第29話 森に潜む疑念

森は静かだった。

 朝の霧がまだ木々の間を漂い、枝葉の間から淡い光が差し込む。

 だが、その静けさの中に、不穏な気配が潜んでいた。


 境界では、北方連邦との合同訓練で連携が深まったばかりだった。

 しかし、王国は依然として影を潜め、内部に小さな疑念を撒こうとしている。


 「……最近、誰か様子がおかしい」

 若い兵士の一人がつぶやいた。

 仲間の間で、微妙な視線のずれや、言葉に含まれる不安が増えていた。


 焚き火のそばに座る住人たちは、小さな亀裂に気づきつつあった。

 食料の配分や見張りの順番で、些細な誤解が生まれる。


 「誰かが、情報を漏らしているかもしれない」

 小声で、ある年長者が言う。

 その瞬間、森に緊張が走る。

 疑念の種が、心の中で芽吹いた。


 私は深く息をつく。

 王国の策略は、直接的な攻撃ではなく、心理的な揺さぶりだ。

 小さな不安を積み重ね、互いの信頼を崩そうとしている。


 集会を開く。


「王国は、内部に疑念を植え付けようとしている」

 声を張る。「私たちは、それに乗ってはいけない」


 若い兵士が拳を握る。


「でも、誰も信じられなくなったら……」


「それこそ王国の狙いだ」

 私は森の奥を見つめながら言う。「疑うのは自然だ。しかし、それに支配されるな」


 セラも隣でうなずく。


「小さな事件や噂が、心の中で大きくなっているだけ。冷静に確認すれば、何も問題はない」


 住人たちは徐々に落ち着きを取り戻すが、緊張は消えない。

 森の影が、心理的な圧力を増幅しているようだ。


 午後、警戒巡回を行う中で、小さな事件が発生した。


 見張りの一人が、食料の倉庫で不審な動きを発見。

 調べると、物資の位置が微妙に変わっていたのだ。


 「誰だ?」

 兵士が声を荒げる。


 私は歩み寄り、手を置く。


「冷静に」

 物資の位置の乱れは、偶然の可能性もある。

 しかし、王国の工作員が仕組んだものかもしれない。

 だからこそ、怒りで判断してはいけない。


 住人たちは互いを見つめる。

 疑念が一瞬広がるが、私はゆっくりと声をかける。


「互いを信じろ。証拠が出るまでは、誰も責めるな」


 小さな沈黙の後、住人たちは頷く。

 王国の策略は、完全には通じていない。

 だが、警戒心はさらに強まった。


 夜、森の中で住人たちは再び焚き火を囲む。

 互いの表情を確認しながら、信頼を再確認する。


 セラが静かに言う。


「王国は、疑念という刃を使うのね」

 しかし、その刃は、私たちの結束で跳ね返せる。


 私は焚き火の炎を見つめる。


「これからも小さな揺さぶりは続くだろう」

 森の風が枝葉を揺らす。「だが、境界は揺るがない」


 若い兵士が微笑む。


「互いを信じる力で、王国の策略にも耐えられるんですね」


「その通りだ」

 私は答える。「小さな疑念はあっても、結束は揺るがない」


 その夜、森の中で住人たちは静かに眠る。

 警戒は続くが、互いを信じる安心が広がっていた。


 王国の影は森に潜む。

 だが、境界の灯は消えていない。

 小さな刃や心理戦も、結束の炎には届かない。


 森に潜む疑念は、逆に境界の絆を試すものとなった。

 揺るがない結束こそが、これから訪れる大きな試練に耐える力となる。

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