第3話 呼び出し、あるいは「懲戒処分」に関する誤解について

「……詰んだ。完全に、これ以上ないほどに詰んだ」


 地下三階の汚染区域から這い上がり、更衣室のベンチにへたり込んだ俺、ザイードの口から漏れたのは、魂の底から絞り出されたような絶望の言葉だった。

 重たい防毒マスクを外すと、ゴムの跡がついた顔に更衣室の冷たい空気が触れる。泥と正体不明の粘液、そして強力な洗浄剤の飛沫にまみれた作業服を脱ぐ。その動作の一つ一つが、まるで鉛のように重い。


 シャワー室に入り、熱めの湯を頭から浴びる。排水溝に流れていく黒い泡を見つめながら、俺は今日の作業を反芻していた。

 地下水路の『詰まり』は解消した。だが、その過程でギルドの備品である高圧洗浄機の出力をリミッター解除まで上げてしまったし、劇薬の申請書も事後提出だ。


 念入りに体の汚れを落とし、私服である地味な茶色のシャツとスラックスに着替える。鏡に映るのは、どこにでもいる冴えない中年の清掃員だ。だが、その顔色は土気色をし、目の下には心労によるクマができている。


「帰ろう。今日は直帰して、安いエールでも飲んで寝よう」


 そう自分に言い聞かせ、逃げるようにロビーに出た瞬間だった。

 俺は、待ち構えていた受付嬢のミリアによって、物理的に捕獲されたのだ。


「ザイードさん! 探しましたよ! どこに隠れてたんですか! ギルドマスターがお呼びです! 至急、直ちに、今すぐに! 『秒で連れてこい』との仰せです!」


 ミリアのよく通るソプラノボイスが、夕刻の喧騒に包まれたロビーに響き渡る。

 その瞬間、依頼掲示板に群がっていた冒険者たちが一斉に動きを止め、こちらを振り返った。


「おい、あいつが例の……?」「いや、ただの冴えないおっさんだろ」「背中が丸まってるし、オーラがない」「装備もしてないぞ、一般人か?」「でもマスター直々の呼び出しだぞ? 相当な大物か、あるいは大罪人か……」


 肌にまとわりつくような、湿った視線の群れ。

 遠慮のない囁き声は、まるで換気扇のフィルターに詰まった埃のように不快で、そしてどうしようもなく耳障りだ。そこに含まれるのは、無責任な好奇心と、「底辺職」への隠しきれない侮蔑。選民意識と野次馬根性が入り混じった、ドブ川のように濁った感情の渦。


 平時なら、この不快な空気をモップで一掃したくなっただろう。

 だが、今の俺にはそんな有象無象の「ノイズ」を気にしている余裕など、ミクロン単位も残されていない。


 俺の思考を塗りつぶしているのは、たった一つの絶望的な事実。

「ギルドマスターがお呼び」――その、回避不能にして致死性の高い特大トラブルだけだった。


 天下の冒険者ギルド「銀の剣」を束ねるトップが、末端の、それも非戦闘員である一介の清掃員を呼び出す理由など、十中八九ロクなことではない。

 いや、正直に言おう。心当たりがありすぎる。ありすぎて、どれが決定打になったのか分からないレベルだ。


(……バレたか? ついに年貢の納め時か?)


 俺の脳裏に、ここ数日で積み重ねてしまった数々の「業務上の懸念事項」――いや、明らかなコンプライアンス違反が走馬灯のように駆け巡る。


 懸念その一。昨日、ドラゴン討伐現場での一件。

 許可なくSランク指定モンスターの死体を損壊(解体)し、あまつさえその一部を「燃えるゴミ」として焼却炉へ直行させた件。本来なら素材としてのギルド査定が必要だったはずだが、腐敗臭が酷かったし、床にこびりついていたので独断で処理してしまった。あれ、ドラゴンの鱗一枚で金貨何枚になるんだ? もし損害賠償を請求されたら……数億ゴールド? ……考えるのはよそう、胃に穴が開く。


 懸念その二。本日の地下水路での一件。

 ギルドの環境保全規定で定められた使用量の上限を無視し、劇物指定のパイプ洗浄剤『ドカン・スルー』を三倍希釈でぶち撒けた件。だって、規定量じゃあのヘドロは溶けないんだ。現場の判断だ。だが、環境局の監査が入れば一発アウトだろう。「水質汚濁防止法違反」で逮捕なんてことになったら、俺の人生は終わりだ。


 懸念その三。勤務態度全般について。

 定時退社を絶対遵守するために、就業規則のグレーゾーンを反復横跳びしている件。タイムカードの打刻に関しては、一秒の妥協も許していない自負があるが、上層部から見れば「やる気のない社員」の筆頭だろう。


「あの、ミリアさん。用件は聞いてます? たとえば、懲戒委員会の開催通知とか、退職金の計算書へのサインとか……あるいは、弁護士を呼ぶ権利があるかとか……」

「いえ、『至急、私の執務室へ連行しろ。抵抗するようなら縛ってでも連れてこい』とだけ。……ザイードさん、顔色が悪いですよ? あと手が小刻みに震えてます。大丈夫ですか?」


「……昨今の雇用情勢と老後資金2000万問題について考えていたら、急に胃が痛くなっただけだ。行ってくる」


 俺は死刑台に向かう囚人のような足取りで、ギルド最上階へと続く赤絨毯の階段を上り始めた。

 一歩進むごとに、心臓が早鐘を打つ。すれ違う職員たちが、皆俺を憐れんでいるように見える。


 始末書で済めば御の字だ。減給? 甘んじて受け入れよう。ボーナスカットも耐えてみせる。

 だが、最悪のケース――懲戒解雇(クビ)だけは避けなければならない。

 今の俺には、王都の郊外に購入した中古の一軒家のローンが残っている。35年ローンのうち、まだ25年も残っているのだ。しかも変動金利で。

 再就職といっても、俺の履歴書には「清掃歴一五年」と「危険物取扱者乙種」、「ボイラー技士」の資格くらいしか書けることがない。この歳で路頭に迷えば、のたれ死ぬ未来しか見えない。


「失礼します……施設管理課のザイードです」


 ギルドの最上階、重厚なオーク材で作られた巨大な両開き扉の前で深呼吸をし、俺は震える手でノックをした。コンコン、という音がやけに虚しく響く。


「入れ」


 中から聞こえたのは、氷のように冷徹で、それでいて有無を言わせぬ威厳に満ちた声だった。

 恐る恐る扉を開け、中に入る。


 執務室は、無駄に広かった。

 壁一面の本棚には難解な魔導書や古代の地図が並び、ガラスケースには過去に討伐された伝説級モンスターの素材――ワイバーンの牙や、ビホルダーの眼球、リッチの頭蓋骨などがトロフィーとして飾られている。それらはすべて、この部屋の主がかつて仕留めた獲物だ。

 そして部屋の中央、山積みになった書類の要塞に守られるようにして、一人の女性が座っていた。


「銀の剣」ギルドマスター、エレナ・アージェント。

 かつて「閃光の戦姫」と呼ばれ、単身で魔王軍の師団を壊滅させたという伝説を持つ元Sランク冒険者。現役を引退した後もその辣腕でギルドを運営し、不届きな冒険者を鉄拳制裁で教育する「鉄の女傑」だ。

 長い銀髪を後ろで束ね、鋭い銀縁眼鏡の奥で光る瞳は、嘘をつく人間を絶対に見逃さない「真実の目」だと言われている。


「……待っていたぞ。掛けたまえ」


 エレナは書類から顔を上げ、万年筆を置いた。

 その鋭い視線が、俺の全身を舐めるように走る。足のつま先から頭のてっぺんまで、まるで空港のセキュリティスキャナーのように透過されている気分だ。


(うわ、なんだその目は。俺の服にホコリでもついてるか? それとも、地下のヘドロの臭いが残ってるのか? 消臭スプレーもっと振ってくるべきだったか?)


 俺は背筋を凍らせながら、指示された革張りの高級ソファに、汚さないよう浅く腰掛けた。背もたれには決して寄りかからない。それが平社員の流儀であり、いつでも土下座できる態勢だ。


「単刀直入に言おう」


 エレナが組んだ両手の指を組み合わせ、眼鏡を光らせる。

 室内の温度が、体感で五度ほど下がった気がした。空調の設定温度を確認したいくらいだ。


「昨日の『竜狩り』の件だが」


(来たッ!! やっぱりそれか!! 本丸直撃だ!!)


 俺の心臓が喉から飛び出しそうになる。

 弁解だ。弁解しなければ。俺には生活がある、ローンがある、老後の資金計画があるんだ! 猫の餌代だって稼がなきゃいけないんだ(飼ってないけど)!


 俺は即座に、ここに来るまでの道中で数百回シミュレーションを重ねた「完璧な言い訳」を口にした。


「申し訳ありません! あれは不可抗力で、現場の衛生環境復旧を最優先した結果の緊急避難的措置でした! 床への酸性ダメージは最小限に抑えましたし、死体もちゃんと『可燃』『不燃』『資源』に分別して処理しましたから! 環境局のリサイクル法には抵触していないはずです! どうか減給だけは……あわよくば始末書一枚で……!」


 俺は深く頭を下げた。額が膝につくほどの最敬礼。サラリーマンの処世術、必殺「先手謝罪・全面降伏」だ。

 だが、返ってきた反応は、俺の予想を遥かに超えるものだった。


「……ふむ。やはり、そうか」


 エレナは感心したように深く唸ると、手元の資料に何かをサラサラと書き込んだ。


「あの極限状況で、『現場の復旧』すなわち『王都への二次被害防止』を最優先した判断。そして、Sランクモンスターの討伐を、単なる『ゴミの分別処理』と言い切る傲慢なまでの自負。……噂以上の器だな」


「……はい?」


 俺は恐る恐る顔を上げた。

 あれ? 怒ってない? というか、なんか褒められてる?

「自負」とか「器」とか、俺の知らない単語が出てきている気がする。


 エレナは眼鏡の位置を直しながら、どこか熱っぽい口調で続ける。


「勇者アーウィンからの報告書には『清掃員が現場を荒らし、神聖な儀式を妨害した』とあった。だが、ギルドの鑑定班による現場検証の結果は真逆だった。竜の死体はプロの手際で解体され、本来なら数週間は残留するはずの『死後魔力汚染』が、完全に、痕跡すら残さず除去されていたのだ。あれは、聖属性魔法の最上位呪文でも不可能なレベルだ」


 エレナは立ち上がり、窓の外の王都を見下ろした。夕日に染まる街並みが、彼女の背中を後光のように照らしている。


「あれほどの仕事を、魔法も使わず、たった一人で、しかも数分でこなすとはな。……貴様、何者だ? どこの組織から送り込まれた? 王家の隠密か? それとも教会の異端審問官か?」


「あ、いや、それはまあ、仕事なんで。ただの清掃員ですけど。強いて言えば、昨日は『激落ちクン・改』の配合がうまくいったのが勝因かと」


「『ゲキオチクン・カイ』……? 聞いたことのない古代語魔法だな。錬金術の秘奥か」


「いえ、ただの洗剤です」


「謙遜はいい。貴様のような傑物が、なぜ今まで一介の清掃員として埋もれていたのかは謎だが……ギルドとして、この稀有な才能を遊ばせておくわけにはいかん」


 エレナが再びデスクに向き直り、一枚の分厚い羊皮紙――重厚な装飾が施された辞令書を、俺の前に叩きつけた。


「ザイード。本日付けで、貴様を『特別施設管理顧問』に任命する」


「……は?」


 顧問? 清掃員がか?

 係長とか課長ですらなく、いきなり顧問?

 俺の理解が追いつかない。


「これは、通常の清掃業務とは異なる。ギルドが抱える『厄介な案件』――通常の冒険者では対処不能な、特殊な汚染や環境トラブルを専門に処理する役職だ。組織図上は私の直轄となる。誰の指図も受ける必要はない」


 エレナの言葉を、俺は脳内で高速翻訳する。


『厄介な案件』→ゴミ屋敷の強制撤去とか、詰まったトイレの緊急対応とか、誰もやりたがらない3K(きつい・汚い・危険)な汚れ仕事。

『特殊な汚染』→劇薬とか呪いとか、死と隣り合わせの危険物処理。

『顧問』→要するに、現場責任者兼作業員(なんでも屋)。責任だけ重くなって、実働部隊は俺一人。クレーム対応も全部俺。


 なるほど。クビではなく、もっとキツイ部署への栄転という名の「体のいい左遷」か。

 ブラック企業の手口そのものじゃないか。「名ばかり管理職」にして残業代をカットする気だな?

 俺は断ろうとした。平穏な日常と定時退社こそが、俺の人生の全てなのだから。


 だが、俺の耳に飛び込んできたのは、悪魔の囁きだった。


「もちろん、待遇はSランク冒険者に準ずる。基本給は現在の三倍。さらに、危険手当、特殊技能手当、早朝・深夜割増、そして完全週休二日制を保証しよう。加えて、ギルド提携の最高級医療保険と、退職金積み立ての上乗せもつける」


「やります。謹んでお受けいたします」


 俺は食い気味に即答した。コンマ一秒の迷いもなかった。

 三倍。その甘美な響きには抗えない。今の給料の三倍あれば、ローンの繰り上げ返済ができるどころか、五年で完済できるかもしれない。老後の資金も安泰だ。

 それに、役職名がついたところで、やることは変わらない。「掃除」だ。

 予算が増えれば、欲しかった最新型の魔導高圧洗浄機『ケル・ハイドロ・オメガ・マークⅡ』も経費で落とせるかもしれない。あの吸引力は魅力的なんだ。


「……いい返事だ。金や名誉に興味はないという顔をしていたが、やはり貴様は『責務』と『プロ意識』を重んじる男か。その即断即決、気に入った」


 エレナは満足げに頷いた。何か大きな誤解がある気がするが、給料が上がるなら訂正する必要はない。

 俺は心の中でガッツポーズをした。これで新しい掃除機が買える。あわよくば、ルンバ的な自律清掃ゴーレムも導入しよう。


「では、早速だが最初の仕事を――」


 その時だった。

 バンッ!! と、執務室の重厚な扉が、蹴破られたかのように乱暴に開け放たれたのは。


「マスター! 話がある!! 緊急事態だ!!」


 ドカドカと足音荒く入ってきたのは、見覚えのある金色の鎧。

 勇者アーウィンと、その取り巻きである「暁の翼」のメンバーたちだった。


「アーウィンか。ノックもなしに入室とは、礼儀を知らんのか。ここは酒場ではないぞ」

「うるせぇ! それどころじゃないんだ! 次の遠征先、『深緑の魔宮』の件だ!」


 アーウィンは俺の存在に気づいていないのか、マスターの机に身を乗り出した。

 その背後には、聖女アイリスと魔法使いの少女も続いている。


「あそこの深層域、最近『謎の瘴気』が充満してて進めないらしいじゃないか! 俺たちの聖女アイリスの結界でも防ぎきれるかわからん! 

 俺の完璧な冒険譚に傷がついたらどうしてくれる! フォロワーが減るんだぞ! 昨日の配信だって、変なオッサンが映り込んだせいで再生数が伸び悩んでるんだ!」


 相変わらずの自己中心的な言い分だ。

 こいつらは冒険をしているのか、動画配信をしているのかどっちなんだ。世界を救う前に、自分の好感度を気にしている場合か。


「……その件なら、今ちょうど適任者を確保したところだ」


 エレナが冷静に答え、視線を俺に向ける。

 つられて、アーウィンたちもこちらを向いた。


 俺と、勇者の目が合う。


 数秒の沈黙。


「あ」

「……チッ」


 俺は思わず舌打ちをしてしまった。条件反射だ。

 よりにもよって、こいつらか。昨日、俺が丹精込めて磨き上げた床を土足で踏み荒らし、撮影のために俺をどかそうとした迷惑系インフルエンサー。

 俺の中のブラックリスト筆頭だ。


「お、お前……!!」


 アーウィンが指をさして絶叫した。顔が真っ赤だ。


「昨日の! 俺の決めシーンを台無しにした清掃員!! なんでこんな所にいやがる! ここは選ばれし者のみが入室を許される、ギルドの最重要区画だぞ!」


「人聞きが悪いな。俺はただ、業務を遂行しただけだ。そっちこそ、ここはギルドマスターの執務室だぞ。土足で走り回るな、絨毯が傷むだろう」


 俺は淡々と返す。

 すると、勇者の背後にいた聖女アイリスが、わなわなと震えながら進み出てきた。両手を胸の前で組み、うっとりとした表情で俺を見つめている。


「ああっ、やはりあの方ですわ……! 私には見えます、彼の全身から溢れ出る『清浄なる気』が……! あれほど高密度な浄化のオーラ、大司教様でも放てませんわ! まるで存在そのものが『浄化』の概念そのもののよう……」


「えっ、何それ怖い」

 パーティの魔法使いの少女がドン引きしているが、聖女の目は完全にイッている。

 俺から出ているのはオーラじゃない。さっき使った業務用漂白剤『ハイパー・ブリーチ』の塩素臭だ。鼻がおかしいんじゃないか?


「マスター! まさかこいつを行かせる気じゃないだろうな!? 俺は認めんぞ! こんな薄汚れた掃除屋風情に、俺たちの高貴なパーティを汚されてたまるか! 絵面が悪いんだよ!」


「黙れアーウィン」

 エレナの一喝が響く。室内の空気がビリビリと震えた。

「彼が、先ほど言った適任者だ。ザイード、彼は本日よりギルドの『特別顧問』として、貴様らの遠征に同行してもらう」


「はぁ!?」

「ええっ!?」


 アーウィンと俺の声が重なった。


「こと、断る! 俺は掃除がしたいだけで、お守りなんて御免だ!」

「これは業務命令だ、ザイード顧問。それに、『深緑の魔宮』の瘴気……調査によれば、あれは長年放置された腐葉土と魔物が発するメタンガス、そして不法投棄された錬金術廃棄物が化学反応を起こした、一種の『深刻な環境汚染』だ」


 エレナが真剣な眼差しで俺を見る。


「放置すれば、汚染は地下水脈を通じて王都の水源に達するだろう。そうなれば、王都中の水が腐る。井戸水も、上水道も、全てだ」


 その言葉に、俺はピクリと反応した。

 環境汚染。水源への影響。

 それはつまり、俺のアパートの水道水がドブ臭くなるということだ。

 風呂の水が臭くなり、洗濯物が黄ばみ、そして何より、仕事後の至福の一杯である水割りが不味くなる。米を炊いても臭い飯になる。


 それは、俺の生活基盤に対する重大な脅威だ。テロと言っても過言ではない。


「……汚染源の特定と、除去作業。それが任務ですか」

「そうだ。彼らの護衛……いや、『進路の清掃』を頼む。彼らでは、その汚れは落とせない」


「なるほど」


 俺は立ち上がり、作業用ポーチのベルトを締め直した。覚悟を決める時だ。

 勇者たちの「護衛」など興味はない。あいつらがどうなろうと知ったことではない。モンスターに食われようが、沼にハマろうが自業自得だ。

 だが、俺の平穏な生活と、美味しい水割りを守るためなら、話は別だ。

 それに、特別手当も出る。


「分かりました。その案件、引き受けます」


「な、勝手に決めるな! 俺は認めんぞ! 俺が主役だぞ!?」


 喚き散らすアーウィンを完全に無視し、俺はエレナに向かって事務的に、かつプロとしての条件を提示した。


「ただし条件があります。現場での清掃判断および使用機材の選定は、全て俺に一任していただく。勇者一行には、俺の作業の邪魔をしないよう厳命してください。あと、ゴミのポイ捨ては厳禁でお願いします」


「認めよう。全権を委任する」


「それと、残業代は一分単位できっちり請求します。休日出勤扱いになるので、代休もいただきますよ」


「構わん。貴様の働きに見合う額を約束する」


 こうして、契約は成立した。

 俺の平穏な清掃員ライフは一時的に終わりを告げ、勇者パーティという名の「巨大な騒音およびゴミ発生源」と共に、最悪の遠征へと出発することになったのだった。


 俺はチラリと勇者たちを見た。

 相変わらず「ふざけるな!」と騒いでいるアーウィン、恍惚の表情で見つめてくる聖女、興味深そうに俺の掃除道具を見ている魔法使い。


(……あーあ。定時で帰りたかったなぁ)


 心の中で深いため息をつきながら、俺は彼らを「分別前の粗大ゴミ」を見るような冷ややかな目で見つめ返した。

 せめて、あいつらがこれ以上床を汚さないよう、出発前に靴の裏を徹底的に拭いてやるとしよう。

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ダンジョン・クリーナー ~配信の隅で、今日も定時で帰ります~ 夜月 朔 @yoduki_saku

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