02.猫、虎を覗き見る


 指定された場所に来れば、この街にこんな屋敷があったのかと思うほどの古風かつ大きな屋敷があった。不安はより大きくなる。

 一等地の眺めのいい立地にあるヤクザの家なんて、絶対にいいことはない。この家は、色んな匂いが混ざっていて、人の出入りが多いのが分かる。それに嗅いだことのある鉄分の多い匂いに、ため息をついた。何の匂いが口にしたくない。家から漂っていい匂いではない。

 血の匂いを嗅いで、ため息がでる。

「ゆずはさん、こんにちは」

「わっ!? こんにちは」

 城さんが後ろに立っていた。糸目でにっこりと微笑み、ハーフアップの金髪は派手に見える。気配を消すのがうますぎる。そして、この人はあまり匂いがない。個人の匂いを消してるように思う。でも微かに個人の匂いは残るもので、柚子の香りがする。

「逃げずにきてくれてよかったです♡」

「ははは、そりゃもう……」

「ちょっと緊張が緩みましたね。さぁ、お入りください」

 重そうな門が開くと、石畳の美しい道が開かれた。そして両側に日本庭園があり、手入れされた松の木が目に入る。爽やかな草木の匂いに一瞬、癒されるが城さんに腕を絡まれる。距離感の近さに戸惑いながら、玄関まで連行される。

「食べやしないんだから、どうぞ」

 引き戸を城さんが明ける前から分かる。扉の向こうには――――。

「「「「「お疲れ様です」」」」」

 数えたくない人数に出迎えられる。皆が皆、顔つきが悪いわけではない。ただ、ただ圧倒される。城さんに向けられる視線で、この屋敷内では逆らってはいけないことが明確となった。下手なことをせず、さっさと片付けて帰りたい。

「この廊下、まっすぐ歩いて突き当たりの部屋でお待ちください」

 城さんが指をさす廊下に歩き出す。大きな屋敷というものは、奥行きがあり様々な部屋があるらしい。大きいのだから、当たり前だと言われたらそうだ。

 あまりにも自分がこの屋敷から、浮いている。

 沢山の部屋を通り過ぎ、障子の向こう側に目を逸らして突き当たりの部屋が見えてきた。それと同時に、女性の声が聞こえてきた。

「あっ、やっ……」

 甘い声が廊下に響く。それは、分かりやすい声だった。近づくにつれ、その声は熱を帯びていく。部屋の前に来て、この部屋の中から聞こえてることを認めざるおえなかった。

 開けたくない、本当に開けたくない。体験したことのないそれは、他人が見るべきではない。目を逸らしたいが、ここで待てと言われてる。女性の声だけを耳が拾ってしまう。障子に手をかけるのも躊躇う。

「……」

 悩んでる間に、勢いよく障子が開く。上半身裸の男性が出てきた。路地裏で出会った、あの怖い人だ。汗ひとつかいておらず、眉間には皺がよっていて不機嫌そうだ。黒髪のオールバックから、二、三本毛がでている。

「覗き見が趣味なのか、お前」

「いやいや……」

 あっ、この人、確かボスじゃ……と言葉を選んでると誰かが走ってくる音がした。ふわっと舞う匂いで、城さんだと分かって安心する。私たちはすぐに走ってくる城さんに視線を移した。

「この部屋でしてたんですか、ボス」

「してない。勝手に喘ぎ始めた」

 後ろを指差す仕草をするので、部屋を覗くと大きな畳の部屋だった。部屋の真ん中で女性が倒れている。気絶しているようだった。部屋から漂う匂いは、全く甘くない。そういった行為をした後って、もっと、いや、知らないのだからもう追求はしない。

「城、雇うのか」

「えぇ。たまには外部の風を入れようと思いまして」

「何もできないだろう」

 そのひと言が、何故か突き刺さった。低く少し掠れた声で言われたせいだろうか。ボス、と呼ばれる人は私を再び見た。

「早く抜け出せよ」

 その瞳に、動揺する。初めて顔をちゃんと見たせいか、端正な顔つきに驚く。私の表情や仕草を一通り見て、彼は去っていった。

「うちのボス、西元琥珀はいい男でしょう」

 見惚れていたせいで、城さんの声に驚く。反応が遅れて、言葉が出てこない。そんな様子を楽しそうに城さんは見ていた。この人は、何を考えているのだろうか。



「ようこそ、カサイグミへ!」

「カサイグミ……」

 コンビニで新発売のグミであればいいが、そうじゃないと知っている。もう城さんは、隠す気はないらしい。部屋にいた女性は、運び出されていった。その後、部屋に通されて城さんと向き合って座っている。

「夏に西と書いて、夏西組です。ゆずはさんのお気づきの通り、ここは悪い人をやっつける会社ですね」

「ははは、そうなんですね」

 とりあえず笑っておけばいい。十代でこの技を覚えている自分が悲しいが今は役に立っている。

「まぁ、悪い人というより存在?かな。そんなことは置いといて、ゆずはさんの業務に関して発表しますー!」

 テンションとリアクションが分からない城さんの発表を待つ。私ができる範囲のことであればいいと願う。私を見つめながら、発表を焦らしていた城さんは口を開いた。

「簡単な料理補助をお願いしたい」

「りょうりほじょ……」

「いつもお世話になっているお宮さんがご高齢だからね、それを手伝っていただきたい。

 月水金の放課後に屋敷に来て、手伝いが終わったら帰ってもいい」

 給料とか福利厚生は、と話し続ける城さんに悟られないように安堵した。思っていたより、まともな業務内容で安心する。料理は嫌いではないし、放課後であれば学校にも影響は出ない。

「分かってると思うけど、逃げないでね? 君はあれを見たのに生かしてるのはボスの優しさだから」

 城さんの声色が一瞬で変わる。表情は変わってないのに、先ほどよりも言葉が体に浸透した。今、声を出せば震えてしまう。

「はい」

 最低限の返事をすれば、労働契約書が出てきた。先程、城さんが説明した内容が書き連なっている。最後に、『本業務内については他言無用とする』というひと言が付け加えられた以外は、教えてもらった通りだった。

 黙ってサインをする。書き慣れた『中川柚葉』を書き終えると、一瞬、目の前が真っ白になる。雷が落ちたかと思い、後ずさりするがすぐに戻った。

「はい!ありがとうね、明日からよろしく。今日は見送りさそるから」

 城さんは、何も動じていない。私が怯えていたから、そんな感覚に陥っただけだろうか。深呼吸して、精神を整える。契約書、それは気軽にしてはいけないとその時の私は気づいていなかった。

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虎は子猫を愛せない 山猫ひばり @san4rou

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