旅夜諸懐
二泊三日の一人旅から帰宅した。とても充実した旅だった。
荷解きをせずベッドに倒れ込むと、重力と疲労感とで布団に沈み込んでいくような感覚があった。足は乳酸が溜まってがちがちだった。足が棒になるとはこのことか。
ふうと全身の力を抜き、仰向けになって白い天井をぼうっと眺めた。画用紙のような天井を見つめていると、旅の記憶がほつほつと蘇ってきた。
のどかな景色を列車からのんびり眺め、歴史ある街をめぐり歩き、海鮮丼に舌鼓を打ち、最推しのクリエイターのイベントに参加し、……。
旅行初心者の私がこのような一人旅をするのはまだ二度目なのだが、我ながらよくできた旅程だったと思う。なぜならこんなにも充実感と心地よい疲労感があるのだから。それにまだ帰りたくない、あのひとときが恋しいと帰りの車内で何度も思ったのだから。
そうして疲労感とともに旅の余韻に浸っていると、ふつふつと何やら静かにこみ上げてくるものがあった。ああ、あれだ。一日目の夜、降り立った駅で感じた不思議な懐かしさのことである。
その駅に来るのは初めてのことだった。特急はおろか、快速すらも停車しない、郊外の小さな駅である。
二面二線の相対式ホームにはいくつかのベンチ、広告が剥がれかけた掲示板、橙の電灯、一台の自販機、タイル貼りの壁、……。改札は無人だった。私のほかには人っ子一人いなかった。時々、遠くから車の走る音が少し聞こえるか、微風がそっと吹くくらいで、春の夜のホームは静寂に包まれていた。いや、むしろ静寂は私自身を包み込んでいたのかもしれない。
ベンチに腰掛け、懐から飴玉を取り出した。さっき訪れた海鮮丼の店で、店主のおばさんが「おまけだよ」とくれたものである。手のひらのそいつは、私が子どもの頃に床屋でもらえたミルクキャンディだった。
当時の私はバリカンが怖かった。初めてのバリカンを前にした私は耳を切られるのではないかと気が気でなく、父の懐でぎゃんぎゃん泣きわめいた。
それを見かねた床屋のおじさんが、「我慢できたらご褒美だ」と言って、レジの前のバスケットから何個か飴玉をくれたのである。奴が耳元でバリバリと騒ぐと毎度全身がぞわぞわしたが、飴玉は欲しかった。それに、涼しい顔でバリカンを当てられている他の客を見て、我慢できれば少し大人になれるような気がした。
私は目を瞑ってびくびくしながら、早く終わってくれと何度も何度も念じた。
ザザザザ、ザザザザ、バリバリバリ、ザー、ザー、……。
そして数分経った後、「できたよ」と言っておじさんは鏡を見せてくれた。鏡を見た私は首を左右に振り、皮膚が切れていないか何度も確認した。
しかし傷一つ見つからなかったし、どこにも痛い箇所はなかった。おじさんすごいな。やっぱりプロって違うんだな。
それに、バリカンで刈られた部分を触ってみると、ザラザラとした心地よさがあった。翌日、友人も私の頭をわしゃわしゃと触りながら、「うおっ。すげー」とバリカン部分のザラザラに驚いていた。
バリカンを我慢して初めてもらった飴玉がそのミルクキャンディだった。サイズもパッケージデザインは変わっていない。一つ変わったことがあるとすれば、バリカンを我慢するまでもなくなったということである。だから床屋の帰りに飴玉をもらう権利もない。しかしおじさんは今も変わらず、「持ってけ」と言ってバスケットを差し出す。だったらと私はお言葉に甘えて、毎度二個だけ掴んで店を出る。「もっと持ってっていいぞ」とおじさんは言うのだが、もうそんな年じゃないし、他の子たちの分も残しておかないとと思う。昔は四、五個持っていったのだが。しかしおじさんから見れば、私はまだまだ子どもなのかもしれない。
おじさんの床屋の飴玉で一つ残念だったことがある。それは初めてもらったミルクキャンディがいつしかなくなっていたことである。床屋の飴玉ではあれが一番好きだった。口の中でじんわり溶ける甘さが良いのだ。甘すぎないのが良いのだ。しかし私が来た時に限っていつもない。おいしいからみんな持っていってしまうのかもしれない。
それなら、取っておいてとおじさんに頼めばいいと思った。でもなんだか気恥ずかしかったし、バスケットに何があるのかというくじ引きのような感覚が好きだったから言い出せなかった。結局のところ、私がそのミルクキャンディをゲットできたのは数回しかなかったと思う。
飴玉を口に含むと、ほんのりとした甘さが口一杯に広がった。甘すぎない、けど濃厚。ああ、これだよ。これこれ。ふふっと小さく笑みがこぼれた。なんだか懐かしいな。
いつもはガリガリと噛んでしまうことが多いのだが、これは大事に味わおう。そういえば、次の列車はまだか。私はホームの西方を見た。しかし夜闇の中に線路が吸い込まれていくのが見えるだけで、列車の気配はなかった。まあ、気長に待ちますかね。
「ふいー」と間抜けな声を漏らしながら辺りを見回すと、どうにも何やら違和感があった。なんだろう、これは。なんだろう、この感覚は。
私はここに来たことがある。
そう思った。いや、来たことはない。今日が初めてだ。それは確かだ。乗ったことのある路線は記録してあるから間違いない。
しかし心のどこかではここに来たことがあると思っていた。見覚えがあるのだ。
橙と白の電灯、広告が剥がれかけた掲示板、タイル貼りの壁、白い自販機、線路に合わせて少し曲がったプラットホーム、静かな構内、……。そして何より、このベンチから見上げる電光掲示板。この角度、見たことがある。
どこかで見たことがある。しかしそこがどこかは分からない。
随分と昔に見た夢だったかもしれない。どこかの雑誌に掲載された写真だったかもしれない。でもはっきりと見覚えがある。絶対に来たことがある。
理由は分からない。でもとてつもなく懐かしい。
今度は東方のホームを見た。うん。やはり見覚えがある。紺色の駅名標、改札へと続く下り階段、ペンキの剥げた柱、踏切を渡る車、……。
胸の奥からふつふつと何かが湧き上がるような感覚があった。ぽうっと身体が温かくなるような。夢で見るのとは少し違う。なんだか落ち着く、不思議で懐かしい感じがした。
なんだろう、これ。なぜだろう、これ。
もっとここにいたい。この不思議な懐かしさに触れていたい。
しかし列車の接近放送が静寂を切り裂き、私を現実へと連れ戻した。
「まもなく、一番線を列車が通過します。危ないですから、黄色い線の内側にお下がりください」
ゴー、カタン、カタカタン、カタカタン、カタカタン、…………。
通過列車の赤いテールランプが夜闇に消えると、再びホームは静寂に包まれた。
なんだったんだ、あれ。
そう思ってぼんやりと夜空を見上げると、白い満月がとても小さく見えた。そしてそいつは時折吹き抜ける微風とともに、まだ春本番は遠いと告げてきた。あの懐かしさの正体は遠くにあるとでも言うように。
随分と遠くに来てしまったような気がした。実際のところ、自宅からは数百キロ離れた場所ではあるのだが。なんだろう。現実とは少し違うような気がしたのである。
あの懐かしさはなんだったのだろう。なぜ懐かしく思ったのだろう。
気になる。気になりすぎて、胸がざわつく。
もう一度あの駅へ行きたい。もう一度あの場に立ちたい。
しかし簡単な話ではない。片道三時間半、往復三万円もかかる道のりだ。
はあ……。胸にぽっかりと穴が空いたような感じがした。なんだったんだろうな……。
夢で見たからか、雑誌で見たからか、それともあのクリエイターの作品を見たからか、ミルクキャンディを口にしたからか。
分からんなあ……。
何か手がかりはないかと、スマホの写真フォルダを漁ってみた。しかしあの駅での写真は一枚もなかった。
写真撮っておけばよかったなあ。
そうすれば、今ここにある懐かしさの正体を解き明かすことができたのかもしれないのに。あの不思議な懐かしさの理由がわかったかもしれないのに。
でも、あのときの私はシャッターを切らなかった。シャッターを切ったら、あの特別で不思議な懐かしさが消えてしまうような気がしたから。
あれは一夜の夢のようだった。でも、夢だからこそ、このもどかしさを、あの懐かしさを、愛おしく思うのかもしれない。
甘飴橙電灯
春夜駅無人
白月俄懐旧
唯一人立尽
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