そのキャラ設定、無理があります!〜全員嘘つきアイドルの楽屋は今日も騒がしい〜

旭山植物園

第1話「一般人、魔窟に迷い込む」


 人生には、取り返しのつかない「ボタンの掛け違い」というものがある。

 例えば、朝の占い最下位を見て見ぬふりをしたこと。

 例えば、安売りしていた賞味期限切れの牛乳を一気飲みしたこと。

 そして――「データ入力の短期バイト」の面接会場と、「地下アイドルのオーディション」会場を間違えて扉を開けてしまったことだ。


「――合格よ」


 薄暗い雑居ビルの地下室。カビと芳香剤が混ざったような淀んだ空気の中で、その女は言った。

 目の前のパイプ椅子にふんぞり返っているのは、サングラスをかけた派手な女だ。胸元が開きすぎたヒョウ柄のシャツ、紫煙しえんをくゆらせる姿は、どう見てもカタギではない。

 彼女は、履歴書代わりの画用紙(白紙)を指先で弾きながら、ニヤリと笑った。


「君のその『死んだ魚のような目』……最高だわ。今のアイドル業界に足りないのは、その絶望感よ」


「あの、すみません」


 私は、つまり高島学たかしままなぶ(十六歳・高一女子)は、震える手で出口を指さした。


「多分、部屋を間違えました。私は隣のビルの『株式会社・真面目事務センター』の面接に来たのであって、こんな怪しげな……」


「時給千八百円」


「えっ」


「交通費全額支給。レッスン中も時給発生。さらに、デビューが決まれば契約金として即金で十万」


 私は回れ右しかけた足を、ピタリと止めた。

 脳内で、そろばんが高速で弾かれる音がする。

 我が家の家計は火の車だ。父が突如蒸発した為、母のパート代だけで私と二人の弟を養うのは限界に近い。私は通信制高校に通いながら、弟たちの給食費と自分の学費を稼がねばならないのだ。


 データ入力の時給は九百五十円。

 対して、ここは千八百円。ほぼ倍だ。高校生のバイト代としては破格すぎて逆に怖いレベルだが、背に腹は代えられない。


 私はゆっくりと振り返り、サングラスの女――この怪しげな事務所『ワンダー・フィクション』の社長、一色冴子いっしきさえこに向かって、深々と頭を下げた。


「一生ついていきます、社長」


「いい返事ね。じゃあ、これに着替えて」


 投げ渡されたのは、青いチェック柄の衣装だった。


「君の芸名は『如月きさらぎマナ』。設定は……そうね、『IQ180の天才女子高生』ってことにしましょ」


「はい? IQ?」


「そう。趣味は六法全書の暗記、特技は円周率の逆唱。ファンの悩み相談を論理的に解決する『インテリ・サイボーグ』。どう? 売れそうでしょ」


 売れるか。

 絶対に売れない。断言できる。

 だいたい私は数学こそ得意だが、IQなんて測ったこともないし、六法全書なんて見たこともない。


「無理です。詐欺じゃないですか」


「あら、アイドルなんて夢を見させる商売よ? 夢っていうのは、つまり『綺麗な嘘』のこと。違う?」


 一色社長はサングラスを少しずらし、ギロリと私を睨んだ。その瞳の奥には、有無を言わせない圧力が渦巻いていた。


 そして、机の上に万札の束(厚さ一センチ)を置く。


「……やります。IQ180、任せてください」


「よし。交渉成立」


 私は魂を売った。正確には、十万円と高時給で切り売りした。

 まあいい。どうせこんな地下アイドル、誰も見ていないだろう。適当にインテリっぽい顔をして、小難しい単語を並べておけばいいのだ。


「じゃあ、早速相方を紹介するわ。入ってきてー」


 社長が手を叩くと、オフィスの奥にあるベニヤ板のドアが開いた。

 そこから現れた少女を見て、私は息を飲んだ。


 ――本物だ。


 金髪の縦ロール。フリルのついたピンクのドレス。透き通るような白い肌に、宝石のような青い瞳。

 どこかのヨーロッパ貴族の肖像画から抜け出してきたような、圧倒的な「お嬢様」オーラ。

 薄汚れたこの部屋の中で、彼女だけが発光しているように見えた。


「ごきげんよう。お初にお目にかかりますわ」

 声も、鈴を転がすように美しい。


 彼女は優雅にドレスの裾をつまみ、膝を折ってカーテシーをした。


「わたくし、西園寺さいおんじシャルロットと申しますの。以後、お見知りおきを」


 すごい。この子は、本物のアイドルだ。

 私みたいな「金目当ての一般人」とは住む世界が違う。これなら、彼女の引き立て役として後ろで数式でも解いていれば、案外楽に稼げるかもしれない。


「よろしく、シャルロットさん。私は如月マナです」


「マナ様ですのね。ふふ、わたくし、庶民の方とお話しするのは初めてでしてよ。いろいろ教えてくださいまし」


 完璧だ。隙がない。

 一色社長がニヤニヤしながら口を挟む。


「彼女の設定は『北欧の小国・シルバニア王国の第三王女』よ。日本文化を学ぶために留学してきたの」


「設定じゃありませんわ、社長! わたくしは高貴な……痛っ!」


 その時だった。

 優雅に微笑んでいたシャルロットの表情が、一瞬で歪んだ。

 彼女は突然、ドレスの裾をガバッと捲り上げたではないか。


 そこにあったのは、白タイツ……ではなく、なぜか「ジャージのズボン」だった。しかも、膝の部分が擦り切れてツギハギが当たっている。

 彼女はジャージの上から、ふくらはぎのあたりをボリボリと豪快に掻きむしった。


「あー、かゆっ! やっぱこのレース、肌に合わねぇんだわ! 蕁麻疹じんましん出ちまうべよ!」


 ……え?

 今、なんて?

 私は自分の耳を疑った。

 「べよ」?


「あ、見られちった?」


 シャルロット(仮)は、私と目が合うと、先ほどの聖母のような微笑みとは打って変わって、親戚のおっちゃんのような顔でニカっと笑った。


「わりぃわりぃ。おら、肌が弱くてさ。このドレス、ポリエステル百パーだっぺ? 汗吸わねぇから蒸れちまってよぉ」


「……あ、あの」


「社長! だから言ったべ! 下にはジャージ履かねぇと踊れねぇって! こんなヒラヒラしたもんじゃ、はたけ……じゃなくて、ステージで踏ん張れねぇべよ!」


 北欧? シルバニア王国?

 いや、このイントネーションは、どう聞いても――


「北関東……?」


 私が呟くと、シャルロット(仮)はギクリとして口を押さえた。


「ち、ちげぇわ! わたくしは王女ですわ! オホホホ! 今の聞いた? 空耳ですわよ!」


「いや、完全に『だっぺ』って……」


「黙れ庶民! ギロチンにするわよ!?」


 顔を真っ赤にして叫ぶ自称王女。

 その横で、社長が腹を抱えて爆笑している。


「あー、最高。やっぱり君たち、いいコンビね」


「社長! どういうことですか! この子、王女様じゃないんですか!?」


「当たり前でしょ。本名は権田原ごんだわらトメちゃん。実家は北関東で大規模農園やってるわ」


「権田原トメ……!?」


 名前のインパクトが強すぎる。シャルロットの欠片もない。


「うぅ……バラすなんてひでぇべ社長……。おら、地元の皆には『東京でモデルやってる』って嘘ついて出てきたんだかんな……」


 トメちゃん改めシャルロットは、体育座りでいじけ始めた。その姿からは、先ほどのオーラは微塵も感じられない。ただの田舎のヤンキーだ。


「いい? マナちゃん、トメちゃん」


 社長がパンと手を叩き、真顔に戻った。


「この業界は戦場よ。普通の人間なんて誰も求めてない。客が求めているのは、刺激的で、非日常な『キャラクター』だけ」


「だからって、これは無理があります!」


「無理を通すのがプロよ。トメちゃんは今日から死ぬ気で標準語……いいえ、『お嬢様言葉』をマスターしなさい。マナちゃんは、トメちゃんがボロを出さないように監視役兼ツッコミ役ね」


 社長は机の上の契約書を、私たちの前に突き出した。


「デビューライブは来週。場所は駅前のデパート屋上よ」


「ら、来週ぅ!?」


「嫌なら辞めてもいいけど? ただし、その十万円は返してもらうわよ」


 私は手の中の封筒を握りしめた。

 弟の修学旅行費。滞納している給食費。壊れかけの冷蔵庫。

 それらが脳裏をよぎる。

 私は大きく深呼吸をして、隣で鼻をほじろうとしている元王女(権田原)の手をパシッと叩き落とした。


「……わかりました。やります」


「マナ様?」


「ただし条件があります。トメちゃん、私の前でその『だっぺ』は禁止。あと、ジャージは脱いで。王女設定なら、見えないところまで優雅にしなさい」


きびしっ! おめぇ、意外とスパルタだっぺな!」


「うるさい! 一蓮托生なのよ、私とあなたは!」


 こうして、IQ180(嘘)の私と、王女(大嘘)のトメちゃんによる、地獄のアイドルユニット『イノセント・ガールズ』が爆誕した。


 この時の私はまだ知らなかった。

 これから始まる日々が、物理的にも精神的にも、文字通りの泥沼になることを。

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