第2話「初ライブ、マイクが入っていない」
一週間後。
私たち『イノセント・ガールズ』のデビューライブ当日。
控室という名の簡易テントの中で、私は自分の銀行口座のアプリを何度も更新していた。
残高:124円。
「……よし」
私はスマホの画面をスリープさせ、深く息を吐いた。
この数字を見れば、どんな理不尽な状況でも正気を保てる。金だ。金のために私はここにいる。IQ180の天才美少女・
私は隣でガタガタと震えている相方を見下ろした。
「おい、トメちゃん。震度5強くらい揺れてるけど大丈夫?」
「む、無理だっぺ……。こんなの無理だっぺよぉ……!」
今日の彼女は、前回よりも更に豪華なフリルのついたピンクのドレスを着ている。頭にはプラスチックのティアラ。
しかし、その顔色は
「落ち着いて。アンタは王女様よ。シルバニア王国の」
「シルバニアってどこだっぺ!? おら、地図帳で調べたけど載ってなかったど!」
「架空だからね。心の地図に載ってるのよ」
「心の地図……? なんだそりゃ、カーナビより便利なのか?」
「いいから、その梅干しをしまえ。衣装にシミがついたら買い取りよ」
トメちゃんは「ひぃっ」と悲鳴を上げ、慌てて梅干しを口の中に放り込んだ。種をガリガリと噛み砕く音がテント内に響く。ワイルドすぎる王女だ。
テントの隙間から、外の様子を覗く。
場所は、駅前のデパートの屋上。夏場はビアガーデンになるスペースの隅っこに、ビールケースを積み上げてベニヤ板を置いただけの特設ステージが組まれていた。
観客は、ベンチでカップ酒を飲んでいる赤ら顔の老人たちと、母親に連れられた退屈そうな子供が数人。
そして最前列には、
「地獄絵図ね」
私は冷静に分析した。
だが、やるしかない。時給千八百円分の仕事はする。
「時間よ! 行ってらっしゃい、私の可愛い嘘つき人形たち!」
社長がテントの入口を勢いよく開け放った。
眩しい西日が差し込む。
私たちは覚悟を決め、ビールケースの階段を登った。
スピーカーから、割れんばかりの大音量でチープな電子音が流れ出す。
私たちのデビュー曲『嘘つきプリンセス』だ。作詞作曲は社長(三十分で作ったらしい)。
「みなさ~ん! こんにちは~! イノセント・ガールズですぅ~!」
私は裏声全開で叫び、完璧な営業スマイルを貼り付けた。
隣のトメちゃんも、条件反射でポーズを取る。
「ご、ごきげんよう……
危ない。緊張のあまりキャラ設定の「高飛車」と「丁寧」が混線している。
しかし、曲が始まるとトメちゃんの動きが変わった。
ステップが軽い。農作業で鍛えられた足腰は
(いける……! このまま何事もなく一曲終われば、私の勝ちだ!)
私は心の中でガッツポーズをした。
しかし、神様――あるいは、いい加減な社長――は、私たちに平穏を与える気などなかったらしい。
サビに入った瞬間だった。
ソロパートを担当するトメちゃんが、マイクを口元に近づけて歌おうとした時。
「♪~~(無音)」
声が出ていない。
いや、BGMのボーカル音源は流れているのだが、トメちゃんの「生の声」がマイクに乗っていないのだ。
MCタイムになれば口パクは通用しない。トメちゃんは焦った表情でマイクを叩いた。
「(あれ? あれ?)」
トメちゃんが私の方を見る。
私は踊りながら、目線で「スイッチを確認しろ」と合図を送った。
トメちゃんが手元のマイクを見る。
そして、彼女の顔が絶望に染まった。
スイッチがない。
それどころか、マイクの底からケーブルも伸びていない。
よく見れば、それは百円ショップで売っている「おもちゃのマイク」だったのだ。
(あのクソ社長……! 予算をケチりやがったな!)
私はステージ脇でニヤニヤしている社長を
そこには太いマジックで一言、『気合でなんとかしろ』と書かれていた。
ふざけるな。
だが、トラブルは連鎖する。
パニックになったトメちゃんが、激しく動きすぎたせいで、デパート屋上特有の強風をまともに受けてしまったのだ。
ブォォォォォン!!
突風が吹き荒れ、トメちゃんのフリルたっぷりのスカートが、マリリン・モンローのごとく盛大にめくれ上がった。
観客の老人たちが「おっ!」と身を乗り出す。
しかし、そこにあったのは、純白のパンツでも、カボチャパンツでもない。
芋ジャージ(あずき色)だった。
しかも、太ももの部分には白い布が縫い付けてあり、油性ペンで『3年B組 権田原』と力強く書かれている。
時が止まった。
子供が持っていたソフトクリームが地面に落ちた。
最前列のサクラの男たちが、口を開けたまま静止した。
「……え?」
誰かが呟いた。
「ドレスの下に……ジャージ?」
「権田原って誰だ?」
まずい。
「
トメちゃんは顔面蒼白になり、震える手でスカートを押さえた。
「ち、ちが……これ、これは……!」
彼女の口から、今にも「言い訳の
ここで「寒いからジャージ履いてたんだっぺ!」と言えば終わりだ。王女設定は消滅し、ただの「変な田舎娘」として笑い者にされる。
彼女のプライドが、あのキラキラした瞳が、死んでしまう。
(――チッ、しょうがない!)
私は覚悟を決めた。
自分の(おもちゃの)マイクを投げ捨て、地声で叫んだ。
腹式呼吸だ。演劇部の友人に昔教わった発声法で、屋上の隅々まで声を届かせる。
「ああっ! みなさん、驚きましたか!?」
私の大声に、観客の視線が集まる。
「シャルロット王女! まさか、その『ロイヤル・レッグ・ガード』をお見せになるなんて!」
「……はぇ?」
トメちゃんが間の抜けた声を漏らす。私は彼女の前に飛び出し、両手を広げて大演説をぶった。
「解説しましょう! あれはシルバニア王国の王族のみが着用を許される、伝統的な防御礼装です! 一見、日本のジャージに見えますが、素材は最高級のシルクとミスリル銀! 王女の
会場が静まり返る。
当然だ。言っている意味が自分でもわからない。
「そ、そして! 太ももに書かれた『GONDAWARA』という文字! あれは古代シルバニア語で『高貴なる魂』という意味! 決して、日本の苗字ではありません!」
私はトメちゃんを振り返り、目で訴えた。
『合わせろ!
トメちゃんはハッとして、涙目で何度か頷いた。そして、おもちゃのマイクを握りしめ(意味はないが)、震える声で叫んだ。
「そ、そうですわ! これは……その、
「ナウい……!」
嘘だろ。
しかし、その必死さが何かを動かしたのか、あるいはあまりの堂々とした嘘に毒気を抜かれたのか。
最前列でカップ酒を飲んでいたお爺ちゃんが、パチパチと手を叩いた。
「なるほどなぁ。外国じゃあ、ジャージが正装なんか。勉強になったわ」
信じた。
ボケ老人なのか、純粋なのか分からないが、一人が拍手をしたことで、周囲もつられるように拍手を始めた。
「すげえ! なんかよく分かんねえけど、新しい!」
「権田原スタイル、かっこいい!」
パラパラという拍手が、次第に歓声に変わっていく。
私たちは呆然としながら、それでもアイドルとしての本能で手を振り続けた。
「ありがとう! ありがとう庶民たち!」
トメちゃんが調子に乗ってジャージ姿で手を振る。その姿は、あまりにもシュールで、あまりにも滑稽だった。
しかし、不思議と悪い気分ではなかった。
ライブ終了後。
私たちは逃げるようにテントに戻り、その場にへたり込んだ。
「死ぬかと思った……」
「おらも……心臓が口から出て、梅干しになるとこだったっぺ……」
汗だくの二人。
そこへ、社長が入ってきた。彼女は満面の笑みで、スマホの画面を私たちに見せた。
「見て! SNSでほんのちょっとバズってるわよ」
画面には、ジャージ姿のトメちゃんの写真と共に、こんなコメントが溢れていた。
『地下アイドル、ドレスの下に芋ジャージ履いてて草』
『新しいパンクスタイルか?』
『横にいる子の解説が必死すぎてウケる』
『権田原って誰だよwww』
「……笑い物じゃないですか」
私が抗議すると、社長はニヤリと笑った。
「いい? マナちゃん。無関心よりはずっといいわ。これであなたたちは『ジャージ姫と、それを必死に隠す天才』というキャラを手に入れたのよ」
最悪だ。
IQ180の設定はどうなった。私はただの「言い訳係」じゃないか。
「さあ、次はテレビの仕事を取りに行くわよ! この勢いで、業界の変人たちをねじ伏せるの!」
社長の高笑いが、狭いテントに響く。
私は天井を仰いだ。
次の給料日まで、あと一ヶ月。
それまで、私の精神が持つかどうか。
答えは、神様――いや、
【次回予告】
第3話「ひな壇は戦場、隣は悪魔」
奇跡的にテレビ出演が決まった二人。しかし、そこに待ち受けていたのは「魔界から来た堕天使」を名乗るライバル・
設定盛りすぎアイドル同士の、仁義なきマウント合戦が始まる!
次の更新予定
そのキャラ設定、無理があります!〜全員嘘つきアイドルの楽屋は今日も騒がしい〜 旭山植物園 @dobugawa
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