夜の世界

下東 良雄

夜の世界

 ――ある年の大晦日おおみそか


 ゴーン


 近所のお寺から除夜の鐘の音が聞こえてくる。ちょうど、新しい年を迎えたところだ。

 ここは都心近郊の新興住宅地。新年を迎え、お正月特有の静かな空気が支配する中、一軒の戸建て住宅から賑やかな子どもの声が聞こえてくる。


「おかあさん! あしたになったよ!」

「ゆうじ、今日が昨日になっちゃったね!」

「ホントだ! すごいね!」


 元気な男の子は、四歳になる『ゆうじくん』。

 好奇心旺盛で、何にでも興味を示すお年頃だ。今夜は年越しということもあり、眠たい目をこすりながら、一生懸命起きていた。

 ゆうじくんにとっては、新しい年を迎えたことよりも「明日」を迎えられたこと、そして今まで「今日」だった日が「昨日」になったことの方が驚きだったようで、ちょっと興奮気味だ。


 さて、年が明けたばかりの午前零時、お母さんはゆうじくんを新しい世界へといざないます。


「ゆうじ、ちょっと冒険してみない?」

「えー、なになに!?」


 お母さんは、内緒話をするようにこっそり耳元でささやきました。


「……お母さんと、真夜中の買い物に行こうか……」


 夜、外に出ることはない。

 ゆうじくんは知っている。

 夜は暗くて怖いのだと。


 でも、胸の中の好奇心がゆうじくんに問いかけます。


『自分が寝ている時、外の世界はどうなっているんだろう』


 微笑むお母さんに、ゆうじくんは答えました。


「うん! いきたい!」


 そんなゆうじくんに、お母さんは笑顔を返します。

 早速、お出かけの準備だ。

 寒くないようにダウンを着て、お母さんと手をつなぐ。

 玄関まで来たふたり。

 扉の向こうは、夜の世界。

 どんな世界が広がっているのだろう。

 ゆうじくんの心は期待と不安で一杯です。


 そして、緊張の一瞬。

 お母さんが玄関を開けました。


 ガチャリ


「わぁ……」


 目の前に広がる夜の世界。

 ゆうじくんの胸は高鳴った。

 なぜなら、そこはいつもと同じなのに、いつもと違う世界だったからだ。


 いつもはお陽さまが燦々さんさんと差し、たくさんの人が行き交う家の前の道路。

 今は、月明かりが優しく光を落とし、人っ子一人いない家の前の道路。


 いつもは視界いっぱいに広がる鮮やかな街の景色。

 今は、等間隔に並んだ街灯だけが、静かに道路を照らしている。


 いつも賑やかな声が絶えず、遊具では必ず子どもが遊んでいる街の公園。

 今は誰もおらず、遊具は静かに明日の子どもたちを待っている。


 いつもと同じ道を歩いているのに、いつもと違う道を歩いている。

 いつもと同じ景色を見ているのに、いつもと違う景色を見ている。

 いつもと同じ公園なのに、いつもと違う公園がある。


 ふと見上げると、そこにはお母さんの顔。

 目の合ったお母さんは、優しく微笑んだ。

 いつもと違う世界にいるのに、お母さんの優しさだけは変わらなかった。


 闇が溶けてあふれた夜の街。

 暗い道の先に、コンビニの暖かな明かりが見える。

 ゆうじくんは、お母さんの手をぎゅっと握りしめた。



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