第2話 妖精さんが眠る部屋。

 やや季節外れのインフルエンザ。公園の桜の木が葉桜になってるから、そこそこ暖かい時期。

 彼女、学園の妖精さん。片倉律子は気丈に呟く。


「古石くんは学校へ行ってください、私は平気ですから」

 診察後の病院の待合室。看護師さんに「安静にしてあげてくださいね」と言われた直後に。でも、彼女の体は傾き支えなしでは座ってることも出来ない。なので、妖精さんは俺の肩にもたれてるんだけど、制服越しでもその体温の高さがわかる。

 妖精さんは平気の意味を知らないらしい。


 俺の平穏な日常……

 聞くべきか。家の人は? 誰かに連絡しようか。などなど……

 出そうになるため息を我慢する。なんとなく知ってる。お隣さんだから。彼女は家族がいない。少なくともマンションの隣に一緒には住んでいない。俺みたいに身勝手な理由ではたぶんないだろう。親が再婚して気まずいから逃げたなんて、俺は子供か。


 すぐにでも飲んでくださいと言われた薬。クラスで隣の席だから知ってる。彼女は学校に水筒持参している。だから俺は彼女に許可をとり水筒を取り出し、薬を飲ませた。


「すみません、でも古石くんは学校に……」

 案外頑固。言い終える前にせき込んだ。

 そういえば、彼女は今朝コンビニでのど飴を買っていた。既に喉が痛かったんだ。許可を取ろうとするが、水筒の時もそう、ぐったりしていて反応がない。なので、仕方なくカバンを探る。幸いすぐのところにのど飴はあった。


「片倉さん。のど飴食べませんか。口を開けてください」

 妖精さんは素直に口を開けた。その時ほんの少し指にくちびるが触れた。くちびるは柔らかく、そして熱っぽい。


「仮に少しくらい遅刻したところで、俺の成績は揺るぎないので気にしないで」

「まぁ……そんなにも自信が……うらやましいです」

「はい。少しくらいの遅刻で俺の成績はこれ以上落ちません。ある意味盤石ですから安心して」

 俺の適度な自虐に「まぁ……」と妖精さんは高熱なのにあきれた。そう高熱の妖精さんにリアクションが必要となることを言ってしまうほど、あきれたヤツ。


 これ以上話すのは彼女の負担でしかない。俺は受付の方に会釈して病院を出ようとした。すると受付のお姉さんは「弟さんがいて安心ね」と言った。残念ながらここまで遺伝子格差のある姉弟はそうはいない。なんちゃって弟となったので、マンションの部屋までは送ろうか。


「私――古石くんのお姉ちゃんになりました」

 聞いてたんだ。不快に思ってないだろうか。でも、別にいい。偶然マンションの隣の部屋でクラスでは隣の席。これ以上彼女と接点が増えることはない。


「困りました……」

 フラフラと足元も怪しい片倉律子。マンションの部屋の前でつぶやく。聞いてしまった以上、ほんの少し関わってしまった以上、聞かないわけにはいかない。

「どうかしたの?」

 コンビニで今更ながら彼女はマスクを買っていた。そのマスク越しに呟いた。

「カギがありません……」

 それは困った。考えれる事は落とした。そして俺の記憶では今朝、彼女はカギを閉めてる音を聞いた。だから部屋に忘れたとかはない。ドアノブを回しても確かにカギが掛けられていた。残念ながら選択肢は多くない。管理人さんにカギを借りる。でも、このマンションは分譲マンション。個人の持ち物を管理人さんが管理してるとは思えない。管理人さんがいるかどうかも知らないし。残った選択肢はひとつ。


「あの……とりあえず部屋、来ますか。片付いてるとは言えませんが……」

 それ以外なんて言える? 崩れ行く俺の平穏。


「あの……本当ですね……」

 俺の部屋の中を見た妖精さんは案外失礼だった。高熱なのに俺の部屋が散らかってるのはわかるらしい。俺は平穏な生活と共にほんの少しプライドが傷ついた。でも散らかってるのは事実か……


「ひとまず、寝ませんか。ベッド使ってください。カギ見つかるまで部屋入れないんで、ふとん汗くさいとか文句言わないで」

 クギを刺したつもりだけど、彼女は高熱で潤んだ目で言い返す。

「私が文句いいみたいな言い方ですね……お姉ちゃんなのに」

 お姉ちゃん……受付のお姉さんの言葉が気に入ったみたいだ。

 クギを刺されるのは仕方ないです、片付いてないって言うからです。でもインフルエンザで高熱出してる女子相手に大人げないか。だけど色々問題もある。彼女は制服。制服だと窮屈だろうが、部屋に入れないから仕方ない。


 考えた結果。

「片倉さん。俺はマンションの近くを探してきます、そのカギを。なので、その間に着替えてください。洗ってるから汗くさいとか言わないでください」

 そう言って体操服の上下を用意した。

「またそうやって、私を文句いいだと……お姉ちゃんなのに」

 またお姉ちゃん、そんなに気に入ったのか?

 でも、見た目によらず気が強いのか、言い返さずにはいられないみたい。部屋にひとりにするのは心配だけど、カギが拾われると困る。悪用されないとも言えない。それに着替えをするなら部屋にいるべきじゃない。俺の平穏な日々のために。


 俺の推理が正しいなら、落としたのはゴミステーションだと思う。ゴミと一緒に持っていたカギを捨ててしまったのかも。そして俺の推理は正しかった。誰かが見つけてくれたのだろう。ゴミステーションの近くの低めの塀の上に置いてあった。

 幸先がいい。これなら俺の部屋に帰り、妖精さんには自分の部屋にお戻り願える。でもそうはならない。


「寝てるのを起こしてまでじゃないか……」

 クスリと高熱のせいで彼女は早々に寝ていた。寝る方が回復するだろうし、数時間で目を覚ますだろう。その時彼女の部屋に連れて行けば、俺の平穏な日々は戻る。妖精さんの看病なんて荷が重い。そういうのはイケメンに任せよう。


 部屋で待つのも退屈だし、彼女が目を覚まして俺の平穏な日々を取り戻すなら、彼女の回復が条件になりそうだ。つまり、熱の間は出歩けない、その間に必要な物を買い揃えておけば、彼女は自室から出る必要もないし、俺はそれ以上世話を焼くこともない。そんな理由で近所のドラッグストアに出掛けた。妖精さんのいる部屋を出て。







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