第6話 適性試験と模擬迷宮
協会の訓練区画は、本部のさらに地下にあった。
エレベーターの表示は「B4」で止まったのに、体感ではもっと深い。耳が詰まる。空気が冷たい。
扉が開いた瞬間、異世界の匂いが鼻を刺した。湿った土と、鉄と、微かな魔素。
「ここが訓練区画。通称“箱庭(はこにわ)”」
犬飼が前を歩きながら言う。昨日の本部聴取の疲れが残っているのか、目の下に薄い影がある。
「本物のダンジョンを切り取って持ってきたの?」
俺が訊くと、玲奈が首を横に振った。
「違う。人工。結界と魔素供給で“ダンジョンに似せた空間”を作ってる。モンスターは召喚体か、培養体。危険度は抑えてある」
抑えてある、という言葉に安心できないのが、現場の話だ。
想定外は必ず起きる。
通路の先に広い待機室があった。ガラス壁の向こうに、巨大な白い扉。まるで格納庫のゲートだ。扉の前には端末があり、警備員と研究員らしき人間が忙しなく動いている。
橘局長代理と相馬が、すでに待っていた。
橘はいつも通り背筋が伸び、相馬はタブレットから目を離さない。白衣の久世もいる。目が輝いていて、心底楽しそうなのが腹立つ。
「麒麟堂敦志。今日の目的を言う」
橘が開口一番、淡々と告げた。
「適性試験だ。能力の強弱ではない。“協会のルールに従えるか”と、“現場での判断が破綻しないか”を確認する」
相馬が補足する。
「試験は三項目。
一、情報共有――鑑定結果の報告精度。
二、危険物管理――アイテムボックスの使用遵守。
三、チーム行動――指示系統の維持」
俺は頷いた。
つまり、俺が“強すぎる個人”として暴走しないかを見るのだ。
犬飼が小さく言った。
「正直、上が欲しいのはそこだ。お前が“協会の枠”に入るかどうか」
玲奈も、普段より声が硬い。
「今日の結果で、家族への接触許可の進み方が変わる。焦らないで」
焦るな、が一番難しい。
だが、焦って失敗すれば何もかも遠のく。
俺は深呼吸した。
「了解。試験としてやる」
久世がニヤついて言う。
「ちなみに今日はあなたの“鑑定”を、協会標準のスキャンと照合します。どれだけズレるのか――」
「久世、黙れ」
犬飼が即座に切った。珍しい。犬飼が露骨に苛立つのは、久世の距離感が現場のそれじゃないからだ。
橘が頷き、白い扉へ手を伸ばす。
「開始だ。犬飼班、入れ」
扉が開くと、冷えた空気と一緒に、湿った匂いが溢れた。
中は通路。岩壁。天井の低い洞穴。照明は一定間隔で埋め込まれているが、光量が足りず、影が濃い。足元は土と砂利。わざと“歩きづらい”作りだ。
犬飼が先頭、俺が二番手、玲奈が三番手。後方に試験監督の協会員が二名。
俺の装備は制限されている。武器は小剣のみ。無属性貫通槍は犬飼が封印ケースで管理。ポーションも封印ケース管理。封杭は数本だけ“訓練用”として貸与だ。
首輪はきつい。だが、これでいい。
いまは“従える”ことを示す必要がある。
犬飼が小声で言った。
「第一課題。索敵。鑑定を使え。情報を俺に上げろ」
「了解」
俺は意識を研ぎ澄まし、鑑定を発動した。
視界が澄み、壁の向こうの気配が浮かび上がる。
《通路:人工作成》
《魔素濃度:中》
《罠:未設置(表層)》
《生命反応:前方 2 右壁向こう 1》
《危険度:低〜中》
俺は即座に報告する。
「前方に二体。右壁の向こうに一体。危険度は低から中」
犬飼が頷いた。
「右壁は迂回路か。玲奈、右を見るな。正面を抜く」
「了解」
俺が違和感を覚えたのは、その次だ。
鑑定の端に、微かな“揺れ”が映った。
《空間歪み:微弱》
《原因:不明》
訓練区画で空間歪み?
人工なら、そんなものは“想定外”のはずだ。
俺は犬飼へ報告するべきか、一瞬迷った。
だが迷う時間はない。情報共有が課題だ。
「犬飼。奥で空間歪み。微弱だがある。原因不明」
犬飼の足が止まった。玲奈も止まる。後方の監督二名が顔を見合わせた。
「ここで歪みは出ないはずだ」
犬飼が低く言う。
「久世の設定ミスか?」
後方の監督が通信機へ手を当てた。
『管制、こちら犬飼班。歪み反応あり。仕様外か確認を』
返事が来るまでの数秒。
その数秒で、前方の影が動いた。
岩陰から飛び出してきたのは、狼型の魔物二体。
訓練用の個体だろう。動きが単純で、殺意の密度が薄い。
犬飼が魔導具を構え、拘束弾を撃つ。
「止める! 麒麟堂、右の一体を!」
「了解」
俺は小剣を抜き、無属性で足元に力を乗せた。
「《アクセル》」
体が軽くなる。踏み込みが速い。
狼が飛びかかる。俺は半身で受け流し、刃を浅く入れる――致命にはしない。訓練だ。殺し過ぎれば問題になる。
だが、狼が地面に落ちた瞬間、黒い霧を吐いた。
「……!」
玲奈が反射で下がる。犬飼が舌打ちした。
「状態異常付与。訓練仕様にしては過剰だぞ」
俺は霧を無属性の風で散らしながら言う。
「地上侵入個体と同じ系統だ。偶然じゃない」
犬飼が狼へ拘束線を追加し、玲奈が止めの一撃を入れた。
狼は塵になって消える。訓練個体らしい。
だが――消え際に、耳元で“声”がした。
『……ツナガル……』
背筋が冷えた。
第二出口の裂け目で聞いた、あの言葉と同じ。
俺が顔を上げると、犬飼も玲奈も同じ方向を見ていた。
俺だけが聞いたわけじゃない。
「いまの……」
玲奈が呟く。
犬飼が通信へ怒鳴る。
『管制! 訓練個体から音声干渉! 仕様外だ、止めろ!』
返答はノイズ混じりだった。
『……こちら管制……歪み反応、上昇……制御が……』
次の瞬間、通路の先の空気が歪んだ。
ほんの一瞬、黒い裂け目が“点”のように開き――そこから何かが落ちた。
小さい。人の頭ほど。
しかし、落ちた瞬間に地面が焦げ、魔素が一気に濃くなる。
俺は鑑定を最大で叩きつけた。
《種別:侵入個体(未知)》
《分類:回収型の端末》
《目的:観測/接続》
《危険度:高》
《備考:地上出口(第二出口)と同系》
端末。観測。接続。
つまり、あの“赤い目”は、ここを見ている。俺を見ている。
「犬飼、やばい。これは訓練じゃない。第二出口と同系の“端末”だ」
犬飼の顔が一瞬だけ凍る。
「おい……訓練区画に繋がるはずがない」
玲奈が低く言った。
「でも繋がった。――“帰還者が本部に来たタイミングで”」
偶然じゃない。
俺を誘き寄せた。俺が協会の結界の内側に入った瞬間を狙った。
犬飼が叫ぶ。
「撤退! 監督、扉まで戻れ!」
後方の監督が通信へ怒鳴る。
『管制! 緊急停止! ゲート閉鎖!』
だが、端末が動いた。
黒い球体が膨らみ、表面に赤い線が走る。空気を吸うように周囲の魔素を集め、そして――“声”を増幅した。
『……カエリシモノ……ココ……』
玲奈が歯を食いしばる。
「精神干渉……!」
犬飼が俺へ叫ぶ。
「麒麟堂! お前、封じられるか!」
封じる。
封杭と封印具。だが封印具は、第二出口に刺したまま。本部へ持ち込んでいない。
いま手元にあるのは訓練用の封杭が数本だけ。
だが――封杭でも“場”は作れる。小規模なら。
「やる。玲奈、距離を取れ!」
俺は封杭を三本取り出し、三角形に打ち込んだ。
刻印が光り、地面に薄い円陣が走る。
「《セイクリッド・フィールド》」
白い場が立ち上がり、球体の周囲を囲む。
球体が抵抗し、赤い線が激しく脈動する。
俺のこめかみが痛む。圧が直接、脳を押す。
『……ツナガル……ツナガル……』
声が増える。
頭の中に、無数の糸が伸びてくる感覚。
繋がろうとする。俺と、どこかを。
だが俺は、握り潰す。
「繋がらせない!」
俺は無属性の力を“楔”に変えた。
封杭の場を固定する。広げない。逃がさない。
「《フォース・リベット》」
白い場が硬くなる。
球体が悲鳴のような振動を発し、表面の赤い線が途切れた。
犬飼が叫ぶ。
「今だ! 壊せ!」
玲奈が魔導具の刃を振り抜く。
同時に犬飼の拘束弾が球体へ突き刺さる。
球体が割れ、黒い霧が噴き出す。
俺は咄嗟にシールドを張った。
「《ホーリーシールド》!」
霧が膜にぶつかり、弾かれる。
だが霧は完全には消えない。霧の中に、最後の“目”が浮かび、俺を見た。
『……ミツケタ……』
そして、霧は引くように消えた。
裂け目も閉じる。
残ったのは、床に焼け跡と、砕けた黒い欠片だけ。
しばらく誰も言葉を発せなかった。
訓練区画の静けさが、逆に恐ろしい。
後方の監督が震える声で言った。
「……管制が落ちました。訓練区画、緊急封鎖。……上が来ます」
犬飼が吐き捨てる。
「上が来る、じゃない。上に叩き起こせ。これは――」
玲奈が俺を見る。
その目は責めていない。けれど、確かに問うていた。
「あなたを狙ってる。そういうこと?」
俺は正直に頷いた。
「……多分。第二出口の“回収型”と同じ。俺が戻ったことを知ってる。俺と“繋がろう”としてる」
犬飼が拳を握りしめる。
「本部の結界の内側に侵入された。笑い話じゃない。帰還者が来た瞬間に出た――偶然で片付けられん」
俺は床の欠片を見た。
鑑定をかける。
《残滓:接続端末の破片》
《性質:外界との糸》
《追跡:可能(条件付き)》
追跡。
条件付き――おそらく、俺の魔力を“糸”に流して、逆に辿る。
それは危険だ。相手に位置を渡すことにもなる。
だが、ここで手をこまねいていたら、次はもっと大きい侵入が来る。
そして、家族へ辿り着く前に、全てが壊れる。
犬飼が言った。
「麒麟堂。お前の鑑定で何が分かった。全部言え」
試験項目、一。情報共有。
いまこそ、それが問われる。
俺は息を吸い、はっきり答えた。
「回収型の“端末”。観測と接続が目的。第二出口と同系。最後に『見つけた』と言った。……さらに、残滓から追跡が可能。ただし条件付きで危険」
犬飼が頷き、玲奈が唇を噛む。
「追跡できるなら、相手の“根”に近づけるかも」
「だが同時に、相手にこちらを渡す」
俺が言うと、犬飼が低く言った。
「上と相談だ。勝手にやるな。――いいな」
「分かってる」
俺は頷いた。
勝手に動けば、首輪が締まるだけじゃない。家族への道が閉じる。
だが、確実に分かったことがある。
この地球のダンジョンは、ただ発生した災害じゃない。
俺が帰還した瞬間から、“意思”を持って動き始めている。
玲奈が小さく呟く。
「適性試験どころじゃないね」
犬飼が苦笑した。
「適性は見えたよ。あいつ、情報を隠さない。勝手に逃げもしない。……代わりに、面倒ごとを連れてくる」
「悪いな」
俺が言うと、犬飼は首を横に振った。
「謝るな。現場で守った。それだけで、価値がある。――ただし、ここから先は“協会全体”が動く。お前の首輪も、さらに太くなるぞ」
首輪。
でも、その太さの先に、家族がいる。
俺は床の焼け跡を見つめ、心の中で一つだけ誓った。
繋がらない。
繋がらせない。
そして――俺が糸を握る側に回る。
扉の向こうで、非常灯が点滅し始めた。
訓練区画の封鎖は、始まったばかりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます