推しの特等席

「あはは、ばれちゃったか。……そっか、みなとは耳がいいもんね」

 推し=先輩――それも、かなり仲の良い一学年上の志音しおん先輩――という答案にあっさり赤丸がつくと、先輩は微笑みながら人差し指を立てた。

「でも、内緒だよ」

「なぜに?」

「恥ずかしいから」

「全然恥ずかしくないと思いますけど……。『ああ、いい声だ……』って一耳惚れだったんですよ、こっちは」

「そういうのやめて。身が持たない」

「褒めてるのに……」

 嘘ではない。ある日おすすめに上がってきた歌手・シオン。その声を聴いた瞬間、私の世界は一変した。未来を切り開くように力強く、泣いている人に寄り添うように優しく、歌で想いを伝えるのだというように芯のある声音。こぶしとビブラートの違いも分からない私でも、心地よい音がすっと胸に入ってきて、ふわりと癒やされ、どっと身体中が沸き立った。

 これだ! 私の好きな音、曲、リズム、歌詞、そして何より声!

 シオンが私の推しになった瞬間である。




 シオンは覆面だった。顔も年齢も不明。

 きっと遠い世界の住人なんだろう。

 しかし毎日聴くうち、どこかで聴いたことがあるように思えた。

 もしかして……。

 そしてある日の放課後、隣を歩く先輩の鼻歌を聴いて、私は確信したのである。一緒にカラオケも行ったことあるし。

「これって、志音先輩ですか?」

 意を決した私はスマホの画面を見せて尋ねた。




「一つお願いがあるんだけど」

 神妙な面持ちで先輩が告げた。

「なんです?」

「今度ライブをするでしょ? 初の」

「……そういえば、言ってましたね。もちろん行きますよ」

「ありがとう。でね、お願いっていうのは……」


「ライブ、最前列で見守っててくれない? 初めてだから、めっちゃ緊張してて。でも湊がいてくれたら、いつも通り歌えそうなんだ」

「うん。……服装はどうすれば? 初ライブだし、正装?」

「私服でいいよ。一緒に遊びに行く時くらいの」

 先輩が、シオンが、最推しがかけてくれた言の葉。

 迷いはなかった。こんな機会、滅多にない。

 一曲目はアップテンポのラブソングだった。私が初めて聴いたシオンの歌で、私が最も好きなシオンの歌。

 ドゥンと最初の音が流れた時、なぜだか視界がぼやけた。

 ライトが眩しいからか、生でシオンの歌を聴けたからか、それとも――。

 そこからはよく覚えていない。でもその声は確かに聴こえていて、確かに私の心に響いていた。




「あー、楽しかった。湊がいてくれたから、のびのび歌えたよ。早く次のライブやりたいなー」

 ライブが終わって合流すると、先輩はぐーっとのびをしながら言った。

「いやぁ、すごかったですよ。生歌だけで感動なのに、真ん前で聴けるなんて。特等席ですよ」

「しかもその推しがここにいるっていうね」

「ええ。ほん――」

 私が肯定しかけた瞬間、唇に小さなぬくもりが宿った。

「本当にありがとね」

 胸の奥でとんっと何かが跳ね、少しの後、頬が熱を帯びた。

 先輩の頬も唐紅だった。


 もう先輩の歌しか、聴こえない。

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短いお話たち 卯木よよい @utsugi_yoyoi

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