第17話 揺らぐ王国

王都の会議室は、重苦しい沈黙に包まれていた。

 長机の上に広げられた地図には、赤い印がいくつも打たれている。その中心にあるのが、森の奥――“境界”と呼ばれ始めた場所だった。


「三度目の進軍も、進展なし……か」


 低く呟いたのは、軍務大臣だった。

 報告書を読み終えた彼の顔には、苛立ちと焦りが混じっている。


「撃破はおろか、中心部への侵入すら叶わず。しかもこちらの損耗は無視できない数です」

 参謀の一人が淡々と続けた。「あれは、もはや森の盗賊団ではありません。組織化された武装勢力です」


 会議室がざわめく。

 “武装勢力”という言葉が持つ意味は重い。それはつまり、王国の統治外に存在し、なおかつ抗う力を持つ集団ということだ。


「中心にいるのは、あの追放令嬢なのだろう?」

 別の貴族が、疑念と苛立ちを滲ませて言った。


「確認されています」

 参謀が頷く。「現地の兵の証言は一致しています。指揮を執っているのは一人の女性。判断が早く、部下からの信頼も厚い」


 その瞬間、王の指が机を叩いた。


「……愚かな判断だったな」


 誰に向けた言葉なのかは、誰も分からない。

 だがその場にいた全員が理解した。

 追放という“静かな処理”が、最悪の結果を招いたのだと。


「力を持つ者を切り捨てた結果がこれだ」

 王はゆっくりと立ち上がる。「今や彼女は、王国の外で人を集め、信頼を築き、剣を向けている」


 沈黙。

 それは否定できない事実だった。


「……では、どうなさいますか」

 軍務大臣が問う。


 王は窓の外、王都の街並みを見下ろした。

 民はまだ、この事態を知らない。だが、時間の問題だ。噂は広がり、やがて“王国が制圧できない勢力”の存在が知れ渡る。


「武力だけでは、もはや遅い」

 王は静かに言った。「だが、放置もできん」


 その言葉に、数名の貴族が視線を交わす。

 ここから先は、軍事ではなく政治の領域だ。


「交渉……という選択肢は?」

 若い文官が、慎重に口を開いた。


 即座に反発の声が上がる。

「追放者と交渉だと?」

「前例がない!」

「王権が揺らぐ!」


 だが、王は手を上げてそれを制した。


「前例がないからこそ、危険なのだ」

 視線は鋭く、冷静だった。「力で潰せなかった事実は、すでに王権を傷つけている」


 会議室の空気が、一段階変わる。

 誰もが気づいた。

 “境界”は、もはや軍事問題ではなく、国家の威信そのものに関わる存在になったのだ。


「ただし」

 王は続ける。「交渉は最後だ。その前に、内部から崩す手段を探る」


 その言葉に、参謀が小さく頷いた。


「情報戦、ですね」


「そうだ」

 王は断言する。「境界に集まる者たちの弱点、人間関係、資源。すべて洗い出せ。あの令嬢が“象徴”である限り、そこを揺さぶれば組織は揺れる」


 同時刻。

 境界では、焚き火を囲んで静かな夜が訪れていた。


 負傷者の手当てが終わり、見張りが配置され、人々は短い休息を取っている。

 私は火を見つめながら、胸の奥に微かな違和感を覚えていた。


「……来るわね」

 誰に言うでもなく、呟く。


 セラが隣に座り、頷いた。「軍事じゃない動きが、次は来る」


「ええ」

 私は目を閉じる。「噂、分断、誘い……王国は必ず、内部を狙ってくる」


 それでも、恐怖はなかった。

 覚悟がある。


「でも」

 セラが微笑む。「それは、私たちが“揺さぶる価値のある存在”になった証でもある」


 私は小さく笑った。


 王国が危険視し、対策を練るほどに、境界は確かに世界に存在している。

 消されるだけの場所ではない。

 交渉か、敵対か――選択を迫る存在になったのだ。


 焚き火の火が、静かに揺れる。

 この先、さらに厳しい道が待っているだろう。


 それでも私は、はっきりと分かっていた。

 もう、後戻りはしない。


 境界は、揺らがない。

 たとえ王国そのものが、揺らぎ始めていたとしても。

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