虎は子猫を愛せない
山猫ひばり
01.猫、虎に出会う
初めて見る拳銃は、本物だろう。嗅いだことのない匂いが漂っている。
「見たのか」
私の視線に気づいた男が振り返る。傘で遮ってももう遅い。
幼い頃、学校の帰り道は寄り道をしては行けないと言われていた理由が分かった。ふと覗いた路地裏で、雨が降っていても平然としている人がいた。
話しかけられて動揺しながら、後ろに下がる。
見たか、と尋ねられた。答えることはできないが、見てはいけないものを見たのはわかっている。
男の近くに何が横たわっているのも、見てしまった。
後ろに下がれば、何かにぶつかる。かたい壁ではなく、傘をゆっくり下ろせばスーツの男だった。
「詰めが甘いですよ」
私の後ろに立つ男は、もう一人に声をかけた。
「子どもみたいに夢中だった」
返事をした途端、私の傘は奪われて口を手で塞がれた。鼻でしか息ができず、苦しさを感じる。
「お嬢さん、大丈夫ですよ。お利口さんにしていれば」
拒むことができない状況で頷けば、ゆっくりと体を右に回るように促される。先ほどはなかった黒塗りの車があり、扉が開かれている。
路地裏から男が車へと歩きだす。顔には傷があり、堅気には見えない。毛先がうねっているのか、そういう髪型なのか分からないが声よりも若く見える。
私とは目を合わせない。
「城、子どもだぞ」
「子どもだから、より分からせないと」
私の手を抑え続ける男は、しろと呼ばれていた。城という男の言葉に、ため息をついて先に車に乗り込んだ。ゆっくりと顔を見上げると、にっこりと微笑まれる。
「うちのボスは優しいね。さあて、少しお話をしようか」
私の人生、終わった。最後に嗅いだ匂いが硝煙だなんて、本当についてない。
「はい……」
情けない返事は、雨音でかき消された。
どこか怪しい場所に連れて行かれると思っていた。意外に案内されたのは、ファミレスでほっとする。
「顔に全部出てますよ、あなた」
微笑んで向かいに座る城さんの声に緊張した。言われるがままに保険証、学生証を見せると城さんは鼻で笑った。
「いい学校ですね。賢いんだ、ゆばさん?」
「ゆうは、と呼びます………」
目を逸らしながら答える。早く終われと念じながら、無事で済むかどうか不安しかない。
「うちでアルバイトしましょう」
「えっ?」
「人手不足なんですよ、うちのく、いや、会社は。お試しで様子見て信用するか決めます」
いいでしょう、と返事を促される。こんなにヤクザには見えない人がヤクザなんだと、社会の広さを知る。うちの組って言いかけていたことを聞き漏らしてはいない。
「わかりました」
まだ生きれるのであれば、と私はその条件を飲んだ。城さんが、頼んだ珈琲の香りが『まだ死んでない』と分かる証だった。
「じゃあ、明日からここに来てください」
無理やり交換させられた連絡先から、地図が共有される。簡単なアルバイトの内容と時間についてもメッセージが送られてきた。
『逃げないように』という念押しのメッセージも一緒にきた。喉がきゅっと締まる。
「じゃあ、またね」
爽やかにそう言って、千円札だけ置いて帰ってしまった。後ろ姿を見送りながら、私にはまた一つ隠し事ができてしまった。
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