第3話 殻
白い湯気が、静かに立ちのぼっていた。
雪でも霧でもない。
鍋のなかで、何かが煮られている。
畳の隅で、少女は顔をそむけている。
言葉はない。
けれど、その目が、すべてを言っていた。
婆さまは黙って、糸をとる道具を手にしていた。
右手は繭を針で裂き、
左手はほぐれた糸を巻き取る。
機械の音はない。
すべてが手で行われていた。
「……まだ、生きてたのに」
少女が、ぽつりとこぼした。
婆さまは、ほんの少しだけ手を止める。
糸は、まだ指先に絡んでいる。
「生きてるから、糸がとれるのよ」
乾いた声だった。
湯気の向こうで、目は見えなかった。
少女の指が、針先のすぐそばで止まった。
触れそうで触れない距離で、しばらく震えた。
それでも少女は、針を奪わなかった。
わたしは──
そのやりとりを、繭のなかで聞いていた。
いや、聞いた気がしただけかもしれない。
熱い水の音が、すこしずつ、わたしの殻を打つ。
あたたかくて、やわらかくて、逃げ場のない白。
あたたかさは、いつも味方ではない。
葉を置いたぬくもりと、同じ温度で、
世界はわたしをほどいていく。
外から伸びてきた手が、わたしの殻にふれた。
とても細くて、とても震えていた。
怒りでも憎しみでもなく、
もっと深い、名前のないもの。
夜。囲炉裏の赤い火のそばで、婆さまがつぶやいた。
「私は食べて、話して、生きた。
……でも、子だけは産めなかった」
それは誰に向けた言葉でもない。
時間の向こうへ落ちていく、独白みたいだった。
少女はうつむいていた。
膝の上で指が、強く結ばれていた。
外では、雪がまた降り始めていた。
わたしには声がない。
それでも、わたしは知ってしまった。
生かす手と、奪う手が、
同じ形をしていることを。
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