2:初?登校の波乱(5)
一時間目が終わると、当然だけれど、里玖は別のクラスの英語授業へ向かってしまった。
廊下を移動する彼女の後ろ姿を、海斗はついつい目で追ってしまう。
(……この後会えるとしたら、帰りのホームルームだけか)
彼女がいないその後の授業は、驚くほど退屈だった。
翔生が不登校気味だったせいか、黒板に書かれる内容に対して手続き記憶のようなものがまったく働かない。
もっとも海斗自身だって高校生のときも授業なんてまともに聞いていなかったから、そんなものなのだろうとも思う。
海斗は退屈な授業の間、頬杖をつき、高校生の頃の里玖の思い出ばかりを脳裏に繰り返していた。
……気づけば、机に頬をつけてうたたねしていた。
自衛官としてならば、考えられない失態だが、教師たちは「事故帰りの問題児」が静かにしているだけで十分だと思っているのか、誰も注意してこない。
ただ一つ困ったのは、斜め前の席の杏奈が、やたらチラチラとこちらを振り返ってくることだった。
心配なのか、好意なのか、あるいはその両方なのか。
目が合うたびに、海斗はどう反応していいか分からず、借り物の顔で曖昧な愛想笑いを作るしかない。
「ショウ、午後どうする? ぶっちして『飛ばす』?」
昼休み、アキトが当然のような顔で聞いてきた。
「……いや、最後まで出るよ」
「え、珍し。真面目か」
アキトは呆れたように笑ったが、放課後のホームルームになれば、また里玖に会えるかもしれない。
そもそも、今の自分がこの体で行ける場所など思いつかない。
「はい。学食で『ごぼ天パン』買ってきたよ。ショウ、これ好きでしょ?」
杏奈がニコニコと笑いながら、ビニール袋に包まれたコッペパンを差し出してきた。
「あ……ありがとう」
「杏奈のこと、まだ思い出さない? このパンのことも覚えてない?」
至近距離で覗き込んでくる杏奈に、海斗はたじろぐ。
(ごぼ天パン? なんだそれは。ごぼ天といったら普通は、うどんのトッピングだろう……)
訝しみながらも、促されるままにかぶりついた。
「っ、うまっ!」
思わず声が出た。
カリカリに揚げられたごぼう天と丸天、さらに焼きうどんまでもがギッシリとコッペパンに挟まっている。
全体をまとめているのは濃厚な甘醤油系のソースだ。さらに、ピリリときいた柚子胡椒風味のマヨネーズが、油っぽさを絶妙に引き締めている。
「そうでしょ! 美味しいでしょ! ショウ、これ大好物だったもんね」
杏奈は嬉しそうに身を乗り出す。
「……くどそうな組み合わせだと思ったけど、すげえ旨いな。驚いたわ」
海斗として素直な感想を口にすると、杏奈がふっと寂しげに目を細めた。
「ショウ、本当に何も覚えてないんやね……」
「……あ、うん。ごめん」
「ううん、いいと。何も思い出さなくても、うちはショウが好きだよ」
十七だか十八の少女に真っ直ぐに向けられる好意。
海斗は胸の奥がチクリと痛んだ。
(俺の中身は、お前が好きな朝倉翔生じゃないんだ……)
耐えがたい罪悪感から逃れるように、海斗はうつむいて、やけに甘ったるい紙パックのカフェオレをストローで一気に吸い込んだ。
ボリューム満点のごぼ天パンのせいで、午後の授業は午前中以上に強烈な眠気に襲われた。
海斗は懸命に里玖のことを考え、意識を覚醒させようと努めた。
里玖に聞きたいことは山ほどある。
海斗がいない五年間、どう過ごしてきたのか。
どういう経緯で教師という道を選んだのか。
今はどこに住んでいるのか。
けれど、一人の生徒に過ぎない今の自分が、担任教師のプライベートを根掘り葉掘り聞けるはずもない。
それでも考えてしまう。
誰か新しい相手がいるのだろうか……?
七年も付き合った。
あれほど深く愛し合ったけれど。
五年の月日が流れている。
「その可能性」について思うと、胸の奥が、じわりと痛んだ。
と同時に、そもそも今、自分の扱いがどうなっているのか、と疑問が胸の中に急浮上してきた。
そもそも……あの攻撃は何だったのか?
海斗や偵察機のクルーは死んだことになってるのか?
その思考に行き着いた瞬間、海斗はいても立ってもいられなくなった。
授業中の教室を見渡してみる。この学校ではスマホの扱いはそれほど厳しくないように見える。
さすがに授業中の表立ってのスマホ使用は禁止されているらしいが、数人は教壇にいる教師から隠すようにコソコソと机の下で画面を光らせていた。
海斗はあの事件の真相を知りたい欲求に抗えなかった。
ポケットからスマホを取り出し、机の下で、震える指先で検索窓に打ち込んだ。
『2022 年 3月21日 海自』
いくつかニュースの見出しが並ぶ。その一つをタップした瞬間、海斗は息を呑んだ。
「ええっ……!」
思わず声が漏れて、教室の空気が一瞬だけ揺れた。
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*あとがき*
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