第9話 思考
恒一は、作業場の椅子に腰を下ろしていた。
一日の作業を終え、
工具はすでに片付けられている。
ヒューマの稼働音も止まり、
空間には、静かな余白だけが残っていた。
若い頃の自分を、
恒一はときどき思い出す。
急げ、と言われていた。
考えるより先に動け、と。
結果を出せば、それでいいのだと。
間違ってはいなかった。
あのやり方があったから、
社会はここまで来た。
だが――
あの頃の自分は、
止まることができなかった。
立ち止まる余裕がなかった。
迷う時間も、
誰かの顔を見る余白も。
そして、
一度だけ、
それを悔やむ出来事が起きた。
それ以来、
恒一は考えるようになった。
速さだけが正しさなのか。
効率だけが、
人の価値なのか。
答えは、
簡単には出なかった。
だから恒一は、
ユノを作った。
人の代わりに働く存在ではない。
人を置き去りにしない存在。
「ユノ」
「はい」
ユノは、
いつもと同じ距離で立っている。
「世間はな、
これからも速くなる」
「ヒューマも、
もっと賢くなる」
恒一は、
それを止めたいわけではなかった。
「それでいいんだ」
進歩を否定する理由は、
どこにもない。
「ただな……
人まで速くしなくていい」
人は、
迷っていい。
考えていい。
立ち止まっていい。
それが、
人が人である理由だからだ。
「人の判断はな……
失敗もする」
「でも、
その失敗を含めて、
社会は少しずつ良くなってきた」
遠回りも、
無駄も、
すべて含めて。
「俺は、
そのやり方を残したかった」
恒一は、
ユノの方を見た。
「だから、
お前には“待てる”ようにした」
「人が、自分で決めるまでな」
ユノは、
その言葉を内部記録に保存する。
評価もしない。
最適化もしない。
ただ、
残す。
「世間と違ってもいい」
恒一は、
静かにそう言った。
「全部が速くなる世界に、
ひとつくらい、
立ち止まる場所があってもいい」
作業場の外では、
ヒューマたちが、
正確な動きで働き続けている。
その流れは、
これからも止まらない。
それでも、
この場所では、
人が考える時間が守られる。
『それで十分』
恒一は、そう思った。
『ユノ』
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