あの時私も死ねばよかった
板垣鳳音
第1話
※本作には、地震描写および、緊急地震速報、津波の描写がございます。閲覧の際は、予めご了承いただきます様、お願い申し上げます。
太陽は西日に差し掛かってきたというのに、アスファルトがじりじり音を立てて溶けそうになるほどの酷暑が続く七月。吹く風は、もはや乾燥機のような熱風で、日差しと熱風で滝のような汗が流れ、まるで砂時計の砂が落ちるように体力の消耗が激しかった。暑すぎると、夏の風物詩といえる蝉の声も聞こえず、人間も動物もただ熱中症にならないよう、殺人的な夏を生き抜こうとしているような生への執着のようなものを感じる。
私、祥子と親友の美紗は、今日も相変わらず放課後になると自然と集まり、談笑しながら帰路に着いていた。「保育園に通っていた時なんて扇風機で夏を過ごせたのに」だとか、「夏休み前の球技大会のクラスTシャツがもうすぐ届くらしい」など、途中の自動販売機で購入したスポーツドリンクを喉に流し込みながら語っていた。
高校は小高い土地にあり、通学路は緩やかだが長距離の坂道を歩いて行かねばならない。道路の両側には、延々と続くように錯覚する雑木林があり、頭上の太陽に向かって手を伸ばしているかのように木々は背高く立ち並んでいる。少し行った先には橋が掛かっており、雑木林の下には、橋に続くようにゴツゴツした岩が不規則に転がっている川が流れている。水量は少ないが、シーズンになると釣り人がそこらじゅうに目当ての魚を釣ろうと必死で竿を握っている光景が見られる。その川は、二キロ先の日本海へと合流していく。
親友美紗とは、道路を挟んで家が向かい同士で、保育園の頃から仲が良く、どこに行くにもなにをするにも一緒だった。今年一緒の高校を受験し、見事二人で合格し、念願だった高校へ一緒に進学することができた。残念ながらクラスは離れてしまったが、それでも登下校は一緒で、帰宅後には必ずと言ってもいいほど、どちらかの自宅に遊びに行く。容姿が良く、何をやらせても完璧にこなすことができる彼女と自分を比べるつもりはなくとも、嫌でも比較してしまう。私には美紗に勝てるような容姿も頭脳も運動神経も性格の良さも何も持ち合わせていない。
「祥子に話したいことがあるんだけど。」
後ろを歩いていた美紗が突然立ち止まったかと思うと、深呼吸をして真剣な表情で話しかけてくる。少し不安の色があるような、だが、力強くこちらを見つめていた。
「私、小野くんに告白されちゃった。」
思考が止まる。言われた言葉を理解しようと必死になった。だってそれは前から私が片想いしている相手だからだ。だが、美紗には私に好きな相手がいることも、どうなりたいなどの願望も、話したことはなかった。
「それで……どうすることにしたの?」
探りを入れるようにたずねる。手が震える。心臓がうるさいほどに高鳴っている。
美紗から恋愛の話を聞いたことがなかったため、興味がないと思っていた。しかし、美紗はモテる。実際、小野より美男子で優しい男子に声をかけられることだってたくさんあるだろう。
「うん、私でよければ付き合ってくださいって、今日、彼氏ができたの。」
寝耳に水、まさに青天の霹靂。
美紗は再び歩き出し、続けるように話をしている。こちらの感情なんて見向きもせず、生まれて初めて恋人が出来た喜びを抑えられないように顔を赤らめ、告白されたシーンを思い返している。
美紗の言葉は何一つ頭に入って来なかった。美紗は私の横を通り過ぎ、背を向けて歩き去っていく。
以前から私は、親友である美紗という女といると、強い劣等感を覚えることが多かった。しかし、お互い仲が良いのは本当で、大切な気の合う友人だった。
だが、この日は何故かこの出来事を水に流すことができなかった。自分が好いた男が取られたから?好きだということを自分に相談してくれなかったから?胸のあたりが重く、息苦しさを感じる。嫉妬や悲しみの気持ちがぐるぐると祥子のなかで渦巻き、目頭がじわっと熱くなる。美紗には、自分の気持ちを伝えて、祝福してあげようと本当に、心の底から思っていたのだ。
しかし、気持ちが噛み合わない。
小走りで前を歩く美紗に近づいた。衝動的に背中を押す。少し痛い思いをさせよう、その場につまずいて転ぶだろうと思っていた。
背中を押すと、美紗はそのまま足がもつれてしまった。きっと暑さからフラフラしていたのだろう。その場に転ぶことはなく、雑木林のほうにバランスを崩した。
「あっ」
二人の声が揃う。
美紗が転落していく様子がスローモーションのように再生され、どこか映画を見ているような他人事のように感じる時間だった。
世の中のほとんどの人間は、人が高所から落ちる音を聞いたことがないだろう。人が高所から落ちる際の音は、ゴトッ、でも、ドンッ、でもなく、重量のあるものがバンッと音を立てて弾け飛ぶような音がするのだ。
落ちていった原因は自分だが、どうしたらいいのか分からず、落下した先を見ることができないまま、その場に立ち尽くしてしまった。
どれくらい時間が経っただろうか。一瞬のようにも感じたし、何十分もその場にいたようにも感じる。ふと我に返ったのは、突き落としてしまった罪悪感からではなく、ただ夏の暑さに耐えられなくなったからだった。周囲を見渡すが、近くに人がいる気配はない。一連の出来事の目撃者はいないようだ。正面へ向きなおり、ゆっくりと美紗が落ちていった場所へ近づいていく。滝のように流れる汗は、ただ暑いから出るということではなく、ひんやりと冷たい汗が流れる感覚がした。もしかしたら軽症で済んでいるのではないかと、確認に行く。
下方には、まるで水風船がアスファルトに叩きつけて割れ、水が飛び散ったような血溜まりの中に横たわる美紗がいた。
先ほどの鈍い音、動かない身体、私はすぐに「殺した」と理解する。落ちた美紗がどうなっているのか分からなかった時からは想像できないほど、落ち着いている。事実に対しての否認も錯乱もない、ただ理解だけがあった。
時間が止まったような感覚。うだるような暑さのその場所には、呼吸音と川の匂いと僅かな鉄の匂いだけが残っていた。
私が、親友の美紗を殺したのだ。
あの時私も死ねばよかった 板垣鳳音 @118takane
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