類とペンが置かれ、何かの打ち合わせをしている様子だった。


「ミリア、こちらはヴェルサスへんきょうはくの側近であるヘンドリックス・グスターク殿どのだ」

「ミリア様、ご挨拶を」


 ミリアはロジーナに挨拶をうながされるが、なぜ私が、という気持ちが大きくなる。絶対に『ミリア・マイワール』なんて名乗るものかとそっぽを向いて黙っていた。そんなミリアに対して冷めた目で見るトマソンと、べつ交じりの視線をぶつける男。


「ロジーナ、挨拶もまともに教えられなかったのか」

「い、いえ、先ほどまではつうに……」

「ふん、まあいい。ミリア、この書類にサインをするんだ」


 ミリアの目の前に一枚の紙とペンが差し出された。『こんいんとどけ』と書かれたその用紙には、流れるような美しい文字で『ジルベスター・ヴェルサス』と署名されており、そのとなりくうらんで、保証人の欄はすでにまっていた。


 これにサインをしてしまうと一生のがれられないおりの中に入れられるような気がして、ミリアの心はそれをこばむ。


「ジェルマン」

「はい」


 なかなかサインをしないミリアにごうやしたのか、トマソンが後ろに控えていたジェルマンを呼んだ。名を呼ばれただけで主人の意を察したジェルマンはテーブルの上のペンを取り、ミリアの目の前でひざまずく。


「どうぞ、ミリア様。ミリア様が無事婚姻なさらなければ、診療所のあの方々が悲しまれますよ」

「っ!」


 これはおどしだと気が付いた。サインをしなければドリトンとタニアがどうなるか。顔に笑みを張り付けて脅しをかけるジェルマンを、ミリアはキッと睨み返してペンを受け取る。


 ジェルマンは婚姻届の空欄部分を指差し、口調だけは優しく「ミ、リ、ア、マ、イ、ワ、ー、ルと」と促した。


 くちびるみしめながらふるえる手でミリアがサインをすると、婚姻届はヘンドリックスへとわたされた。ヘンドリックスはサインを確認すると「確かに」と言ってそれをトマソンへ渡した。


「こちらは私どもの方で提出しておきましょう」

「宜しく頼みます。それではこちらがお約束のえんきんです」


 ヘンドリックスはジャラジャラと音のする重そうなかわぶくろを二つ、テーブルの上に置いた。


「今後はえんせきとして仲良くやっていきたいですな」


 そう言って、先ほどまでミリアの不作法にげんだったトマソンは、表情を一転させニヤニヤしながらそれを受け取った。その様子を見たミリアは全てを理解した。


 ――お金のために、私はさらわれて売られた! なんてきたない人たちなの! 貴族なんて! 貴族なんて!


 どうしてこんな酷いことが平気でできるのか。人を人とも思わないこのしょぎょうにミリアは怒りで震えた。それと同時にこの人たちはミリアを手に入れるためならば、ドリトンとタニアに何をするか分からないとも思った。もう二度とあの場所へは帰れない。それが悲しかった。



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