第7話 追跡の糸と第三避難区画
本部の廊下が、いつもより騒がしかった。
訓練区画が封鎖され、警備員が増え、研究員が走り回る。扉の前には「立入禁止」の赤いランプ。結界の発光が強まり、空気が硬い。
まるで建物そのものが緊張しているみたいだった。
俺は面談室――昨日と同じ長机の部屋に戻されていた。
向かいには橘局長代理、相馬、そして久世。犬飼と玲奈は俺の背後。配置は変わらない。信用されていないのも、守られているのも同時だ。
橘が開口一番、短く言った。
「報告は受けた。訓練区画に“第二出口と同系の端末”が侵入。君を狙った可能性が高い」
相馬が淡々と続ける。
「協会としての結論は二つ。
一、あなたの管理レベルを引き上げます。――具体的には“保護下仮登録”から、“特別管理対象の協力者”へ移行。
二、第二出口の封印状況を再評価し、必要なら追加封鎖を行います」
管理レベルの引き上げ。
言い換えれば、首輪が太くなる。
犬飼が小さく舌打ちした。俺の耳にも聞こえる。現場の人間は、こういう言い回しが嫌いだ。
橘は俺へ視線を向けた。
「その上で、君が言った“追跡”について確認する。残滓から相手の根へ辿れるのか」
俺は一拍置き、正確に答える。
「辿れる可能性はある。だが条件付きだ。俺の魔力を糸として流す必要がある。相手にこちらの位置情報を渡す危険もある」
久世が待ってましたとばかりに言う。
「やりましょう。研究室の隔離環境なら――」
「久世、黙れ」
橘が言い、久世は口をつぐむ。だが目は輝いたままだ。
相馬が資料をめくる。
「追跡は“やる/やらない”ではありません。あなたが追跡できること自体が、重大な能力情報です。外部に漏れれば――」
「狙われる」
俺が言うと、相馬は頷いた。
「そうです。あなたも、あなたの家族も」
家族。
その言葉が出た瞬間、俺の胸の奥が熱くなった。
「……第三避難区画。母と父がそこにいるんだろ。生存確認が三か月前まで取れてる。会わせろ」
言い方が強くなったのを自覚する。だが抑えられなかった。
五年分の空白がある。会わなければ、確かめられない。
橘はすぐに否定しなかった。
代わりに、現実を示す。
「会わせるには手順がある。本人確認は済んだが、君は今“注目されている”。訓練区画侵入は、その証拠だ。第三避難区画へ行けば、君の家族の場所も露呈する」
相馬が続けた。
「そこで提案です。第三避難区画への接触許可を“段階化”します。あなたが協会の指揮系統に従うこと、危険物管理に応じること、そして――」
視線が俺の目を正面から射抜く。
「追跡を、協会の監督下で実施すること。これが条件です」
犬飼が背後で息を呑んだ。
玲奈が微かに眉を上げる。
橘と相馬は、家族を“条件”にしてきた。
首輪が、締まる音がした気がした。
俺は目を閉じ、考える。
追跡を拒めば、家族への道は遅れる。
受ければ、相手に手札を渡す危険がある。だが、相手の根に近づけるなら、こちらが主導権を握れる可能性もある。
どちらが家族を守れるか――。
「……監督下なら、やる。ただし条件を追加する」
俺は目を開けた。
「追跡の場に、犬飼と玲奈を立ち会わせろ。研究だけの判断で動かすな。現場の判断を入れろ」
久世が不満そうに口を尖らせたが、橘が頷いた。
「了承。犬飼班が立ち会う。研究部は補助に徹する」
犬飼が小さく言う。
「局長代理、俺たち現場班は――」
「責任を負う。そういうことだ」
橘は淡々と言った。犬飼は苦い顔をしたが、引かなかった。
俺のためではない。現場の安全のためだ。
相馬が結論を読み上げる。
「追跡は本日、研究部隔離室にて実施。成功した場合、あなたには第三避難区画への“短時間・同行付き”接触許可を検討します」
短時間でもいい。
会えるなら。
「分かった」
そう答えた瞬間、久世が笑った。
「素晴らしい。では準備を――」
「久世」
橘の声が冷たくなる。
「余計な興奮を見せるな。これは実験ではなく、侵入事案への対処だ」
久世は渋々頷いた。
---
隔離室は、訓練区画のさらに外側にある“白い箱”だった。
床も壁も天井も白。角がない。空気が薄く感じるほど結界が濃い。
中央に検査台があり、その上に黒い欠片――端末の破片が置かれている。透明なケースに入っていて、刻印が何重にも走っている。
「破片は、外部との糸を持っている」
俺は犬飼と玲奈へ説明した。
説明すること自体が、試験の延長だ。情報を共有し、理解を合わせる。
「糸を辿るには、俺が“接続”する必要がある。だが接続は相手にも開く。だから――」
「一方通行にしたい」
玲奈が言う。
彼女は頭が回る。
「そうだ。一方通行に近づけるなら安全性が上がる」
久世が口を挟む。
「理論的には、結界の方向性で――」
「補助に徹しろって言われてたよな」
犬飼が釘を刺す。久世は肩をすくめ、端末を操作し始めた。
相馬がガラス越しに見守っている。橘は離れた位置で腕組み。
俺は検査台の前に立ち、深呼吸した。
異世界で学んだのは、祈りは“形”だということだ。
感情ではなく、構造。
構造を作れば、力は流れる。
「……いく」
俺は掌をケースの上にかざした。
直接触れない。結界がある。だが“糸”は結界を抜ける。糸の性質は外界の接続そのものだから。
鑑定を最大で走らせる。
欠片の中の糸が、細い光として見えた。
《接続糸:微弱》
《方向:外部(第二出口系)》
《逆流:あり》
《遮断:可能(要固定)》
遮断は可能。
要固定。固定――封杭の出番だが、ここには持ち込めない。危険物扱いになる可能性が高い。だが、俺の魔法で代替できる。
俺は無属性魔法で、空間に“弁(バルブ)”を作るイメージを描いた。
通すが、戻さない。戻ろうとすれば閉じる。
「《フォース・バルブ》」
空気が微かに鳴った。
結界の内側に、透明な膜が生まれる。目に見えないが、俺には感じる。
犬飼が呟く。
「そんなの、協会の資料にないぞ」
「異世界で覚えた応用だ」
俺は言い、次に聖魔法を流す。
聖は“浄化”と“固定”の両方を担える。悪い流れを弾き、正しい流れを通す。
「《サンクチュアリ・ライン》」
白い線が、欠片から伸びる糸に重なった。
糸が震え、抵抗する。
頭が締めつけられる感覚が増す。相手がこちらに気づいた。
『……カエリシモノ……』
声が、頭の中に落ちる。
今度は前よりはっきりしている。近い。こちらが糸を太くした分、向こうも強くなる。
玲奈が叫んだ。
「敦志、目が――!」
俺の目? 何が起きている。
だが今は止められない。止めれば、相手に主導権を渡す。
俺は歯を食いしばった。
「来るなら来い。だが――戻すな」
俺は“弁”を締める。
相手の流れを遮断し、こちらの流れだけを通す。
糸が、一本の道になる。
視界が引き伸ばされ、白い隔離室が遠のいた。
次の瞬間――俺の意識は、暗い空間に立っていた。
地面がない。天井もない。
黒い海の上に、赤い線が無数に走っている。
糸だ。接続の糸。ダンジョンの出口と出口を繋ぐ回路。
『……ツナガル……』
声が、すぐ背後で響く。
振り返ると、赤い目が浮かんでいた。
第二出口で見たものと同じだが、より近い。より鮮明。
俺は反射でシールドを張ろうとして――気づいた。
ここは“意識の層”だ。物理のシールドは意味が薄い。必要なのは、祈りの構造。
「《ホーリーシールド》……じゃない」
俺は聖魔法を“境界”に変えた。
「《ホーリー・ライン》」
白い線が引かれ、俺と赤い目の間に境界ができる。
目が笑う。
『……オマエ……ツナガル……オマエ……カギ……』
鍵。
俺が鍵?
帰還者が、出口と出口を繋ぐ鍵になる? だから俺を狙う?
俺は鑑定を叩きつけた。
意識の層でも、鑑定は動く。
《存在:回収型の本体(断片)》
《目的:帰還者の縁を固定し、出口網を拡張》
《弱点:固定された聖域》
《備考:本体は“根”にいる》
本体は根。
ここにいるのは断片。
なら、俺の狙いも根だ。断片と会話するためじゃない。
俺は糸を辿る。
赤い目の背後、さらに太い幹がある。そこへ走れば――。
『……ニゲル……?』
赤い目が迫る。
境界が押される。
頭が割れそうだ。現実の身体が耐えられるか分からない。
だが俺には、状態異常無効がある。
精神干渉を“状態異常”として弾け。弾け――!
「……効け」
俺は祈りを短く切り、境界へ力を込めた。
「《サンクチュアリ》」
白い聖域が広がり、赤い目が一瞬、たじろいだ。
この隙。
俺は幹へ飛び込む。
糸が、一本に収束する。世界が引き裂かれるように速くなる。
――見えた。
黒い渦。
出口網の中心。
そこに、赤い光の塊がある。脈打つ心臓みたいに。
根。
ここだ。
だが次の瞬間、視界の端に“別の糸”が割り込んだ。
白い糸。人の縁。
それが、根へ向かっている。
俺の心臓が、嫌な意味で跳ねた。
「……家族の縁?」
白い糸の先に、微かな輪郭が見えた。
避難区画の番号。
第三避難区画――。
なぜ、根と家族の縁が繋がっている?
『……ソコ……オマエ……ミル……』
背後で赤い目が笑う。
つまり、こいつは知っている。俺が家族を求めていることを。
俺は怒りで視界が白くなるのを感じた。
だが、怒りは罠だ。怒りで踏み込みすぎれば、向こうの思う壺だ。
俺は一度、呼吸を整え――現実の身体に戻るための糸を掴む。
「……切る」
俺は根に向かう糸へ、聖域の“刻印”を一瞬だけ押し当てた。
深くは入れない。今は情報が欲しいだけだ。深入りすれば、相手も深く入ってくる。
刻印が光り、根の輪郭が記憶に焼き付いた。
次の瞬間、俺の意識は引き戻された。
---
白い隔離室に戻ると、膝ががくっと折れた。
犬飼が支える。玲奈が俺の顔を覗き込む。
「大丈夫!? 意識、飛んでた!」
「……戻った。平気」
喉が乾いている。汗が背中に張り付く。
相馬の声が、ガラス越しに聞こえた。
「追跡、成功と判断していいですか?」
俺は顔を上げ、橘を見る。
橘の目は、いつもより鋭い。
「見えたのか、根が」
「見えた。出口網の中心に“根”がある。回収型の本体がそこにいる。ただし――」
俺は言葉を選んだ。
ここで隠せば、いずれ破綻する。情報共有が最優先だ。
「根と、第三避難区画の縁が繋がっていた。家族かどうかは断定できない。でも“第三”に向かう白い糸があった」
玲奈の顔色が変わった。
「……最悪」
犬飼が低く唸る。
「お前の家族が“餌”にされてる可能性がある」
久世が小さく呟いた。
「だから非公開なんだ……第三避難区画は、単なる避難所じゃない」
橘が腕を組み直し、静かに言った。
「結論が変わった。麒麟堂敦志、第三避難区画への接触許可を――」
相馬が即座に遮る。
「待ってください。いま動けば、相手に意図が読まれます。危険です」
橘は相馬を見た。
そして、俺を見た。
「君が会いたい気持ちは分かる。だが急げば、相手の思う通りになる。第三避難区画は、こちらが守っている場所でもある」
俺は拳を握った。爪が掌に食い込む。
「……じゃあどうする。俺は、何のために協力してる。生きてるって分かったのに、会えないのか」
犬飼が小さく言った。
「会わせるために、“安全に会わせる”準備が要る。焦るな、麒麟堂」
玲奈も頷く。
「あなたが暴走したら、家族の場所が漏れる。あなたが狙われてる以上、あなたの家族も狙われる」
分かってる。分かってるから苦しい。
橘が結論を出した。
「第三避難区画への接触は、今日のうちに“間接”で行う。直接会うのは、警護計画が整ってからだ」
間接。
どういう意味だ。
相馬が説明する。
「ビデオ通話、音声、あるいは手紙。第三避難区画の保護担当を通し、あなたが本人であることを確認させる。あなたの家族が混乱しないよう段階を踏む」
それでもいい。
声が聞けるなら。生きている実感が得られるなら。
俺は息を吐き、頷いた。
「……分かった。間接でいい。今すぐやってくれ」
橘が頷き、相馬が端末へ指示を飛ばす。
犬飼と玲奈が、俺の左右に立つ。まるで支えるみたいに。
数分後、隔離室の隣の小部屋に通された。
机の上にモニター。カメラ。スピーカー。
そして、画面の上に小さく表示される。
《第三避難区画 保護担当:接続中》
俺の心臓が、うるさく鳴る。
五年分の空白が、ここで埋まるかもしれない。
画面が切り替わり、協会の職員らしき女性が映った。
背後は白い壁。結界の光。ここも本部と同じ匂いがする。
『こちら第三避難区画、保護担当の——』
職員の声が途切れ、画面が一瞬ノイズを噛んだ。
赤い線が、画面の端に走る。
俺は背筋が凍った。
“端末”の残滓で見た赤い線と同じだ。
『……ツナガル……』
スピーカーから、あの声が滲む。
犬飼が即座にモニターの電源を落とそうと手を伸ばす。
玲奈が叫ぶ。
「切って! 切って!」
だが――切るより早く、画面が変わった。
白い壁ではない。
薄暗い部屋。
そして、そこに映ったのは――見覚えのある背中だった。
少し丸くなった肩。
昔より白髪の増えた頭。
俺が最後に見た父の背中に、似ている。
声が出なかった。
喉が、凍る。
画面の向こうで、その人がゆっくり振り返る。
目が合う。
父――かもしれない。
でも確信する前に、映像が歪んだ。赤い線が絡みつき、顔がぼやける。
『……ミセタ……オマエ……ホシイ……』
見せた。欲しい。
人質の示威。
俺は椅子から立ち上がり、拳を震わせた。
犬飼が肩を掴む。
「麒麟堂! 落ち着け!」
落ち着けるわけがない。
家族を“見せた”。狙っている。俺が動くのを待っている。
俺は息を吸い、震えを抑え、ゆっくり言った。
「……もう、遊ばせない」
俺は鑑定を最大で走らせ、画面の赤い線を“糸”として捉えた。
さっきの追跡で覚えた根の輪郭が、頭の中に残っている。
この線は――そこへ繋がっている。
「犬飼、玲奈。次は俺が糸を掴む番だ」
犬飼が低く言った。
「勝手に飛び込むな。上が――」
「上に言え。第三避難区画に触った。もう“待つ”段階じゃない」
玲奈が息を呑む。
「……そうだね。相手が先に手を出した」
画面が真っ暗になった。
電源を落としたのか、向こうが切ったのかは分からない。
でも、十分だ。
俺の中に、確かな火が灯った。
家族が生きている。
そして、敵はそれを知っている。
なら――こちらも、敵の根を叩く。
橘の足音が、廊下から近づいてくる。
犬飼が短く息を吐き、玲奈が拳を握る。
次の一手は、協会の都合じゃ決まらない。
相手が盤をひっくり返してきた以上、こちらも踏み込むしかない。
俺は暗いモニターを見つめたまま、静かに言った。
「第三避難区画へ、行かせろ。俺が守る」
聖者帰還ー行方不明の少年、地球に帰還するー あちゅ和尚 @feyfon
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