第2話(1) 心の軋み Revised
金曜日の午後、プロテスタント系の女子高の教室は、授業が終わった解放感でざわついていた。
心奈はショートカットのボーイッシュな黒髪を揺らして、鋭い目つきはいつものように「近寄るな」と警告を発しているようだった。彼女の「心奈マインド」――筋金入りのテーソー観念――は、今日も健在だった。ポニーテールをやめてショートカットにしたのは、冬前に決めた変化だった。少しでも自分を変えたいと思ったけど、結局、マインドは変わらない。むしろ、この髪型が新しい盾のように感じる。
そんな心奈の机の前に、突然、
「ねえねえ、ねえねえ……」
美咲が、まるで子犬のようにはしゃぎながら声をかけてきた。心奈は眉をひそめ、冷たく切り返した。
「『ねえねえ』が多い。何の用?」
美咲はそんな態度をまるで意に介さず、にこにこしながら続けた。彼女の笑顔の裏には、ほんの少しだけ企みが隠れていた。心奈のガード、ちょっとでも緩められないかな……。美咲は、心奈の頑なな「心奈マインド」をどうにかしたいと思っていた。親友として、心奈が自分を閉ざしているのが、なんだか寂しかったのだ。
「心奈、明日はどうするの?」
心奈はカバンを閉じながら、そっけなく答えた。
「予備校がないから、野毛山通りの横浜市中央図書館に行こうと思ってるんだ」
「え、いいな!私も一緒に行っていい?」
美咲の目がキラキラと輝いた。心奈は一瞬、怪訝な顔をしたが、ため息をついて答えた。
「いいけどさ、邪魔しないでよ?恋バナとかしないでね!」
「しない、しない!」
美咲は手を振って笑い、心奈は渋々うなずいた。だが、美咲の頭の中では、すでに別の計画が動き始めていた。心奈、ちょっと刺激を与えてみるよ。固い殻、破ってみない? 心奈の胸に、ぼんやりとした不安がよぎった。美咲のこの笑顔、何か企んでる気がする。
「じゃあ、いいわよ」
美咲はさらに勢いづいて、スマホを手に持ったまま話を続けた。
「それでさ、それでさ、桜木町駅から映画館の横浜ブルク13近いじゃん?勉強終わったら、息抜きに映画でも見ない?」
心奈は眉をひそめた。
「え~……何が上映されてるかによるわね」
美咲はスマホをいじりながら、楽しそうにスクロールした。彼女はわざと、心奈が嫌いそうなロマンス映画を最初に挙げてみた。
「え~っとね、え~っとね……『ストロベリームーン』?」心奈は即座に顔をしかめた。「却下!題名からして却下!」
美咲はくすくす笑いながら、スマホをさらにいじった。やっぱりね、こうなると思ったよ。じゃあ、もうちょっと心奈の好みに寄せてみるか。
「じゃあね、え~っとね……『ラスト・ブレス』?『沈黙の艦隊』?」
心奈は少し考えて、答えた。
「……『ラスト・ブレス』だね。プレビュー見たよ。飽和潜水士の実話の話」
美咲は目を丸くして、スマホの画面を見ながら、あえて食い下がった。
「『ストロベリームーン』、『余命半年の恋』だよ?見たくない?『余命半年と宣告された日、生まれて初めてあなたに恋をした』だってさ」
心奈は冷たく一蹴した。「興味なし!」
「ダメ?」
美咲が少し拗ねたように言うと、心奈はきっぱりと言い放った。
「ダメ!『余命半年の恋』だなんて、蕁麻疹が出るわ」
美咲は内心でニヤリとした。心奈、反応してくれると面白いんだから。心奈は美咲のこの態度に、苛立ちを覚えながらも、親友だから許してしまう自分に気づいた。美咲がいなければ、もっと孤独かも。
翌日、横浜市中央図書館の静かな自習室。心奈は参考書を広げ、黙々と問題を解いていた。彼女の集中力は、まるで周囲の雑音をシャットアウトするバリアのようだった。
一方、美咲は隣の席で、参考書をパラパラめくりながら、明らかにそわそわしていた。話したくてウズウズしているのが、目に見えてわかった。
彼女の頭の中では、どうやったら心奈の心、開けるかな?という思いがぐるぐるしていた。心奈のテーソー観念は、親友として尊敬しつつも、どこかで「もったいない」と感じていたのだ。
心奈はチラリと美咲を睨みつけた。静かにしてよ、頼むから。その視線に気づいた美咲は、慌てて口を閉じ、ペンを手に持って問題集に目を落とした。だが、彼女の落ち着きのなさは、心奈の神経を逆撫でするばかりだった。心奈の心に、ぼんやりとした苛立ちが溜まる。美咲、今日は特にうるさい。
数時間後、勉強を終えた二人は、野毛の坂を下って桜木町駅に向かった。
秋の風が涼しく、夕暮れのオレンジ色が街を染めていた。美咲は歩きながら、スマホをいじり続けていた。彼女はこっそり、悠真にメッセージを送っていた。ねえ、悠真くん、桜木町駅で待ってて!心奈、びっくりするかな?美咲は、心奈に少しでも感情の揺れを見せたかった。
心奈はそれを横目で見ながら、何やってるの、こいつ?と内心で不審に思った。美咲のスマホの動きが、いつもより怪しい。
桜木町駅の改札口に着くと、そこには見慣れた背の高い影が立っていた。
「美咲、私はあなたたちのデートに付き合う気はないぞ!」
心奈は腕を組んで、キッと美咲を睨んだ。美咲はケラケラと笑いながら、肩をすくめた。
「い~から、い~から。三人のほうが楽しいじゃん!」
心奈は舌打ちしそうになったが、渋々ついていくことにした。
これ、絶対後悔するパターンだよね。彼女の胸の奥では、ざわめきが広がっていた。悠真の顔を見るだけで、別れの日の記憶が鮮やかになる。なぜ今、こんな状況?
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