第5話 本部聴取と“箱”の中身

 協会本部は、想像よりずっと“現代”だった。


 高いフェンス。監視カメラ。ICゲート。

 けれど入口をくぐった瞬間、空気が変わる。肌にまとわりつく微かな圧――結界だ。異世界の神殿に近い感触が、ここにはある。


「驚くなよ。ここは“地上側の最後の砦”だ」


 犬飼が言い、俺は黙って頷いた。


 通されたのは地下フロア。壁は白く、床は無駄に光っている。だが、要所要所に埋め込まれた金属板――刻印付きの魔導素子が、ただの建物ではないことを主張していた。


 歩きながら、玲奈が小さな声で言う。


「今から会うのは、現場の上じゃない。協会の“審査”側。あなたの扱いを決める人たち」


「決める、か」


「登録か、保護か、隔離か、……最悪は拘束」


 “隔離”という言葉が、胸の奥で冷たく鳴った。

 俺は五年間、檻の中の暮らしをしてきたわけじゃない。でも、自由がない感覚は知っている。戦場では自由は常に制限される。だからこそ――家族だけは、自由の象徴だった。


 扉が開いた。


 面談室は広い。机は長く、椅子が六脚。壁際に監視用のガラス。天井には何本ものライト――いや、結界の発光素子が埋め込まれている。


 席に座っていたのは三人だった。


 一人は初老の男。背筋がまっすぐで、軍人に近い雰囲気。

 一人は若い女性。スーツ姿だが、指先の動きが異様に落ち着いている。書類の扱い方が慣れている。

 もう一人は、白衣の男。目だけが忙しく、俺の装備と体格、呼吸の癖まで観察しているのが分かる。


 初老の男が名乗った。


「探索者協会・審査局、局長代理の橘(たちばな)だ。君が麒麟堂敦志――“行方不明者”であり、“未登録の高位魔力保持者”だな」


 若い女性が、淡々と続ける。


「同・法務調整室の相馬(そうま)。現場映像は既に複数が拡散しています。あなたは社会的に“隠せない存在”になりました」


 白衣の男が、嬉しそうに言った。


「研究部の久世(くぜ)です。いやあ、測定上限を振り切る例は久しぶりで。ぜひ――」


「久世」


 橘が一言で止めた。白衣の男が口をつぐむ。

 この部屋の主導権は橘にある。


 犬飼と玲奈は、俺の斜め後ろに立った。

 守る位置でもあり、逃がさない位置でもある。首輪の感覚が強くなる。


 橘が机にタブレットを置き、画面をこちらへ向けた。

 そこには駅前の映像が、切り取られていた。俺がホーリーランスを放つ瞬間。倒れた男にヒールをかける瞬間。大型個体を封杭で縫い止める瞬間。そして――裂け目へ封印具を差し込み、蓋をする瞬間。


「話は早い。三点確認する」


 橘は指を折った。


「一、君は本当に麒麟堂敦志本人か。

 二、君の能力と装備は、協会の管理下に置けるか。

 三、君の目的が“家族の所在確認”だという主張は事実か」


 俺はゆっくり頷いた。


「一つずつ答える。本人確認はDNAでも何でもやれ。ただし、俺の説明は長くなる。信じなくていいが、嘘は言わない」


 相馬がペンを走らせる。


「嘘を言わない、という宣誓は記録します。虚偽があれば法的措置の根拠になります」


 橘が頷き、先へ進めた。


「能力と装備。特に――“アイテムボックス”だ」


 俺の胸が一瞬だけ重くなる。


 橘は、単刀直入だった。


「無制限に物を取り出せるというなら、銃も爆薬も出せる。危険物管理の観点で、現状の君は“歩く武器庫”だ」


 正しい。

 正しいから、反論が難しい。


 犬飼が口を挟む。


「局長代理。現場では彼の装備が――」


「現場の功績は評価する。だが、功績は免罪符ではない」


 橘が即座に切った。


 玲奈が小さく息を吐く。俺も同じ気持ちだった。

 でも、ここで突っぱねたら終わる。


「俺の条件を言う前に、そっちの条件も聞きたい」


 俺は言った。


「協会は俺をどう扱うつもりだ。登録? 保護? 隔離?」


 久世が嬉しそうに身を乗り出しかけたが、相馬に視線で止められた。


 橘が言う。


「暫定措置として“保護下の仮登録”を維持。今後、正式登録の審査を進める。君が協会の指揮系統に従い、危険物管理に同意するなら――外出と現場同行を許可する」


「同意しないなら」


「隔離。もしくは拘束だ」


 言い切った橘の声には、迷いがない。

 ここが交渉の場ではなく、裁定の場であることを思い知らされる。


 俺は息を整えた。


「分かった。なら、俺も条件を出す」


 相馬が顔を上げた。橘は黙って続きを促す。


「俺は協会の指揮に従う。勝手に現場へ突っ込まない。社会に害をなさない。その代わり――」


 言葉を区切り、確実に通る音量で言った。


「家族の所在照会を進めろ。権限が足りないなら、足りる人間を動かせ。俺の協力は、その進捗と連動させる」


 犬飼が息を呑んだ。

 玲奈は、少しだけ目を細める。交渉が成立する可能性を見ている。


 橘は数秒、沈黙した。


 それから、淡々と告げる。


「可能だ。ただし、君の“本人確認”が先だ。本人確認が取れれば、家族情報の一部開示は検討できる。だが――」


 橘の視線が鋭くなる。


「家族の所在地は、協会単独で管理しているわけではない。行政、警察、そして一部は国家レベルの保護枠に入る。君が暴走した場合、家族が人質にされる可能性もある」


 俺は言葉を失いかけた。

 人質。

 それは、協会が脅すという意味ではない。そういう“現実”があるという話だ。


 相馬が補足する。


「あなたが正体不明の高位戦力として注目される以上、あなたの周辺情報――特に家族は狙われます。だから非公開になっている」


 久世が我慢できずに口を挟んだ。


「つまり、あなたが登録し、協会があなたを管理していると示せば、外部の抑止になります。社会的にも、研究的にも……」


「久世」


 橘がまた止めた。

 久世は肩をすくめるが、目だけは俺のアイテムボックスを追っている。


 橘が言う。


「よって、次だ。アイテムボックスの棚卸し。危険物の有無。禁制品の有無。協会規格に適合するかの確認」


 俺は頷いた。


「やる。ただし――勝手にボックスへ手を突っ込むな。中は俺の意識と繋がっている。無理に触れば事故が起きる」


 これは嘘ではない。

 アイテムボックスは俺の“権能”の一部で、他人が開く仕組みではない。無理をすれば、最悪、中身が散る。現代の施設でそれをやるのは危険すぎる。


 相馬が言う。


「棚卸し方法は協会側が提案します。あなたが取り出し、こちらが検査。映像記録。保全処置。必要に応じて押収」


 押収――その言葉が刺さる。


 俺は即答しなかった。

 異世界の物の中には、地球に渡したら危険なものがある。武器だけじゃない。薬も、素材も、呪物も。

 でも、俺が握り潰して隠し続けても、いずれ爆弾になる。


 だから、線引きが必要だ。


「押収は“危険物”に限れ。俺の生活物資や、個人的な記念品まで持っていくなら、協力は難しくなる」


 橘が頷く。


「合理的だ。必要なものは残す。ただし危険物の判断は協会が行う」


 交渉は成立した――ように見える。

 だが、ここからが本番だ。


 久世が笑みを浮かべた。


「では、見せてください。異世界の品。どんな化学組成で――」


「順番がある」


 俺は久世を遮り、橘を見る。


「棚卸しをする前に、確認したい。俺が“行方不明になった原因”について、協会は何か掴んでいるのか」


 橘は目を細めた。


「発光現象。失踪。同様の事例は、ダンジョン発生以前にも少数ある。だが当時は組織も制度も整っていない。君のケースは“未解決扱い”のままだ」


 相馬が言う。


「あなたが異世界へ渡ったという主張が事実なら、あなたは“最古級の帰還者”の可能性がある。だからこそ扱いが難しい」


 最古級。

 つまり、俺は例外で、前例になり得る。


 俺は息を吐き、立ち上がった。


「分かった。棚卸しを始めよう」


 別室へ移動した。

 そこは倉庫のような空間で、床と壁に結界の刻印が走っている。監視カメラが四隅にあり、中央に検査台。手袋、密閉容器、計測器。危険物処理室に近い。


 犬飼が言う。


「ここなら、事故っても結界で抑えられる」


「事故らせるなよ」


 俺は苦笑し、意識をアイテムボックスへ向けた。


 まずは“安全”なものから出す。

 協会に、俺がコントロールできると示す必要がある。


 俺は手をかざし、取り出した。


 乾いた音とともに、台の上に現れたのは――布袋。

 中身は、白い硬貨の束。異世界の銀貨だ。


 久世が目を輝かせた。


「通貨……! 合金比率は――」


 相馬が手を上げる。


「久世さん、検査は検査担当が」


 検査担当が手袋で銀貨を掴み、機器にかける。表示が走る。


「銀、純度高い。微量の未知元素……」


 犬飼が眉を寄せる。


「未知元素?」


 俺は言った。


「異世界には地球にない元素がある。俺も全部は分からない。だから危険かどうかは、慎重に」


 橘が頷く。


「次」


 次に出したのは、保存食。乾燥肉、干し果物、硬いパン。

 次に、薬草と簡易ポーション。

 ポーションは透明な瓶に入っていて、淡い光を放っている。


 久世が身を乗り出した。


「これは――回復薬? 地球の“ポーション”は希釈版しか――」


 犬飼が小さく言った。


「……現場で使えれば死人が減る」


 玲奈も唇を噛む。

 彼女は、救えるものを救う現場の人間だ。


 相馬が冷静に言う。


「医薬品は規制対象です。無許可の配布は違法。扱いを決めるまで封印保全」


 橘が言った。


「安全性検査が済むまで、使用は禁止。例外は現場の緊急時のみ、責任者判断」


 犬飼が俺を見る。


「……“責任者判断”の責任者は俺か」


「そうだ」


 橘が淡々と答えた。


 俺は内心で舌打ちした。

 つまり犬飼に負担が乗る。俺にとっては悪くないが、犬飼が潰れたら終わる。


 棚卸しは続く。

 魔石。聖銀。結界符。

 そして――武器。


 無属性貫通槍を出した瞬間、場の空気が一段冷えた。

 検査担当が触れようとして、俺が止める。


「それは俺以外が握ると危ない。魔力で反応する」


 久世が悔しそうに言う。


「反応機構がある、と」


 橘が言った。


「保全。封印ケースに入れろ」


 俺は、次に出すものを迷った。

 ここから先は“地球に出していいか”のラインが曖昧になる。


 だが、隠してもいずれバレる。

 なら、いま出すべきは――“象徴”だ。


 俺は、薄い革袋を取り出し、台の上へ置いた。

 中身は、黒い石の欠片。小さな結晶。魔王級の魔力反応を持つ核の破片だ。


 玲奈が息を呑んだ。


「それ……さっきの大型の残り?」


「違う。異世界で倒した、魔王軍幹部の核。……危険物だ」


 久世が目を見開いた。


「魔王軍幹部!? それは――」


 橘が手を上げる。


「危険物レベル、最上位。封印保管。絶対に一般には出すな」


 検査担当が震える手で封印ケースを持ってきた。

 俺は自分で核片を入れ、蓋を閉じた。刻印が光り、封がされる。


 橘が俺を見た。


「君は危険性を理解している。そこは評価する」


 相馬がタブレットを見ながら言う。


「現時点の結論。あなたは協会管理下で“仮登録を継続”。正式登録審査に移行。アイテムボックスの中身は段階的に棚卸し。危険物は封印保全。あなたの所持は――原則認めない」


 俺は頷いた。


「分かった。ただし、現場で必要になる物はある。ポーションも、封杭も。全部取り上げられたら、また地上侵入が起きた時に困る」


 犬飼が橘へ向けて言う。


「局長代理。現場判断の余地を」


 橘は短く答えた。


「犬飼班の装備として預かる。使用は犬飼が責任を負う。麒麟堂は許可なく使用しない。違反すれば拘束」


 首輪が一段きつくなった。

 それでも、完全に取り上げられるよりはマシだ。


 棚卸しの最後に、俺はあえて“個人的なもの”を一つ出した。

 小さな木彫りの護符。異世界で最初に助けた村の子が、礼にくれたものだ。


 久世が首を傾げる。


「それは……?」


「危険物じゃない。俺の……記念品だ」


 橘は一瞬だけ視線を和らげた。


「それは持っていていい。人間の物だ」


 その言葉に、妙に救われた。

 協会は冷たい組織だと思っていたが、少なくとも橘は“全部を奪う”タイプではない。


 棚卸しが一区切りついた頃、相馬が部屋の端で通信を受け、表情を変えた。


「……本人確認の速報が来ました」


 俺の背筋が伸びる。


 相馬は橘へ近づき、小声で報告する。橘が頷き、俺へ向き直った。


「麒麟堂敦志。DNA照合が取れた。君は本人だ」


 胸の奥が、じわっと熱くなった。

 俺は俺だ。やっと、地球でも認められた。


 橘が続ける。


「よって、君の家族情報の一部開示を進める。今すぐ全部は無理だが――」


 相馬がタブレットを操作し、画面を俺へ向けた。


《家族:母 麒麟堂 〇〇》

《家族:父 麒麟堂 〇〇》

《状態:生存確認(最新:3か月前)》

《所在:保護枠(非公開)》

《備考:第三避難区画》


 三か月前、生存確認。

 生きている。生きている――。


 俺は、息を吸うのも忘れていた。

 五年間、異世界で必死に“帰る理由”として握ってきたものが、ここで初めて形になった。


 犬飼が俺の肩を軽く叩いた。

 玲奈は何も言わないが、目が少しだけ柔らかい。


 橘が言う。


「次の段階へ行く。第三避難区画への接触許可は、君の行動評価次第だ。協会の指揮に従い、社会的に問題を起こさず、――そして」


 橘は一拍置き、重く言った。


「今日、封印した“第二出口”。あれは不安定だ。封印具は仮の蓋に過ぎない。いつか、また開く。その時、君の力が必要になる」


 俺は頷いた。

 それが首輪だと分かっていても、俺は拒めない。


 家族が生きている。

 なら、次は会うだけだ。


「……分かった。協会に協力する。家族に会うために」


 橘が短く頷く。


「よし。麒麟堂敦志、正式登録審査開始。まずは――」


 相馬が資料をめくり、淡々と告げた。


「“適性試験”です。協会のダンジョン訓練区画で、同行班と模擬探索を行います。あなたの能力は強い。ですが、協会のルールに適応できるかを見ます」


 犬飼が苦い顔をした。


「……明日からか?」


「最速で。本日中に、訓練区画の予定を押さえます」


 俺は視線を落とし、仮登録証を握りしめた。

 首輪は確実に締まっている。だが――道は見えた。


 家族の生存確認。第三避難区画。

 そこへ辿り着くための条件が、いま提示された。


 そして、もう一つ。


 裂け目の奥の赤い目。

 『ツナガル』という言葉。

 あれは偶然じゃない。俺を狙っている。


 俺は、アイテムボックスの奥に眠る封印具の“重さ”を思い出した。

 この世界のダンジョンは、ただの災害ではない。


 ――帰還者を、呼んでいる。


 そんな予感が、胸の奥で消えずに残った。

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